2015(平成27)年10月6日(水)
高野山巡りも大門~壇上伽藍~金剛峰寺と巡り
奥の院の入口まで来ました 11:40分
出発点の一の橋です
一歩足を踏み入れるともうこの気配
ここから1,9kmの参道を歩きます
参道沿いには時代や宗派、身分の違いを超えた人々の
墓石や供養塔が立ち並び
うっそうとした杉木立に包まれて立つ墓石は20万基以上と言われています
一の橋からの参道には著名人や戦国武将の墓も多く
墓碑巡りをしながら歴史感覚も楽しめます
まず眼に入ってきたのはこの白い塔
戦没者慰霊の塔です
同期の桜
その奥には、大俳優でもあり歌手でもあった
鶴田浩二さんの墓がありました、 昭和62年(1987)6月63歳にて没
この人の朗読、同期の桜は大ヒットしましたね
奥州仙台藩、伊達家墓所
加賀、前田家墓所
私の好きな作家、司馬遼太郎さんの文学碑です
平成8年(1996)2月、73歳没
薩摩、島津家墓所
歴史ある大木です
大師の腰かけ石です
大きな墓が続きます
石田三成の墓所
近くに明智光秀
こちらは南海電鉄創業者 松本重太郎氏の墓
歌舞伎の市川団十郎の墓
汗かき地蔵と姿見の井戸です
仁丹の森下家の墓
安芸の浅野家
案内人さんの説明が聞こえてきます
右が松平秀康、左がその母の霊屋です
奥の院、弘法大師御廟のすぐ前に
織田信長の墓と、なぜか左隣に筒井順慶の墓があります
参道の終着地です 12:30分
参道の図です
沢山の墓があり、見落としたものも多数あります
墓というと霊が浮かびますが
ここ高野山では霊媒の気配は感じませんでした
御廟橋です
ここから先は弘法大師御廟前の霊域です
御廟では弘法大師が永遠の禅定に入っておられます…
脱帽、 写真はご法度です
お参りをすませ戻ってきました 12:50分
弘法大師(空海)は平安初期の僧で
讃岐国多度郡屏風浦(現香川県善通寺市)の生まれです
四国八十八カ所は四国にある大師ゆかりの88カ寺の総称です
ご供養所
帰り道に入ります 13:15分
中の橋までの参道ですが
こちらは、杉木立もなく陽も差し明るい参道です
企業の墓が目立ちます
シャープです
これは朝鮮半島の方の墓でしょう
福助
新明和工業
中の橋からの参道、発着点です 13:25分
ここは高野山東の入口
乗用車183台の大型無料駐車場もあります
やっと中の橋でお昼御飯です
私はそば定食 味は薄味でした
家内は和歌山ラーメン
帰りも東の入口、中の橋から
西の端のまで歩きます 3km程です 14:15分
うまく高野槇がカメラに入りました
駐車場到着が15:20分
ここで友達御夫婦とはお別れ
彼らは次男の自宅、横浜へ
私たちはやっと探し求めた粉河寺前の丸朝旅館さんに向け出発です
メロママ&じーじーさん
今回の旅行も楽しかったです
次回もまたよろしくお願いいたします
R480を経て粉河寺門前の丸朝旅館に到着 16:10分
日が暮れるまで間があります
西国33か所の3番粉河寺を少し歩き宿に入りました