2016(平成28)年9月16日(金) くもり / 晴れ

伏見稲荷大社から伏見桃山城を目指します

この城は当初は秀吉が自身の隠居後の住まいとして

文禄元年(1592)年、朝鮮出兵の頃に着手されました

現在の伏見区桃山町泰長老辺りで、この時の城を指月伏見城と言います

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1594(文禄3)年、秀吉は入城しますが

その2年後1596(文禄5)年9月5日未明、慶長伏見大地震に見舞われました

京都伏見付近のマグニチュード7,25~7,75の内陸直下型地震です

完成間近の天守も崩壊、城内だけでも600名が圧死したと言われ

秀吉もその夜は台所で一晩過ごしたと言われています

京都でも東寺、天竜寺、二尊院、大覚寺が倒壊

被害は京都以外にも

大坂、堺、兵庫、淡路にも及び死者1000名を超える大地震で

この年の10月27日に元号も文禄から慶長に改元されました

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この頃の秀吉は

文禄2年(1593)8月に淀君が捨丸(後の秀頼)を産みます

秀吉、御年56歳です

文禄4年(1595)8月に秀吉の甥、秀次を関白から追いやり自害させます

一旦は隠居をと考えた秀吉ですが秀頼の誕生により

我が子愛おしさから権力の維持に没頭します

大地震が治まると

伏見城は旧指月の地から北東1kmの木幡山に築城されます

1597(慶長2)年10月、木幡山伏見城は猛スピードで

地震後、2年弱で再建されました

ところが翌1598(慶長3)年8月、秀吉が伏見城で没してしまいます

61歳でした

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秀吉の遺言により秀頼は慶長4年(1599)正月、大坂城に移り

3月には五大老の一人、前田利家が無くなると

徳川家康は,牙を剥き出します

石田三成を佐和山城に追いやり、9月には自身も大坂城に移ります

主を失った伏見城は、城下の大名屋敷もことごとく大阪へと移り

伏見の城下町は寂れてしまいます

慶長5年(1600)年8月26日

上杉征伐と称し会津攻めに動き出した家康に

西軍、小早川秀秋、薩摩藩島津家が家康の家臣で伏見城を護る

鳥居本忠の率いる伏見城を攻防13日間の末、落とします

10月21日

天下分け目の戦い、関ヶ原の戦いで勝利を得た家康は

慶長6年(1601)年3月に伏見城に入城

翌、慶長7年(1602)年3月に家康は伏見城にて将軍職の宣下を受けます

伏見城の修復も、城づくりの名人、藤堂高虎を普請奉行に据え

この年の年末までにあらかたの修復を終えます

秀吉の木幡山伏見城と区別するため

伏見桃山城と呼ばれました

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以降、徳川秀忠、家光と3代将軍までの宣下は伏見桃山城で行われましたが

家康が駿府城に移り

大坂の陣後は将軍の参内時の宿舎は二条城に、居館時には伏見桃山城と

使い分けされていましたが

3代将軍家光、将軍宣下を最後に廃城となりました

いまから訪れる伏見城は4代目の伏見桃山城となります

時が流れ

昭和39(1964)年、遊園地、伏見桃山城キャッスルランドが開園しました

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2003(平成15)年1月、経営母体の近鉄グループが手をひき閉園となりました

跡地は京都市が伏見桃山運動場公園として整備

模擬天守は京都市民の運動により

伏見のシンボルとして残ることになり無償で京都市に贈与されました

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広い駐車場もガラガラです   14:40分

30分¥100です

キャッスルランドは1964(昭和39)年オープン

敷地面積10万㎡、ジェットコースター、ゴーカート、プールを備えた

遊園地でピーク時の1978(昭和53)年には年間100万人の来場者がありました

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立派な大手門です

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入り口に立て看板があります

城は耐震基準が満たされていないため内部は非公開となっています

伏見城は地震に祟られていますね

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声を挙げたくなるような景観です

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手前が小天守、後ろが天守閣です

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五重六階の大天守

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三重四階の小天守

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鉄筋コンクリート造りですが

当時(昭和39年)の金額で6億円、東京五輪開催年で

ラーメン59円、葉書5円、新聞代450円、映画221円、銭湯23円

サラリーマン年収41万円

だいたい10倍ほどですね

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草木に覆われ哀愁を感じました

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木陰で一心に城を描く人

これだけの空間、情景を放置するのはもったいないと思うほどです

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2007(平成19)年、東映映画、和央ようか主演

『茶々天涯の貴妃(おんな)』のロケ地に使われ7000万円を投じ

伏見桃山城を改修しています

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哀愁感漂う伏見桃山城でした  15:00

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宇治川沿いを走っています

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瀬田の唐橋を思わせる橋の造りでした

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宇治の町に入ってきました

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目的は宇治平等院です

ただ平等院には駐車場がありません

近くの食べ物屋さんの 駐車場 時間、関係なく700円です  15:30分

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平等院は藤原氏ゆかりの寺院で

平安後期、永承7年(1052)の建築で

仏像、絵画、庭園などが古都京都の文化財として世界遺産に登録されています

宇治川に面したあじろぎの道を歩きます

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なかなかいい河畔です

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ここは表参道からはいるべしですね

南門は団体客のバス乗降が主で見るべきものは何もありません

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チケット購入ですが順番待ちです

殆ど外国の方です

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拝観料600円  8:30~17:30

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京都南郊のこの宇治の地は源氏物語の宇治十帖の舞台でもあり

平安初期から貴族の別荘の地でした

現在の平等院の地は9世紀末、光源氏のモデルとも言われる源融(みなもとのとうる)の地から

宇田天皇、源重信を経て摂政、藤原道長の別荘となり宇治殿と呼ばれていました

道長の子、関白頼道が宇治殿を寺院に改め

これが平等院の始まりとなります  1052年です

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開山は小野道風の孫、明尊   山号は朝日山

翌、天喜元年(1953)

西方極楽浄土をこの世に実現させたような鳳凰堂が建立されます

宗派は天台と浄土を兼ねていましたが、現在は特定の宗派に属していません

表門から、入場しましょう   15:40分

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鳳凰堂です

平成24(2012)年9月3日から平成26(2014)年3月31日まで

屋根の葺き替え、柱の塗装等が行われ

平成26年(2014)10月1日落成式が行われました

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この鳳凰堂は、別途300円の入館料です

最終受付が16:10分ですと急かされましたが

入ってすぐ、なんとなく癇に障り今回の入館は見送ってしまいました

ネットからです

国宝の仏像群です

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ご本尊阿弥陀如来坐像

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外国人ばかりです

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鳳凰堂中堂、本尊阿弥陀如来像が安置されています

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中堂の向かって右が北翼楼、左が南翼楼

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南翼楼

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鐘楼

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鳳翔館(宝物館)です

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至る所で監視の係員が目につき早々に出ました

期待していっただけに

落胆の方が大きかった宇治平等院でした

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10円硬貨の鳳凰堂で誰しも目にしています

昭和26年(1951)より発行

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そして平成16年(2004)12月1日より発行の1万円札の鳳凰像

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帰りはお茶所を通って帰ります

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狸の信楽の里を経て

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伊賀に出て帰宅しました

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有難うございました