2015(平成27)年5月23日(土)
 
地階部分は見学が終わりました
 
美術館でいう地上の見学に移ります
 
(美術館の建物が山の地中にあり山から出たところを地上とみなしているようです)
 
イメージ 1
 
地上の案内図です
 
まず1階部分です
 
イメージ 2
 
2階です  どちらも現代物の展示です
 
イメージ 3
 
1階フロアです   学生さんたちですね
 
イメージ 4
 
ピカソの 『ゲルニカ』 です
 
イメージ 5
 
皆さん解説を聞いています
 
イメージ 6
 
故国スペインの内戦を憂いた作品で
 
1937年制作  マドリード、ソフィア王妃芸術センター
 
349cmx777cmの大作です
 
イメージ 7
 
少し足早にめぐってみましょう
 
抽象画家エルバン、オーギュスト(仏)1882~1960
 
真夜中
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
アルメニア生まれの米国20世紀を代表する画家14名に選ばれています
 
肝臓は雄鶏のとさか
 
イメージ 10
 
アンディー、ウオーホル(米)1928~1987
 
画家、版画の他ロックバンドのプロデューサー、映画製作も手掛けた
 
商業美術、マルチアーティストの旗手です
 
マリリンの二連画
 
イメージ 11
 
イメージ 12
 
10の緑色の惨事
 
イメージ 13
 
ローマへの道=ディルヴォー、ポール(ベルギー)1897~1994
 
1941制作   油彩  77cmx107cm
 
イメージ 14
 
クライン、イヴ(仏)1928~1962
 
単色の作品、モノクロ二ズムを代表する画家
 
イメージ 15
 
イメージ 16
 
現代の作品の方が疲れますね
 
少し屋外に出てみましょう
 
イメージ 17
 
爽快です   1階庭園  12:30分
 
イメージ 18
 
私の仲間もここで既に談笑していました
 
イメージ 19
 
話がまとまり軽食を
 
イメージ 20
 
私はもう少し見残していますので急ぎ戻ります
 
シャガール、マルク(仏)1887~1985年
 
20世紀のロシア(現ベラクーシのヴィッテブスク)で生まれ
 
シャガール自身も東欧系のユダヤ人です
 
生涯、妻ベラを敬愛し、ベラへの愛や結婚をテーマとした作品が多く
 
別名、愛の画家とも言われています
 
『詩人 3時半』
 
1911年制作  195,9cmx144,8cm  米、フィラディルフィア美術館
 
イメージ 21
 
シャガール=農夫の生活
 
少年時代の回想記として描かれた作で副題はロシアの村です
 
米、バッファロー、オールブライト、ノックス美術館
 
1925年制作  100cmx81cm
 
イメージ 23
 
1933年に誕生したナチス政権によるユダヤ人迫害は年々厳しくなり
 
シャガールにとっても深刻な事態となってきました
 
1938年、シャガールは大作、白い磔刑を描き
 
2年後この殉教者を世に出しました
 
スイス、チューリッヒ美術館
 
イメージ 24
 
1941年シャガールはナチスの手から逃れるためアメリカに亡命
 
1944年秋パリは解放されますが
 
喜びもつかの間、最愛の妻ベラを亡くします
 
1年間ほどシャガールは放心の日々を送り
 
悲しみに暮れる中手がけたのがこの作品です
 
1945年制作  131,2cmx108,9cm  パリ、ポンピドーセンター
 
『彼女をめぐりて』
 
イメージ 22
 
シャガール1974~77にかけての作
 
『イカロスの墜落』
 
イカロスはアテナイでは名工ダイダロスの子
 
神話ではイカロスは海に墜落するのですが、このイカロスは
 
群衆の見上げる村の広場に落ちています
 
シャガールの絵に登場する村や家々は故郷のヴィテブスクが殆どで
 
この村も第二次大戦で破壊されてしまっています
 
村人たちは悲劇からようやく解放され
 
イカロスの墜落を眺めています
 
シャガールにとってヴィテブスクの村は心の故郷です
 
213cmx198cm  パリ、ポンピドゥーセンター美術館
 
イメージ 25
 
先を急ぎます
 
イメージ 26
 
ウンベルト、ポッチョーニ(伊)
 
