2015(平成27)年9月26日(土)  くもり / 晴れ

ステップ旅行さんの日帰りツアーです

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このお値段で食事つき

年金生活者には有難い企画です

二人で消費税8%込み8,600円です

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信楽たぬき村 右矢印 近江八幡 右矢印 関ヶ原、花衣吹(昼食)

養老町ファッション工房、高木ミンク 右矢印 養老の滝

ただ行く先は重複したところばかりです

松阪駅7:20分集合  7:40分 出発

このバスで36名乗車です

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8:50分   たぬき村到着  

ステップさんだけでバス4台の御到着です

狸さんもビックリ

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9時20分に出発です

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10:10分 近江八幡、日牟礼八幡宮到着

八幡宮前のこの光景は好きですねー

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正面にロープウェイも見えます

今度はぜひ乗ってみたいですね

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まずは日牟礼八幡宮にご参拝

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街中散策に向かいます

前回、船下りした八幡堀です

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近江八幡関連の記事です


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11:30分出発ですので

1時間ほどしか時間がありません

先ずヴォーリズの像からスタートです

近江八幡名誉市民ウイリアム、メレル、ヴォーリズは1、880(明治13)年10月3日

米国カンザス州レブンワース市に生まれ

両親の感化により信仰心の厚かった彼は1905(明治38)年2月

24歳の時、国際YMCAから英語教師として

滋賀県立商業高校(現八幡商業高校)に来日しました

熱心にキリスト教伝道活動を行うとともに

卓越した建築設計で全国各地の1,600もの建築に携わり

医療や教育、文化にと多大な功績を残し

1,964(昭和39)年、83歳で亡くなるまでこの地で過ごしました

近江八幡にはヴォーリズによる建築物が今も20軒ほど現存しています

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米西部開拓史誕生の地、カンザス州レブンワース市と

近江商人発祥の地、近江八幡市は

ヴォーリズの縁で

1997年、兄弟都市提携を結びました

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またヴォーリズ像の前には

彼が興したメンソレータム(現メンターム)の近江兄弟社の本社ビルが現存し

一部が無料で公開されています

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残念ながらこの日は休館でした

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散策の足取りです

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近江商人の色濃く残る新町通りに足を踏み入れます

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重要文化財の旧西川家住宅ですが

入場券はこの先の資料館でお求めくださいとあります

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旧西川家住宅です

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道を挟んで森五郎兵衛邸があります(非公開)

現在も東京日本橋室町で近三商事として存続しています

昭和54年、市に寄贈された歴史民俗資料館は森家の控宅でした

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郷土資料館

昭和49年、近江八幡警察署の敷地、建物の譲渡を受け

開設された洋風建築で

昭和28年にヴォーリズ設計事務所により改築されています

敷地はかって安南(ベトナム)貿易で活躍した

西村太郎右衛門邸跡です


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ここで四館共通の入館券を購入します

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入り口に写真が掲げられています

NHK朝の連続テレビ小説第39作、はっさい先生の八幡小学校にてのロケの写真ですね

1987年(昭和62)10月~翌年4月まで放映され

平均視聴率38,1%と好評を博しました

左より同僚女教師役の平淑恵さん、ヒロインの若村麻由美さん、校長役の中村嘉葎雄さん

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夫役は渡辺徹さんでした

坊ちゃんの女性版で、はっさいとはおてんばの意です

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1階資料館に入ります   花火ですね

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近江八幡ゆかりの品々です

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二階に参ります

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二階は近江八幡の成り立ちです

縄文時代から人々が住み始め古代、中世を経て

この地が歴史上注目されだしたのは

戦国時代1、579(天正7)年、織田信長が安土の地に城と城下町を築いた時からでした

その信長が本能寺の変で斃れ

天下人となったのは秀吉でした

秀吉は姉ともの子、秀次に近江八幡20万石を与えます

1,585(天正13)年、秀次は八幡山に城を築き城下町を開きました

この時、安土城下の町と共に住民も近江八幡城下に移り住み

後の八幡商人輩出の基盤となります

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秀吉の甥、秀次は

秀吉に取り立てられ関白の座まで昇り詰めますが

最期は秀吉の逆鱗に触れ

一族もろとも惨殺、儚い末期を高野山で迎えます

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秀次の後の八幡山城は

1590(天正18)年、京極高次に引き継がれましたが

その5年後に京極家は近江大津6万石に移封

八幡山城は築城後わずか10年で廃城となり

以降、在郷町として八幡商人の町として現在に至っています

二階となりの部屋に移ります

ヴォーリズ夫妻のコーナーです

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とりわけヴォーリズ夫人、一柳(ひとつやなぎ)満喜子さんの生涯でした

