2014(平成26)年11月3日(月)文化の日
今日は大黒屋光太夫記念館の訪問です
江戸時代後期、伊勢白子港から江戸にむかった廻船が
遠州灘で嵐に遭い8か月間漂流し
アリューシャン列島のアムチカ島(当時のロシア領)に流れ着きました
以降母国に帰りたい一心で苦難の末10年後に帰国した
大黒屋光太夫とその船乗りの地を訪れてみました
伊勢国白子は現在の鈴鹿市
鈴鹿サーキット、本田技研鈴鹿製作所がありモータースポーツの町で
人口20万人で四日市市、津市に次いで3番目の市です
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/77/bc/j/o0500036014491386014.jpg?caw=800)
光太夫記念館に向かう前に
鈴鹿ではあなご料理の専門店
伊勢若松の魚長さんにより腹ごしらえしましょう
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/87/20/j/o0500037514491386019.jpg?caw=800)
ここは月曜日が定休日です 13:30分
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/f7/5e/j/o0500037514491386023.jpg?caw=800)
カウンター、いす席とありますが奥の座敷に案内されました
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/0d/65/j/o0500037514491386025.jpg?caw=800)
お品書きです
人気はあなご寿司とあなご丼です
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/3f/b0/j/o0500037514491386031.jpg?caw=800)
眼を通していると新商品のメニューがありました
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/94/51/j/o0345050014491386035.jpg?caw=800)
私は新物食いですので迷わずこれを
あなごは大きく柔らかく
海老はぷりぷりで美味しかったです
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/cf/73/j/o0500037514491386043.jpg?caw=800)
家内の方はこれ
穴子一本天丼1080円 穴子が二本ですと1530円です
穴子一本でも結構ボリュームがあります
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/ee/4a/j/o0500037514491386047.jpg?caw=800)
県道6号線からみた魚長さんで手前は宴席用の別館です
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/21/66/j/o0500037514491386052.jpg?caw=800)
魚長さんと県道6号線を挟んで向かいに
こんな建物もありました
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/95/51/j/o0500037514491386060.jpg?caw=800)
お腹も膨れ
大黒屋光太夫記念館に向かいます 14:05分
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/fe/ed/j/o0500039414491386063.jpg?caw=800)
光太夫記念館は若松小学校のすぐ近くです
駐車場が狭く近くの若松地区市民センターの駐車場に停めました
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/13/6d/j/o0500037514491386069.jpg?caw=800)
入館は無料です 14:20分
休館は毎週、月火曜日と第3水曜日で年末年始もお休みです
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/78/4e/j/o0500064814491386074.jpg?caw=800)
伊勢若松で生まれ育った大黒屋光太夫は
天明2年(1782)12月13日
船頭光太夫を含め乗組員17名で神昌丸に荷を積み
江戸に向け白子の港を出ました
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/0e/ba/j/o0500037814491386080.jpg?caw=800)
途中遠州灘で嵐に遭い船は北へ北へと流されます
漂流すること8か月
アリューシャン列島のアムチトカ島(当時のロシア領)に流れ着きました
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/2d/fe/j/o0500026714491386087.jpg?caw=800)
アムトチカ島では先住民のアレウト人や
毛皮商人のロシア人らと共に生活しロシア語を覚えます
北の果てでの島生活は厳しく
仲間は漂流した17名から9名となっていました
4年後(1787年)、流木で作った舟でカムチャッカに渡り
(カムチャッカで3名亡くなり生存は6名)
零下50度を超える原野を旅しオホーツク、ヤクーツクを経由
1789(寛永元年)1月26日、イルクーツクにたどり着きます
伊勢の白子を出てから早や7年の歳月が経っています
![イメージ 37](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/a8/1e/j/o0500026914491386090.jpg?caw=800)
シベリア第一の都市イルクーツクに着いたのは
光太夫、磯吉、小市、新蔵、庄蔵、久右衛門の6名でした
イルクーツクで出合ったの
はキリル、ラックスマンという自然科学者でした
帰国を希う彼らに同情、尽力し
当時のロシア最高権力者の女王エカテリーナ二世に
謁見の機会を与えるのでした
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/332.gif)
イルクーツクでは久右衛門が病死、凍傷で庄蔵は片足切断
キリスト教に帰依し帰国を断念した新蔵、庄蔵と
あくまでも帰りたい光太夫、磯吉、小市の5名が残りました
イルクーツクから6000km離れた首都ペテルブルグに
光太夫は一人で出かけました
1790(寛政2年)12月22日のことでした
6000kmの道程を光太夫はひた走り一か月余で
ペテルブルグに到着しました(翌年の1月28日)
![イメージ 38](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/c3/00/j/o0500027314491386096.jpg?caw=800)
女王への謁見、帰国願いまで待つこと四か月かかりました
ツァールスコエ、セローのエカチェリーナ宮殿
![イメージ 22](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/46/fb/j/o0400026414491386100.jpg?caw=800)
謁見では光太夫の悲壮な帰国への思いが
女王エカテリーナ二世に通じ
女帝の【ペンヤンコ】=かわいそうにの一言で帰国の感触を得ました
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/7b/d9/j/o0407050014491386104.jpg?caw=800)
正式に帰国が許されました 寛政3年8月27日
ロシアの首都ペテルブルグで
光太夫は宮殿をはじめとする壮麗豪華な都のたたずまい
天文台、図書館、病院、銀行、劇場の文化を目にし
故国、日本にこの現況を伝えずにはと思うのでした
