2015(平成27)年10月7日(水)

高野山から粉河寺まではR480、R24経由

30km45分程の行程です

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今夜の宿は紀の川市粉河寺の門前、丸浅旅館さんです  16:10分

今朝5:00に家を出てからちょうど200km走りました

目の前が粉河寺大門です

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西国33か所、第3番目の札所です

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境内図があります

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奥域のある参道で一度、訪れれば記憶に残る境内です   約200m

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仏足石です

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この石も記憶に残りますね

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蓮の形の手水所です

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中門が見えてきました

入母屋造り、本瓦葺きの楼門で左右の間に四天王像を安置し

風猛山の扁額は紀州十代藩主徳川治宝の筆です

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庭園は国指定の名勝で

紀州の名石を使った桃山時代の石組の庭園です

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左右の庭園に挟まれた石段を上ると本堂です

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天台宗系の粉河観音宗の総本山です

創建は宝亀元年(770)  開祖は大伴孔子古(おおとものくじこ)です

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西国33カ所の寺院の中でも最大の堂です

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ご詠歌の中でも

私はこの3番のご詠歌が胸に沁みます

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夕刻も迫り参拝客の姿も見当たりません

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大きなクスノキです

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これは国宝の粉河寺縁起絵巻です

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チェックインです  16:45分

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ひと風呂を浴びてからお食事です   19:00

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旅館お勧めのクエ鍋料理で、最高でした

一人、税込み12,960円です

なんと20:00には夢の中でした

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前回の粉河寺の記事です



2015(平成27)年10月8日(木) 晴れ

普段から寝覚めの良い私ですが

夜の明けるのを待って早朝の粉河寺周辺を散策してきました  6:00

旅館の真ん前の神社です

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ご神木  樹齢1000年余  高さ25m  胴回り15mのクスノキで

和歌山県下でも第3位の巨木です

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清々しい朝の空気です

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大門の金剛力士像、仏師春日作と伝えられています

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振り返ってみましょう

まだ街中は眠っています

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中門のは扁額は藩主直筆の風猛山で山号にもなっています

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四天王像も勢ぞろいです

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名勝の庭園

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独り占めです

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本堂です

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この所在は分からずじまいでした

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朝早くから参道の掃除、お参りする方も数人見かけました

1時間弱の散策でした

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朝食は7:00  家内も起きていました

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昨夜の泊り客は国体の仮設の取り壊しに見えた方々が大半でした

食堂に掲げられていました   西国33か所の散華です

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てんこ盛りのお料理で

もてなしていただいた女将さん、話し好きで

家族旅行にはうってつけの旅館でした

帰りに手造りの粉河味噌を頂きました

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8:15  宿を出ます

岩出市の根来寺が近くですので寄ってみました

大きな無料 駐車場 もあります

開祖、覚鑁(かくばん)=興教大師は平安後期の真言宗の僧で

36歳で金剛峰寺の座主に就任、空海以来の才と称され

空海の開祖から300余年

高野山では権力亡者の上僧や信心の薄い下僧が幅を利かせ

覚鑁は腐敗衰退した様を嘆き立て直しを図ります

しかし高野山勢の抵抗も激しく

高野山を追われた覚鑁上人は弟子一派とともに根来山に移り根来寺を建立します

覚鑁の死後、頼揄(らいゆ)を中心として

覚鑁の教義、解釈を基礎とした新義真言宗を発展させていきます

覚鑁(かくばん)は真言宗中興の祖であり、新義真言宗の始祖です

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根来寺の最盛期、室町末期(1570年ころ)には

坊舎450を数え一台宗教都市を形成し根来衆と呼ばれる1万余の僧兵を擁する

一大軍事集団にもなっていました

その大規模な兵力を恐れ、天下統一を目指す秀吉は抜き打ち的に

この根来寺、粉河寺を焼き討ちに出、壊滅的な打撃を与えます

徳川の世になり、両寺の復興、再現も許されました

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まだ寺院は開いていません   9:10分  入山料500円

大伝法堂    根来寺を総括した本堂で僧侶の修行の場です

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国宝の大塔です

高さ40m、幅15mの日本最大の多宝塔です

秀吉の焼き討ちから奇跡的に残ったものです

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境内配置図です   34万坪の広さです

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この建物は本坊事務所です

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鐘楼門

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春の桜や秋の紅葉もよさそうなところです   日本さくら名所100選のひとつです

聖天池

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この大谷川から上はその名も、もみじ谷公園となっていますね

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根来寺から道路を隔てたところに大門があります

その道程には民家も建ち、かっての寺域の広さが分かります

高さ16,88m  幅17、63m  奥行6m

江戸末期の嘉永3年(1850)再建のものです

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根来僧により、種子島に伝来した火縄銃一挺が持ち帰られ

本州における国産初の火縄銃が生産

僧兵による鉄砲隊も誕生

ほどなく近在の雑賀荘に生産地が移り

雑賀衆、根来衆という鉄砲隊が生まれ

一大勢力となり、

これを恐れた秀吉の紀州征伐につながっていったものだと思われます


有難うございました