水平の量感
 
イメージ 27
 
フェルナン、レジェー1881~1955年
 
機械的要素
 
1924年制作  スイス、バーゼル美術館
 
イメージ 28
 
アメデイオ、モディリアー二(伊)1884~1920年(35歳没)
 
ユダヤ系のイタリア人で
 
制作活動は主にパリ、芸術家の集うモンパルナスで活躍し
 
彼の生涯は半ば伝説化し映画化もされています
 
彼の伝記映画
 
1958年、モンパルナスの灯 (仏)
 
監督  ジャック、ベッケル  現金に手を出すな(ジャン、ギャバン主演)
 
主演  ジェラール、フイリップ
 
アヌーク、エーメ(妻ジャンヌ、エビテルニュ役)
 
上  ポンパドゥール婦人の肖像  米、シカゴ美術研究所
 
下   座る裸婦  英ロンドン、コートールド美術研究所
 
イメージ 29
 
ピカソ、コーナーです
 
イメージ 30
 
ピカソ(スペイン)1881~1973年、91歳没
 
イメージ 31
 
自画像、20歳の頃です
 
イメージ 32
 
イメージ 33
 
以下、ピカソの作品が続きます
 
『玉乗りの少女』   モスクワ、プーシキン美術館
 
イメージ 34
 
ピカソは長い名前の例としてよく引き合いに出されますが
 
通称パブロ、ピカソ   ピカソだけでも充分通用します
 
『オルタ、デ、エブロの工場』  サンクトペテルブルグ、エルミタージュ美術館
 
イメージ 35
 
『カーンワイラーの肖像』  米、シカゴ美術研究所
 
イメージ 36
 
ピカソは生涯に2回結婚、3人の女性との間に4人の子供があります
 
『マンドリンとギター』   ニューヨーク、グッゲンハイム美術館
 
イメージ 37
 
『ダンス』  ロンドン、デートギャラリー
 
イメージ 38
 
『窓辺に座る女』  パリ、ピカソ美術館
 
イメージ 39
 
ピカソにはかけがえのないパートナーがいました
 
幼いころから鳩が好きだったピカソは
 
鳩は生涯の友であり
 
妻でさえ入れないアトリエに鳩だけは出入りができました
 
『女=花(フランソワーズ)』  スイス  個人所蔵
 
イメージ 40
 
1943年ピカソ(62歳)は21歳の画学生フランソワーズ、ジローと恋に落ち
 
1946年から同棲、パロマとクロードの二人の子を得ました
 
下の絵はその当時の画でしょうか
 
『遊ぶクロードとパロマ』  パリ  個人所蔵
 
イメージ 41
 
しかしフランソワーズは
 
1953年、二人の子供を連れピカソの許を去ります
 
ピカソの支配欲の強さと嗜虐癖に愛想をつかしたのが因だと言われています
 
ピカソを捨てた唯一の女性です
 
『裸婦とパイプの男』  
 
スイス、ルツェルン、ローゼンガルド美術館
 
イメージ 42
 
ピカソは美術史上もっとも多くの自画像を描いた画家で
 
この自画像は死の10か月前の作品です
 
65,7cmx50,5cm   個人所蔵
 
イメージ 43
 
随分、精力的に歩きました
 
14:30ホテル発の神戸、大阪行きシャトルバスの兼ね合いもあります
 
ここらで大塚国際美術館とはお別れです  13:30
 
早や帰路のバスです
 
景色のよい淡路サービスエリアで休憩
 
イメージ 44
 
いいところですね
 
イメージ 45
 
明石海峡大橋が見えています
 
イメージ 46
 
大きさの表示です  支柱間  960m+1991m+960m
 
イメージ 47
 
対岸は神戸方面です
 
イメージ 48
 
2年後の同期会は有馬温泉です
 
イメージ 49
 
 
有難うございました