同年、寛政3年(1791)11月1日
光太夫は女帝エカテリーナ二世に招かれ
日本人として初めてお茶会をたしなみ
その後11月1日が紅茶の日として制定されました
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/d3/f4/j/o0390050014491386108.jpg?caw=800)
また、この間
光太夫は日本地図を描いています
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/65/b0/j/o0777040014491386113.jpg?caw=800)
寛政3年11月12日、首都ペテルブルグを出発
モスクワを経由し
12月21日、4人の待つイルクーツクに戻ります
![イメージ 39](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/92/50/j/o0500027614491386120.jpg?caw=800)
翌1792(寛政4年)
イルクーツクでの恩人、キリル、ラックスマンの息子
アダム、ラックスマンが使節となりエカテリーナ号にて
光太夫、磯吉、小市の漂流者3名と共にオホーツク港を出港します
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/7f/71/j/o0208030014491386124.jpg?caw=800)
エカテリーナ号
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/3b/1d/j/o0400034514491386128.jpg?caw=800)
寛永4年9月5日、エカテリーナ号は根室に到着
10年に渡る漂流、漂泊の旅を終え光太夫、磯吉、小市の3人は
夢にまで見た故国の地に足を踏み入れました
ただ残念なことに小市は根室にて壊血病亡くなっています 46歳
帰国した両名は翌寛永5年8月、江戸に送られ
取り調や将軍家斉にも謁見しています
![イメージ 21](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/da/e6/j/o0400088614491386134.jpg?caw=800)
幕府は翌、寛政6年(1794)6月
光太夫、磯吉に対し報奨金を与え、江戸番町薬草園に
住居、手当金を与え留め置くとしました
後に二人はそれぞれ故郷若松に一か月ほど帰郷が許され
滞在の記録が残っています
大黒屋光太夫は後に妻を迎え一男一女をもうけ
息子亀二郎は後に大黒梅陰と称する儒学者になっています
磯吉、光太夫ともに番町薬草園で余生を送り
光太夫は文政11年(1828)4月15日
享年78歳の生涯を閉じました
34年間の薬草園での余生でした
磯吉は光太夫の死後10年後の天保9年(1838)11月15日
73歳で亡くなり
両名とも江戸本郷興安寺に葬られたとあります
(墓石は現在、残っていないそうです)
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/332.gif)
ロシアにとっては漂流者の帰還はもちろんですが
主任務は日本との交易を図ることが目的で
遂には長崎での交易権を得
根室から数えて10か月間滞船し寛永5年7月16日
オホーツクにむけ帰国しています
ペリーの浦賀湾の黒船来航に先立つこと60年です
この大黒屋光太夫の出来事は
井上靖が小説で【オロシヤ国酔夢譚】を発表
それを原作として1992年、大映が同名の映画を制作しました
監督 佐藤純彇
大黒屋光太夫 緒方 拳
磯吉 米山望文 小市 川谷拓三
庄蔵 西田敏行 新蔵 沖田浩之
キラル、ラックスマン オレグ、ヤンコフスキー
エスカリーナ二世 マリナ、ヴラディ (女王蜂)
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/62/49/j/o0407050014491386139.jpg?caw=800)
鈴鹿若松地区センター
に戻りました
![駐車場](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/232.gif)
![イメージ 24](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/c2/ff/j/o0400030014491386142.jpg?caw=800)
敷地内に光太夫の顕彰碑が立っていました
![イメージ 25](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/f2/c3/j/o0500037514491386146.jpg?caw=800)
![イメージ 26](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/a9/9b/j/o0500030914491386150.jpg?caw=800)
14:40分
![イメージ 27](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/46/b4/j/o0500037514491386155.jpg?caw=800)
この後は一行が船出した白子港に寄ってみましょう
これは現在の白子漁港ですね
![イメージ 28](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/75/8b/j/o0500037514491386159.jpg?caw=800)
遠く伊勢湾洋上を大型船が行き来しています
![イメージ 29](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/f6/fa/j/o0500037514491386164.jpg?caw=800)
漁港の近くに白子港緑地があります
大黒屋光太夫らの船出した白子港です
![イメージ 30](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/6e/ae/j/o0500037514491386169.jpg?caw=800)
近づいてみましょう
船出の地を記念してと記されています
![イメージ 31](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/d2/c4/j/o0550041214491386175.jpg?caw=800)
右の石碑には作家、井上靖氏が説明文を載せています
![イメージ 32](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/c4/5f/j/o0500037514491386180.jpg?caw=800)
北方向です
![イメージ 33](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/37/ef/j/o0500037514491386210.jpg?caw=800)
正面です
![イメージ 34](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/48/15/j/o0500037514491386216.jpg?caw=800)
ここらは格好の釣り場でもあるんですね
![イメージ 35](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/3a/f2/j/o0500040514491386222.jpg?caw=800)
南方向、鼔が浦海水浴場です 15:10分
![イメージ 36](https://stat.ameba.jp/user_images/20190704/14/mmmt345/d0/ef/j/o0500037514491386227.jpg?caw=800)
伊勢若松の生んだ
大黒屋光太夫の地でした
有難うございました