2016(平成28)年5月15日(日) 晴れ

江ノ電、長谷駅です   12:50分

江ノ電、正式には江ノ島電鉄KK、神奈川県藤沢市に本拠を置く

小田急グループの民間鉄道会社で

鎌倉~藤沢間10kmをつないでいます

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単線でメトロ風な列車はローカル線の雰囲気を醸し出し

その認知度は国内のみならず海外にまで知られています

鎌倉駅から鶴岡八幡宮に向かいます

小町通りです  13:05分

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凄い賑わいです

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お昼はざるそば

出来上がるまで30分ほど待ちました

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目の前が鶴岡八幡宮三の鳥居です   14:05分

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別称、鎌倉八幡宮と呼ばれ源氏、鎌倉武士の守護神として名高く

鎌倉幕府開祖、源頼朝ゆかりの神社で

三大八幡宮の一つとも言われています

宇佐神宮(大分宇佐市)  岩清水八幡宮(京都八幡市)の二つと

筥崎宮(はこざきぐう)福岡市と鎌倉の鶴岡八幡宮のいずれかがと言われています

これは太鼓橋でしょうか   奥に本宮が見えます

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本宮に通じる参道です

全国でも十指に入る初詣の人出は三が日で

250万人と言われています

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鶴岡八幡宮の経緯です

康平6年(1063)、河内(大阪羽曳野市)を本拠とする源頼義が

奥州赴任中の前九年の役で東北陸奥の土着豪族安倍氏に勝利を収め

戦勝祈願した京都岩清水八幡宮(一説に羽曳野市の壺井八幡宮)を

鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に

勧請したのが始まりです

以下ご参照ください

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お宮参りの人も

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その先は舞殿(下拝殿)です

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結婚式も行われていました

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61段ある大石段です

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石段の左脇に鶴岡八幡宮のシンボルとして親しまれていた

大銀杏がありました (樹齢800年とも1000年ともいわれていました)

平成20年(2010)3月10日4時40分頃

強風により根元から倒れました

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倒壊5日後の3/15、元の位置から7m離れた地に移植され

その1か月後には再生への努力が実を結び

若芽が確認されました

マスコミ等でも頑張る大銀杏として取り上げられましたね

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石段を登り切ったところが桜門

その奥に拝殿とつながった本宮があります

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静御前が源頼朝の求めに応じ

義経を慕う歌を詠みこの回廊で舞ったと思われます

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

しづやしづ  しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

将軍となった頼朝は猜疑心が深く

弟の義経、叔父の木曽義仲までをも殺戮してしまいます

私は政治家としての頼朝は偉大だとは思いますが

情の無い人物で好きにはなれません

石段を登り切ったところで後方を振り返ります

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沢山の人ですね

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鶴岡八幡宮の参拝を終え  14:15分

北鎌倉駅まで歩きながら道すがらの寺院を見て歩きます

参考図です

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鶴岡八幡宮から建長寺を目指しますが

県道21号線は急峻な上り坂です、歩くなら逆方向からの方がよさそうです

途中、閻魔大王ゆかりの円応寺の看板が眼にとまりました

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石段を上り覗いてみましょう  拝観料200円  14:30分

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円応寺は寺伝に寄れば建長2年(1250)、智覚禅師により創建され

閻魔大王を本尊とする臨済宗建長寺派の寺です

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国の重要文化財

ご本尊の運慶作の閻魔蔵王坐像です

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頂いたパンフレットです

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建長寺総門です   14:35分

鎌倉期の建長5年(1253)創建、本尊は地蔵菩薩

開基は鎌倉幕府5代執権、北条時頼

開山は中国南宋の禅僧、蘭渓道隆で禅宗、臨済宗建長寺派の大本山です

山号は巨福山(こふくさん) 寺号は建長興国禅寺です

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天下禅林(てんかぜんりん)とは

人材を広く天下に求め育成する善寺の意です

建長寺はわが国最初の禅宗寺院で

鎌倉五山第一位の寺院です

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さすが鎌倉五山筆頭で

境内の壮大さ山門、建物の巨大さに目をみはります

鎌倉五山=臨済宗の寺院を格付けする制度で5代執権、北条時頼の世に

中国の五山の制に倣って導入されました

順に ①建長寺 ②円覚寺 ③寿福寺 ④浄智寺 ⑤浄明寺とされています

三門です

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三門の奥が仏殿です

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本堂に向かいますが右手に茅葺屋根の中に

国宝の梵鐘がみれます

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重さ27トンです

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境内図です

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仏殿に向かう参拝道の両側に7本の柏槇(びゃくしん)の古木が続きます

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柏槇=和名イブキ(ヒノキ科)の中には幹回り7mのものもあり創建時から

760年の歳月と幾度もの戦火や火災を生き抜いてきた古木で

新日本名木百選に入っています

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国重要文化財の仏殿

正保4年(1647)東京芝の増上寺にあった

徳川二代将軍秀忠の夫人、お江の方の零屋(たまや)を移築したものです

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ご本尊の地蔵菩薩像です

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厳かですね

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仏殿の後方に続く建物は法堂(はっどう)です

文化11年(1814)再建され木造建築では関東最大で

重要文化財に指定されています

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昔は建長寺全体が修行道場で

山内の僧侶全員がこの法堂に集まり住持の説法を聞く場でした

往時、388人の僧侶がいた記録があります

修行道場は西来庵に移り

現在法堂は法要、講演、展覧会等に使用されています

奥が千手観音菩薩、

手前が愛知万博の際建立された釈迦苦行像で

その後、パキスタンイスラム国から奉納されました

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天井画は、鎌倉在住の日本画家小泉淳作筆の雲龍図です

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総門から一直線に並んだ伽藍から左に折れ唐門に出ます

唐門も仏殿同様、お江の方の霊屋の門を移築したものです

平成23年(2011)解体修理がなされ輝きを取り戻していました

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唐門の奥に方丈(龍王殿)があります

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今日は特別公開日です

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龍王図です

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唐門の裏側です

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国史跡の庭園です

蘸碧池(さんぺきち)を中心とした庭園で

開山大覚禅師の作庭で禅寺を象徴する庭園で

建長寺、最奥に位置しています

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想像以上の大寺でした

いいお寺でした

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次は紫陽花で名高い明月院を目指します  15:15分

 40分ほどの滞在でしたがもう少しゆっくり廻りたいところです


続きます