2014(平成26)年11月2日(日)
 
関宿まちなみ巡り、後半は
 
旅篭玉屋さんのお隣、関郵便局からスタートです
 
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郵便局もまちなみに配慮した局舎づくりです
 
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早くも年賀はがきの売り出しですね
 
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書状集箱なるポストが目に入ります
 
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郵便局の西隣には関宿高札場があります
 
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郵便局の真向いには
 
創業370年の名菓関の戸で有名な深川屋さんがあります
 
正面が鈴鹿峠ですが雲がかかってきてます
 
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三代将軍家光公の寛永年間からの老舗で
 
店の看板は東海道で唯一現存の庵看板(いおりかんばん)です
 
また左右の虫籠窓(むしこまど)も見逃せません
 
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これが瓦屋根の着いた庵看板です
 
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アップ
関の戸の文字が京に向かってはひらがな
 
江戸に向かっては漢字となっています
      ダウン
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もちろんお土産に買わせていただきました
 
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けっこう甘いです
 
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関の戸、深川屋さんを後に西に向かいます
 
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昔よく見かけたまんまの店のたたずまいです
 
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看板も右読みです、電話四十五番とあります
 
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こちらはもう左からの読みですね
 
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二階手摺りの家並みもあります
 
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織田信孝公、菩提所、福蔵寺なる墓標が目に入りました
 
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織田信孝は信長の三男、容姿は父信長に似ていたといわれています
 
母は側室の華屋院(伊勢関氏の庶流鹿伏兎氏の庶流坂氏の出)
 
本能寺の変後、柴田勝家と組し秀吉に刃向かうも
 
遂には降伏、知多御浜郡野間大坊で自害しています
 
その首をかっての養子先、神戸城では受け取りを拒否され
 
この関の福蔵寺で手厚く葬られたとのことです
 
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福蔵寺は天台真生盛宗の寺です
 
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この境内には女だてらに仇討ちを果たした小万の墓もありました
 
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坂は照る照る  鈴鹿は曇る  あいの土山雨が降る
 
関の小万が  亀山通い  月に雪駄が二十五足    (鈴鹿馬子唄)
 
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小万の父は九州久留米有馬家の剣道指南役、牧藤左ヱ門
 
遺恨により同輩、小林軍太夫に殺され
 
身重の妻は仇討ちの旅に出るがこの関の地蔵院の前で行き倒れとなり
 
宿の主人山田屋(現在の会津屋)の親切で女の子を生み
 
亡くなってしまいます、山田屋夫婦は小万を養女として育て
 
母の意志を継がすため剣の修行も亀山の道場に通わせ
 
見事本懐を成し遂げるのでした  小万18の時でした
 
 
まちなみに戻りましょう
 
関の地蔵院はもうすぐそこです
 
今日の主演、浅野内匠頭がぶらりしています
 
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気軽にカメラに治まっていただきました
 
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関の地蔵院に出ました
 
メイン会場らしく露店の店も出ています    13:30分
 
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関の地蔵さんに振袖着せて  奈良の大仏婿に取る
 
と俗謡でも名高い関のお地蔵さんで
 
我が国最古の地蔵菩薩像です
 
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今日はこの本堂前で花魁の
 
お披露目ショーがあり多くの人が待機しています
 
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花魁の企画参加をしていただいている
 
小林豊子きもの学院の御挨拶です  13:35分
 
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順次、お披露目が始まり
 
唄に合わせ登場、着物ショーですね
 
雨が当たってきました本堂正面から街道沿いに移動しました
 
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出番を待つ花魁衆です
 
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後方が太夫ですね
 
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艶やかな衣装です
 
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雨も本降りになってきました   13:50分
 
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地蔵院の近くで見かけました
 
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1時間雨が早かったですね
 
花魁ショーの途中ですが
 
とりあえず西の追分までは歩きます
 
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西の追分の休憩所です
 
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西の追分です   前方は国道1号線です
 
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雨に打たれながら引き返します    14:30分
 
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帰り道、古そうなものを取り込んでいます
 
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有難うございました