2016(平成28)年1月22日(金)
まるごと南九州大周遊三日間の2日目です
ホテルの部屋の窓から霧島連山が望めます
朝食のバイキングは7:00より
昨夜の宿、霧島ロイヤルホテル8:00に出発です
お出迎えは鹿児島中央観光バスの
運転手kariyaさん ガイドはkokadoさん
写真のセツティングをぼかしにしてしまいました
以降二日間の写真はぼかし画像ばかりです
車窓からの桜島です
桜島PAでトイレ休憩 9:00
錦江湾と桜島
突きだしているのは京セラの太陽光発電のパネルで
発電能力70MW、一般家庭22,000世帯相当で
面積は東京ドーム27個、127万㎡パネル27万枚設置されています
今日の最初の見学は屋久杉のアリヨシ民芸品店 9:45~10:15
屋久杉とは屋久島の標高500mを超える山地に自生するスギで
樹齢1,000年を超えた物をいい、1,000年未満の物を小杉といいます
工場見学前にあった屋久杉です
工作過程で職人さんが1本の木からリングを削りだしています
高いものでは○億円 私たちのお土産は夫婦バシ1,000円と
知覧茶くらいです
前方に錦江湾、桜島、さらに大隅半島も見渡せる絶景の地ですが
ぼかし画像ばかりです
バスに戻り車窓から原油備蓄基地の
JX喜入石油基地です 10:20分
日本国内の石油使用料2週間分の原油735万キロリットルが貯蔵されています
今日ではその最大の輸入国はインドネシア産とのことです
バスは薩摩の小京都、南九州市知覧の町に入りました
ここで特攻平和会館、武家屋敷見学の二手に分かれますが
私たちは欲張って昼食抜きの両方の見学です
まず武家屋敷の見学からスタートです 10:55分
知覧の町に流れる麓(ふもと)川の疎水
その清流溝には水車がまわり、鯉が泳いでいます
ところがこの武家屋敷のすぐそばに
特攻の母として慕われた鳥濱トメさんの食堂、富屋旅館があります
1902(明治35)年6月20日~1992(平成4)年4月22日
享年89歳でした
記念館に入館します 11:10分
ホタル館(富屋食堂)前にて
以下パンフレットです
二度と戦争は起こしてはならない
ひしひしとその感慨が迫ってきます
昭和4年、鳥濱トメは富屋食堂を開業
昭和17年富屋食堂は帝国陸軍の指定食堂となり
多くの特攻隊員さんが訪れます
トメはそんな隊員さんたちを我が子のように可愛がり
いつしか隊員さんたちからお母さんと呼ばれるようになっていました
しかしその隊員さんたちと関係が深かった分
トメはその悲しい現実を沢山眼の当たりにすることになります
戦後、ご遺族や生き残られた方々が知覧を訪れた際
身を寄せる所、泊まるところがないと困るからという気持ちから
当時、隊員さんたちが訪れていた建物を戦後、買い取り
訪ねてくるご遺族を泊めていました
それが富屋旅館の始まりです
愛する人たちを守るため
お国の為に散っていった特攻隊員さんを供養するため
トメは、戦後、草ぼうぼうの飛行機場跡に棒杭を墓標として立て拝みました
トメはその思いをいろんな方々に呼びかけ
各方面のご尽力もあり知覧特攻平和観音堂が出来上がり
トメはお手洗鉢と石灯籠を建立しました
その一方でトメは
旅館の自室に観音様を奉り拝み続け
平和の語り部として特攻隊員さんたちのエピソード
思い等を語り続けました
そんなある日トメは
おばあちゃんの役目はもう終わったんだよと言い出しました
何故かと尋ねると
おばあちゃんがもう、お参りにいかなくても
全国からお参りに来てくださるようになったから
おばあちゃんはそれでよかとぉ…と
11:25分です 武家屋敷に向かいます
バス集合まであと30分です
庭園入園料は500円で7庭園が公開されています
❶西郷恵一郎邸
武家屋敷は約700mに渡り続いています
見学所要は1時間は欲しいですね
⑦森重庭園のみ池泉式で他は全て枯山水式庭園です
❶西郷恵一郎庭園❷平山克己庭園❸平山亮一庭園
道の突き当りに石が立っています
石敢当といい魔除けの石といわれています
石敢当から左に道は折れ
二ツ家が見えてきます
❹佐多三舟庭園です
どこの庭園も地面がもろに露出するほど掃き清められています
❺佐多民子庭園❻佐多忠直庭園⑦森重堅庭園
最後に高城家住宅
正面左の大きいほうは男玄関、右の小さいほうが女玄関です
ここでのお買い物
12:00 何とか滑り込みセーフ
知覧特攻平和会館のバス駐車場です
知覧茶と後方にぼけていますが、知覧は2014年ノーベル物理学賞受賞の
赤崎勇氏の生まれ故郷です
特攻平和会館です 12:10分
前は小公園になっています
入館しましょう
館内図です 写真撮影禁止です
若くして散った御霊に何と言っていいか言葉が見当たりません
何故か偽政者に無性に腹立たしさを感じます
彼らを国民を戦争に駆り立てたのは誰なんだ…
多くの健康で優秀な日本の若者を失くしてしまいました
三角兵舎です、特攻隊員の宿舎です
若者たちは、ここで寝起きし
語り合い、鼓舞して出撃していきました
毎年寄贈者による石灯籠が増えています
12:40分
昼食は車中で角煮まんじゅうです
戦争なんて、こりごりです
泣くのは平凡な一般国民です
続きます