2015(平成27)年10月8日(木)  晴れ

昨日の高野山詣でで、ご一緒したメロママ&じーじーさんとはお別れ

今朝は粉河寺、根来寺と古寺を見学

この後は紀伊山中を南下して新宮市を目指したいと思います

根来寺から五條までR24号、42km70分

五條から新宮市までR168号、125km3時間ほどの行程です

9:00過ぎに根来寺を出ます

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紀の川沿いを走り橋本市を過ぎるともう奈良県五條市です  10:00

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五條市からR168号に入り紀伊山地を南下中です  10:15分

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五條からのR168は、まだ初口です

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左は紅葉の名所天川ですがR168を進みます  10:25分

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橋梁やトンネルの建設作業は各所で見かけました

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行き交う車も少ないです  10:45分

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山中ですが快適なドライブコースです

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ここらで五條から約35kmの地点  50分程は要しています  10:55分

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谷瀬の吊り橋に着きました  駐車場 500円  11:10分

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十津川村は奈良県の最南端に位置する村で

谷瀬の吊り橋はその北部にあります

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わが国ではロシア領、北方領土内にある

留別(るべつ)村、沙那(しゃな)村、留夜別村、蘂取(しべとろ)村に次いで

5番目の面積を持つ村で東京23区よりも大きく、実質日本一大きい村です

東西33,4km  南北32,8km
 
中央を十津川が流れています

村の96%が山林です

駐車場にはられていたポスターです

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このレストランの先が吊り橋です

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谷瀬の吊り橋です

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昭和29年  当時の教員の初任給7,800円  米10kg765円

いまの30倍としても

一戸当たり20万とは600万円の支出です

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それでは渡ってみましょう  11:15分

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対岸まで297,7mの鉄線の吊り橋です

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眼下に十津川=熊野川

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54mの高さです

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中央部に幅80㎝の板が敷いてあります

この日は風も強く、家内はUターン

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下を覗くとゆらゆら揺れ恐怖心が湧いてきます

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渡り終えると思わず万歳をしたいですね

恐る恐るですと片道10分ほどはかかります

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戻りましょう

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生活道路用の橋ですからここを

地元の人や郵便配達の人はバイクで走るそうです

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行に見た喫茶たにせで コーヒー 一休み

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  生いも串のこんにゃく絶品でした  1本100円

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秋篠宮殿下も来られたのでしょうね

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30分ほどで谷瀬の吊り橋を発ちます  11:45分    R168にて南下です  

作日、今日とお天気は上々です  

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前方に道の駅、十津川郷が見えてきました  12:20分

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お土産処の伝習館  十津川郷  

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そばに土津川村役場もあり、村の中心地でしょうか

土津川村の面積は奈良県のほぼ1/5 琵琶湖や淡路島と同じくらいです

最盛期には12,000人を数えた人口は現在約3,600人です

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役場と道路を挟んで前に十津川村歴史民俗資料館があります

階段を上がった白い建物です  300円

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1階は十津川村の昔の生活を再現したものです

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山が高く谷が深い地形で

男は山に関わる仕事、女は畑仕事や荷運びが主な仕事でした

屋根の葺き替えや、田植え等は村人が協力し

子供たちも家の作業や薪運び、近所の子の子守などをして支え合い

村全体が郷全体がの共同意識の強い地域となっています

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土津川の熊野古道&大峯奥駈道

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世界遺産のなかの十津川村

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これは修験道者の装束ですね

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十津川村、所縁の人物史です

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2階は写真撮影禁止です

土津川村の起こりからの解説がなされ

なかでも居合の達人であったと言われる土津川郷士、中井庄五郎が

坂本龍馬と親交があり竜馬から贈られ手紙(写し)、佩刀が展示されています

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竜馬暗殺では土津川郷士の名が騙られ

汚名を晴らそうと中井庄五郎らは奔走します

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当時、黒幕とみられた紀州藩士、三浦休太郎が天満屋に潜伏

駆けつけた庄五郎は新選組に斬られ討ち死に

享年21歳、今でも京都霊山の竜馬の墓のそばで眠っています

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他に吉田松陰の2~3世代前の血筋が十津川村というような

年表もありました

都から遠く離れ、作物も採れず

年貢を免除される代わりに、必要時には戦力を提供するというかたちで

時の勢力に協力してきたのが土津川の歴史です

(白鳳年間より明治初年まで租税勅免の地でした)

幕末から明治にかけ土津川の人々は郷士となり

各地の戦争に(天誅組の変、高野山義挙、北越戦争)駆り出されました

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明治22年、紀伊半島を襲った台風で

土津川村は大被害を蒙り

村の人口の1/5が故郷を捨て北海道へ移住しました

新しく新十津川村として村を創設し

現在も北海道の新十津川町とは母子(おやこ)の村として付き合いを続けています

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どちらも同じ村章を用いています

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陸の孤島と言われた十津川村ですが

昭和30年代(約50年前)に村を南北に貫通する国道168号線が完成し

ようやく車がこの地にも入り

最近では観光にも目を注がれる時代へとなってきました

朝しっかり頂いたため昼食は柿の葉ずし軽めです 530円

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お土産に十津川まんじゅう

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道の駅、十津川郷を後にします  13:00

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R168号南下中です

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土津川温泉はこの辺りでしょうか

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土津川最南端、桑畑あたりです   13:10分

もうすぐ奈良から和歌山に入ります

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和歌山県に入り

熊野三山をお参りして帰途につく予定です