2015(平成27)年10月6日(水)
高野山金剛峰寺は弘仁7年(816)
空海(弘法大師)によって開かれ高野山真言宗の総本山で
座主の住寺でもあります
壇上伽藍から金剛峯寺までは蛇腹の道を進むと極わずかです
この辺りは紅葉のスポットで少しですが色づきだしていました
金剛峯寺前の駐車場
ツアー客の大型観光バスが目立ちます
表門(正門)に向かいます 10:45分
文禄2年(1593)再建の門です
ここらも紅葉のスポットで例年10月下旬~11月上旬だそうです
表門(正門)から見た主殿です
表門の所に…何かの魔除けなのでしょうか
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の上に桶が置かれています
天水桶と言い
普段から雨水をためておき、火災が発生しても
火の粉が飛んできても燃えあがらないようにとの自衛策の一つです
右は末寺3,600を所管する社務所です
妙なものに目が行きました
一つ一つに願いや思いが書かれています
出口の下門です
境内を振り返ります
金剛峯寺を後にします 10:55分
わずか10分ほどの見学でした
迂闊にも総本山金剛峯寺の拝観を見逃してしまいました
見どころ満載の内部をホームページからお借りします
主殿の大広間は重要な儀式や法要が執り行われるところです
襖の群鶴(ぐんかく)
松の絵はともに狩野方眼元信(1476~1559)の筆と伝えられています
正面奥には持仏間があり
本尊に御大師さまを泰安し、両側に歴代天皇御尊議のお位牌、
歴代座主のお位牌をおまつりしています
その他、梅の間 襖絵は梅月流水、狩野探幽斎守信(1602~1674)の筆
柳の間 山本探斎による柳鷺図
この座敷は文禄4年(1595)
二代目関白、豊臣秀次が自害したことから秀次自刃の間とも呼ばれます
昭和9年(1934)建築の別殿の襖絵は
守屋多々志画伯の作で
西側の間は、四季の花鳥が描かれ
東側の間は大師様の唐から高野山草創までの風景が描かれています
昭和59年(1984)大師入定1500年の際に造園された
蟠龍庭(ばんりゅうてい)は2,340平方mの石庭で国内最大級です
台所
一つの釜で七斗(98kg)米を炊くことが出来
大釜、三つで一度に二石(2,000人分)炊いたそうです
金剛峰寺から奥の院の参道入り口
一の橋までは約1km程
お土産物屋さんも多く賑やかな道筋をぶらり、ぶらりと進みます 11:00
やはり宗教関係のお土産物屋さんが多いです
現在地の確認です 千手院橋あたりで高野山の中心街です
食事は団体予約で満席御礼です
みろく石本舗、かさ國さん
和薬の元祖、陀羅尼助
胃腸病に効くとされています
ひと際目立った極彩色の建物が見えます
ビルマに関連したお寺のようです
友人ご夫妻はマレーシアに
9年滞在されていますからこういった寺は見慣れていました
外国人観光客も見かけますが
ここでは爆買いの中国人ツアーは見かけませんでした
高野山の町にマッチしたガードレールです
刈茅堂に到着です
石童丸物語が絵図で掲げられています
残念ながらここも喫煙所で
一服をしていましたので見逃してしまいました
塔頭の一つ、恵光院(えこういん)です 宿坊も兼ねています
奥の院の入口
一の橋観光センターです 11:40分
ここから奥の院に向かいます