2016(平成28)年9月19日(月) /
2013(平成25)年、制作の米英合作映画 134分
『それでも夜は明ける』 は歴史ドラマです
原作はソロモン、ノーサップ、1853年(嘉永6)発表されました
(日本ではペリーが黒船を率い浦賀に来航した年です)
ソロモン自身が1841年、ワシントンで誘拐され奴隷として売られたルイジアナ州での
12年間の奴隷体験記を綴ったものです
主演のソロモン、ノーサップ役はキウェテル、イジョフォー
監督はスティ―ヴ、マックイーン
米映画、荒野の七人、大脱走、タワーリングインフェルの
スティーヴマックイーンと同性同名ですね
2013年公開対象の第86回アカデミー賞で
作品賞、脚色賞、助演女優賞の3部門を受賞しました
助演女優賞、パッツイ―役のルピタ、ニョンゴ
ストーリーです
1941年、ニューヨーク、サラトガのソロモン、ノーサップ(チェテル、イジョフォー)は
自由黒人のヴァイオリニストでした
彼には愛する妻と子供二人があります
ある日、彼は二人組の男から
ワシントンで開催されるショーの出演を頼まれます
しかし、それは陰謀でソロモン、ノーサップは彼らと一緒に飲んだバーで
薬を入れられ酔いつぶれてしまいます
意識が戻った時には両手両足に鎖を掛けられていました
奴隷商人の罠に嵌まってしまいました
家族もろとも奴隷船に乗せられます
1865年まで続いた奴隷制度でアフリカから約1100万人が
アメリカ大陸に渡っています、そのうち約40万人が
アメリカ合衆国に連行され彼らの子孫は400万人に増加していました
当時の米国では
1808年に黒人の海外からの輸入が禁止され
奴隷の供給がストップし奴隷価格が急上昇していました
そのため自由黒人を誘拐しては売り飛ばすという犯罪が続出していました
着いた先は、はるか南部ルイジアナ州のニューオーリンズ
奴隷市場に出されたソロモンは名さえ奪われプラットという
ジョージア州の逃亡奴隷の同義語を名とさせられるのでした
ソロモンと妻のイライザは共に材木商の
ウィリアム、フォード(ベネディクト、カンバーバッチ)に買われます
ソロモン1000ドル、イライザ700ドルで
子供二人と引き離されます
ウィリアムは信仰心が篤く温和な性格で
教養もあり有能なソロモンに目をかけます
そんな中、奴隷の監視役でもある大工のディビッツ(ポール、ダノ)から
何かにつけ難癖をつけられます
殴りかかろうとするディビッツを逆に反撃し抵抗してしまいます
怒り狂ったディビッツは仲間を呼び寄せ
3人でソロモンを木に吊るし命までも取ろうとします
駆けつけたウイリアムにより命は助かりましたが
ソロモンの命が危ないと感じたウイリアムスはソロモンを
農園主のエップス(マイケル、ファスベンダー)に売り渡します
夫婦までも引き離されます
エップスは綿花栽培の大農園主です
陰湿,残忍な性格の持ち主で暴力で奴隷を支配するような男です
一日の綿花の収穫量、平均90kgに満たないものには
鞭打ちの罰が待っています
奴隷の中で一人、綿摘みに秀でた奴隷がいました
いつも230kg以上を摘むパッツィー(ルピタ、ニョンゴ)でした
その年若いパッツィーにエップスはサディスティックに弄びます
エップス夫人(サラ、ポールソン)
夫婦仲も陰険で
夫人はパッツィーにつらく当たります
ある年、害虫の大量発生でエップスの農園は大被害を被り
奴隷たちは近在の主に貸し出されます
ソロモンは判事の事務所に駆り出され綿の収穫期にエップス農園に戻されます
ある年
白人の奴隷が農園にやって来ました
アームスバイという男で、不祥事を起こし奴隷に身を落としたと語ります
ソロモンはこの男を信じ
隠れて貯めていた有り金(ヴァイオリンの祝儀)すべてを渡し
友人宛の手紙の差出を依頼するのでした
ところがアームスバイはとんずらソロモンは
エップスに疑われますが字も書けない、インクもない
何として手紙を書くのかと…一命を拾います
エップスとパッツィーも不自然なまゝです
パッツィーはソロモンの許を訪れ、自分を殺してくれと頼みますが
お互い何もできません
ある日、パッツィーの姿が見えません
怒り狂ったエップスはパッツィーを見つけ出し鞭打ちの罰を与えます
その鞭打ちをソロモンに命じ
鞭が弱いと他の奴隷を殺すと銃を向けます
えぐり取られる皮膚、血しぶきもあがっています
背中じゅうに喰いこんだ鞭の跡、残忍です
奴隷たちができるのは歌を唄うくらいです
悲しいくらい響く、いい音色、歌声です
数年を経
農園にカナダ人の奴隷解放論者バス(ブラッド、ピット)が
大工としてやって来ます
一度、白人に裏切られたソロモンは慎重ですが
一縷の望みを託し
バスに自分の素性を明かし、北部の友人あてに手紙を依頼するのでした
数日後、エップスの農場に
保安官と共に北部の友人が乗り込んできました
彼が自由黒人であることの証明ができました
遂にソロモンはニューヨークのサラトガに帰ることができます
故郷に着くとそこにはいつ開放されたのか
妻のイライザと成人した息子アロンゾ、娘マーガレットが待っていました
娘には夫もいて子供までもいます
その子の名前はソロモンと名付けられていました
故郷に帰ったソロモンは、自分を奴隷にしたて上げた人物
奴隷商人を告訴しましたが
当時の米国では彼らを罪に問うことまでは出来ませんでした
ただ、彼の手記、彼の運動が多くの黒人奴隷に
夢を与え、奴隷解放への道筋を立てたことは
間違いありません
白人でなければ人間でない、家畜同然に扱われた
アメリカ合衆国の暗い過去を暴いた作品でした