2016(平成28)年5月14日(土)
熱海着11:01分
名古屋発、新幹線ひかり460号9:34分ですから1時間半で到着です
名古屋~熱海間は各駅停車のこだま号(2時間ほど)が主ですが
ひかり号も日に2本熱海駅に停車します
我が家から名古屋まで出るのに1時間15分
やはり新幹線は早いですね
熱海駅は初めてです
今回のお出かけは
同級生のメロママ&じーじーさんが熱海市街にマンションを購入され
今後のお住まいになるということで
その視察と観光を兼ねての訪問です
熱海駅でお二人と落ちあい
とりあえず熱海駅前の商店街を歩いて回ります
熱海市は静岡県の最東部に位置し
神奈川県と接し我々関西、東海地方の感覚では関東圏の印象の強い地です
古くからの湯治の地で阿多美という地名でしたが
海から熱い湯が湧き出ていたことから熱海となったそうです
かっての新婚旅行のメッカで
首都圏からの奥座敷、保養地として栄え
2000年代に入ってからは温泉を引いたリゾートマンションが増加しています
多くの観光客の人が闊歩しています
さすが日本有数の温泉地です
お昼時になってきました
やはり海が近いせいもあり魚料理が有名です
熱海駅前の食堂街の一角
まぐろやさんで金目鯛の煮つけのまぐろや定食を(1000円)
昼食を済ませ海岸沿いの駐車場まで歩きます
熱海市は平地が殆どなく
市街地や住宅地も傾斜地に造成され至る所、坂道ばかりです
はや汗ダクダクです
周辺図です
熱海と言えば金色夜叉
1966(昭和41)年11月までの初代、お宮の松
二代目のお宮の松
彼方に寛一お宮の像が見えます
明治の文豪、尾崎紅葉の代表作です
1986(昭和61)年1月、建立された像です
目の前の海岸は熱海サンビーチと呼ばれ
ヤシ並木と長さ400mの白い砂浜、青い海が続き
夏は海水客で一杯になりリゾート地の海岸風景となります
正面にみえる島は初島でリゾート開発が進んでいます
親水公園方面で山の左端に熱海城が見えます
熱海城は錦ヶ浦山頂(海抜100m)に1959(昭和34)年に建てられた
外観五重、内部9階の鉄筋コンクリートのお城です
かっては温泉宿泊施設もありましたが
現在は360度のパノラマ景観の楽しめる熱海一の眺望ポイントとして人気があります
他に城郭、武家文化資料館、仮装写真館(鹿鳴館)
浮世絵美術館、足湯、トリックアート迷宮館等も楽しめます
熱海城の入館は900円 無休 9:00~17:00
熱海サンビーチの駐車場から熱海市内に移動します
メロママ&じーじーさんご夫妻が
我々の為に前もって下見をされ、私達はいいとこどりの観光巡りです
起雲閣に到着です 13:00
熱海三大別荘の一つで大正8年(1919)茨城県出身の
海運、貿易、造船等の実業家であり
鉄道、農商、農林大臣を歴任した内田信也氏が別荘として建てました
(岩崎別荘=非公開 住友別荘=現存していません)
大正14年(1925)
内田信也氏から根津嘉一郎氏に売却
根津嘉一郎は山梨出身で東武鉄道、南海電鉄等の事業にも係わり
鉄道王とも言われた政治家です
昭和19年(1944)3月
第二次大戦の最中、根津家はこの別邸を手放します
昭和20年(1945)8月15日 終戦
昭和22年(1947)1月
桜井兵五郎氏が別邸を購入
同年、10月22日、旅館起雲閣、起雲閣別館ともに開業
桜井氏は石川出身
日本タイプライター、北陸毎日新聞社長等の事業家
さらに立憲民主党幹事長、国務大臣等歴任の政治家です
和と洋の建物が融和した建物は当時では斬新で
太宰治や谷崎潤一郎など日本を代表する文人にもよく利用されました
歴代の所有者
熱海の隆盛を担った起雲閣もバブルの崩壊後、平成11年(1999)年11月に廃業
平成12年(2000)4月1日、熱海市が収得
同年11月28日熱海市は起運閣を観光の拠点として再開館しています
入館510円 休館水曜日 9:00~17:00
我々二人が入館し
メロママ&じーじーさんお二人は
熱海芸者の見番等市内見物に出かけます
大鳳の間は10畳の居間と8畳の間からなる二間続きの座敷で
石川(加賀)出身の起雲閣創設者桜井氏が好んだ群青色の壁が鮮やかです
太宰治は昭和23年3月18日から二泊
この大鳳の部屋に山崎富栄を伴い滞在しています
二人して入水自殺する3か月前のことです
二階に上がりましょう
創設時の歪んだガラス窓から根津嘉一郎が手掛けた庭園を見下ろせます
下に戻ります 橋のある廊下です
伊勢の二見浦、賓日館でもありましたね
左より山本雄三、志賀直哉、谷崎潤一郎
起雲閣で文芸対談があり起雲閣庭園にて三代文豪の集合写真です
根津嘉一郎の建てた(1932=昭和7年)洋館の間に入ります
ガラス張りの天井、タイルの床も注目です
天井には一つだけ金箔が残っていました
隣の間です
起雲閣を往来した文豪、著名人の方々です
太宰治は代表作人間失格をこの起雲閣別館で執筆しました
所縁の文豪の部屋が続きます
尾崎紅葉は起雲閣とは接点がありませんが
熱海の名を全国に広めた金色夜叉の作者であり
遺族から遺品や貴重な資料の展示の許しを受け紅葉の間を設けています
花の生涯の舟橋聖一
坪内逍遥の間も
次に洋館、金剛の間です
昭和4年(1929)根津嘉一郎が建てローマ風浴室に接しています
ステンドグラスの窓、テラコッタ製のカラン(湯出し口)
換気口金物等、創建時のままです
浴槽の周囲に木製のタイルを敷き、滑り止め肌触りの良いように工夫されています
最後に池田万寿夫氏の展示室です
年譜です
外に出て庭園を歩いてみましょう
庭園好きの根津嘉一郎によってつくられたこの庭園には
石好きの根津の意向で大きな石が300個ほど運び込まれています
今のようにクレーンもトラックもない時代
20トン級の大石は大の大人が10人以上とりつき
チェーンブロックで釣り上げソリに乗せ道に枕木をひきウインチを巻き上げ
そろそろ引っ張って運んできたものです
1個の石を運ぶにも2か月を要したものもあったそうです
14:00
1時間の見学を終え、メロママ&じーじーさんと落ちあいます
昭和58年(1983)6月 ※(33年前です)
伊豆半島を一周しここ熱海にも立ち寄っています
伊豆の地名発祥の伊豆山(いずさん)神社
頼朝が源氏再興のを祈願し、また頼朝、政子が結ばれた場所でもあり
縁結びの神社として有名で
石段の参道(837段)を登ると境内からの眺めは素晴らしいところです
現在リュニアル中のMOA美術館
日本画、陶磁器など東洋古美術(中国、日本)の
絵画、書、彫刻等の名作3500点が収蔵されています
当時1000円の入館料でした
現在は1600円だそうです
続きます