2014(平成26)年11月27日(木)
 
あえてこの寺は百済寺(ひゃくさいじ)と呼ばれています
 
この百済寺の歴史は古く
 
推古天皇14年(606)
 
聖徳太子が百済人のために創建された古寺で
 
開創当時の御本尊は
 
太子自作の植木の観音であったと伝えられています
 
1400年の歴史ある古刹です
 
御堂は百済国の龍雲寺を模して建てられ
 
高句麗の僧、恵慈を導師として
 
渡来系氏族の氏寺として開創されたものと思われます
 
百済寺に向かっています
 
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Ⓟに車を止め入場門に向かいます   15:25分    250台  無料
 
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当時の渡来人の百済の読み名はハクサイと呼ばれてい
 
開創当時のこの寺の呼び名はひゃくさいじと呼ばれていたもので
 
今もこの寺の呼び名がくだら寺ではな
 
くひゃくさい寺であることが理解できます
 
以下寺歴です
 
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昭和59年作の案内図です
 
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こちらが最近の境内図です
 
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表門前のⓅでしょうか
 
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ここが受付ですね
 
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入山料は500円です    15:30分
 
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入ってすぐの本坊、喜見院庭園です
 
東の山を借景に山腹を利用した池泉廻遊式庭園で巨石も多く
 
別名、天下望遠の名園と称されています
 
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聖徳太子が仏教の進展を願い共に植えられたハナノキです
 
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天下望遠の名園と言われる地に出ました
 
下の写真と対比してください
 
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霞んでよく見えませんでした
 
琵琶湖から、さらに先の比叡山55km程は望め
 
さらに880kmその先には往時の祖国、百済があり
 
当時の渡来人が母国を偲びこの高台に立ったものと思われます
 
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庭園から本堂方面に向かいます
 
前方の石垣は城壁化された百済寺城の石垣の一部です
 
小石を積み上げただけの石垣で破壊されずに残りました
 
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石段の表参道でなく脇参道を歩きます
 
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仁王門に立ち寄ってみましょう
 
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この仁王門は本堂と同じく江戸時代初期に再建されたものです
 
三間二間で一対の金剛力士像が向き合い
 
一対の大草履に触れると身体健康、無病息災の
 
ご利益があると云われています
 
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作家の五木寛之氏が百寺巡礼の際
 
三十五番目に当寺を参拝時、この大草履に触れ
 
百寺満願を達成され、この大草履も脚光を浴びました
 
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本堂に向かいます
 
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本堂は海抜350mの位置にあり
 
信長により全山焼失しましたが
 
江戸時代の慶安3年(1650)に再興されました
 
三代将軍、徳川家光の時代です
 
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現在の本堂は一重、五間六間、入母屋造りです
 
秘仏の本尊2.6mの十一面観音立像が安置されています
 
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パンフレットの百済寺本堂の紅葉です
 
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旧本堂はここよりもさらに上、海抜365mの地にあり
 
現在の本堂の10倍の広さを持ち
 
五重塔も建っていました
 
現本堂の4倍の7間4面2層の本堂と
 
3.2mのご本尊が安置されていました
 
最盛期には湖東の小叡山とまで称されていました
 
鐘楼です    昭和の名鐘と記されています
 
確かにいい音色がジーンと響き渡る感がしました
 
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帰り道です
 
行に見落とした弥勒半跏石像です
 
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石垣の印象が強い脇参道です
 
表参道は石段がきつそうです
 
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百済寺を後にします  16:00
 
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秋の日は鶴瓶落としといい
 
日の暮れるのが早いです、何とかもう一ヵ寺、永源寺を目指します
 
 
続きます