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父は兵庫県加東郡小野町の元藩主で、維新後は貴族議員となった一柳未徳子爵

満喜子はその3女として生まれましたが4歳の時母は病気で死別します

神戸女学院音楽部卒後、単身で米国ペンシルバニア州

ブリン、マー大学で学ぶため渡米

父の病気で一時帰国していた満喜子は

大正8年(1919)運命的な出会いで15歳年上のヴォーリズと結婚します

満喜子35歳でした

大阪の豪商加島屋の廣岡家(加島銀行を創設、今日の大同生命の設立母体)は

満喜子の兄の婿入り先でした

その廣岡家が増改築をヴォーリズに依頼した際

9年間渡米していた妹の満喜子に通訳の白羽の刃が当たり

ヴォーリズが聡明な彼女に一目ぼれしたのが縁でした

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以降、夫唱婦随で教育、文化、医療、宗教と

近江八幡の地で活躍し続けました

ヴォーリズは帰化し日本名は一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗りました

米来留(めれる)とは、米より来たり留まるの意です

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1,969(昭和44)年

ヴォーリズの死後5年、満喜子も永眠

二人はともに近江八幡市北ノ庄町の恒春園に眠っています

夫婦の間に子はありませんでした

1階に降ります

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資料館と歴史民俗資料館は繋がっています

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旧き懐かしいものが並んでいます

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この歴史民俗資料館は

昭和54年、元近江警察署長官舎であったものを譲り受け開設されたものです

建物は八幡商人の中でも豪商とされる

森五郎兵衛の控え宅で江戸末期の建築です

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八幡商人の当時の用具、日常品が展示されています

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流し台と木の冷蔵庫

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床の間

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近江商人は江戸時代に

近江に本店を置き、全国で商いをした商人たちのことで

近江八幡、八幡商人は

近江商人発祥の地の一つとされています

天秤棒一つで日本全国を商いしてまわり

江戸日本橋をはじめ、当時の日本の主要都市に出店を構え活躍した

近江商人は

質素倹約、質実剛健をもと信用を第一としていました

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                         金銭受払帳           奉公人手形
                                              
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両資料館の正面に

八幡教育会館の建物があります

旧伴(ばん)家住宅で近江八幡市指定文化財です

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建物は文政10年(1827)~天保11年(1840)にかけて

7代目能尹(よしただ)が建てたもので当時としては珍しい3階建てです

土間中央で一際、目を引く左義長です

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入ってすぐに大きな土間がひろがり

吹き抜けや約40cm角の大黒柱は3階の屋根裏まで延び

その豪快な造り、巨大な空間に圧倒されます

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二階には45畳の大広間があります

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頑丈な造りです

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3階には地震の間という呼ばれる部屋も

あるそうですが、この時点では気づきませんでした

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展示品の一部です

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旧伴家住宅は江戸時代初期の豪商伴家です

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道を一つ隔てた

郷土資料館からの旧伴家住宅の全景です

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姉妹都市の説明もありました

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最後にお目当て

重要文化財指定の旧西川家住宅です

大文字屋、西川利右衛門家住宅は江戸時代初期

宝永3年(1706)に建てられ

京風の質素な中にも洗練された意匠を残しています

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西川利右衛門家は第11代徳浄氏まで約300年続いた

近江八幡を代表する近江商人で

屋号を大文字屋と称し

蚊帳や畳表などを主に扱い財を成しました

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昭和5年、後が絶え

分家の西川庄六家から市に土地と建物が寄贈されました

庄六家は西川利右衛門2代目の子、庄六が祖です

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松前屏風です

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庭園です

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解説です

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西川家の分家

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西川庄六家のナグリ腰板塀です

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他にも

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興味ある旧宅が続きます

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バスに戻る時間です  11:15分

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クラブ、ハリエさんでお土産を買い

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なんとか間に合いました

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一路、岐阜に向かいます

お天気も回復し琵琶湖がいいですねー   12:00

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車窓からですが国宝、彦根城も見えます  12:10分

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一路、美濃を目指します

続きます