2015(平成27)年2月13日(金)
 
亀山市民協働センターから
 
次の展示場、館家(たてけ)に向かいます
 
城下町です、狭い道路の下り坂です
 
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広い道路に突き当たりました
 
左はJR亀山駅、右に行けば亀山城、館家は直進です
 
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御覧のように亀山は
 
亀の甲の甲羅のような山の上に出来上がった城下宿場町です
 
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ここにも屋号が表示されています、西町ですね
 
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お土産物屋の岡田屋本店さんです
 
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お目当ての旧舘家(たちけ)住宅です
 
通常は土日と祝日の開館となっていますが
 
東海道のおひなさま開催中で開いています  入場は無料です  14:50分
 
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入ってすぐ目に飛び込んできたのは
 
きれいな吊るし雛でした
 
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とりあえずお部屋を一巡させていただきましょう
 
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やたらと真っ赤なお部屋に吊るし雛が目立ちます
 
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このつるし雛は山形県酒田市のものでしょうか
 
笠福の下につるされていますね
 
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酒田のつるし雛のほかには
 
静岡、稲取の雛のつるし飾り
 
福岡、柳川のさげもんが日本三大つるし雛です
 
立派なおひなさまも飾ってあります
 
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この亀山ではウサギのひな飾りがよく目につきます
 
亀とウサギ ❔
 
音譜 もしもし亀よ、カメさんよ…からかなー  ❔    見当がつきません
 
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部屋一杯のひな壇飾りです
 
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縁側もうまく利用されています
 
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これは珍しくお内裏さまが天神さんでしょうか
 
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二階にもどうぞということで上がりました
 
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土壁のままの状態です
 
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舘家(たちけ)は幕末から明治、大正にかけ
 
呉服商を営んでいた大店でした(屋号は枡谷です)
 
この主屋は明治6年(1873)建てられたもので
 
亀山宿を代表する商家建築として平成19年市の指定建築文化財に指定されています
 
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下に降りてきました
 
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ひな壇とつるし雛がうまく配置されています
 
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今度は土間の見学です
 
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茶室もあります
 
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奥には庭も
 
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土間から撮りました
 
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男性お一人と女の方三名が詰めておられました
 
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女の方はつるし雛の創作中です
 
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同年輩のような感じです
 
話も弾み、イベントごとに会場に出向いて見えるとのことで
 
土日は、亀山城多門櫓にいるとのことです
 
男の方の話では
 
この館家(たてけ)のご子孫は東京に出られ
 
この屋敷、建物等を開放されているとのことです    15:30分
 
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少し亀山城まで足を延ばしてみましょう
 
前方に多門櫓が見えてきました
 
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現在は多門櫓と石垣、外堀等が残るのみです
 
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亀山城は文永2年(1265)関実忠が若山の地に築城したのが起こりで
 
以降、元亀4年(1573)織田信長により追放されるまで関氏200年、16代の居城でした
 
この地に移ったのは16世紀の半ばころ関氏終盤の頃です
 
その後、岡本、三宅氏が入城
 
東海道の要所ということもあり城主はその多くが徳川譜代大名が任ぜられました
 
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寛永13年(1636)本田俊次が城主となり
 
東西700m南北500mの縄張りが確定し城の外周に濠をめぐらし
 
本丸、二の丸、東三の丸、西の丸と3年をかけ
 
城を完成させました
 
このころでしょうか亀山城は別名姫垣を意味する
 
粉蝶城(ふんちょうじょう)といわれています
 
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目まぐるしく八家で持ち回った城主も
 
延亨元年(1744)以降は石川氏が明治維新(1868年)まで
 
120年、11代城主を歴任していました
 
多門櫓から見下ろす亀山の城下です
 
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近くの公園には蒸気機関車が設置されています
 
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そうそう亀山は鉄道の町としてマニアには評判です
 
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外堀のあたりを巡ってみましょう
 
この奥に花菖蒲園があります
 
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大きな木ですね  クスノキ科タブノキと記されていました
 
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参考図です
 
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時刻も16:00です
 
 
関宿に向かいます