2014(平成26)年10月8日(水)
四日市市の霞ヶ浦地区から南下します
R23号線、三滝川に架かる大正橋あたりからの工場群です
四日市市の由来は
安土桃山時代に遡り、天然の良港により市場ができ
市場が四のつく日に開かれたためその名の由来となりました
(滋賀八日市市、広島廿日市市など各地にありますね)
ここは四日市港の礎を作った
稲葉三右エ門氏の功績を称えた碑です 15:50分
明治36年6月建立とあります
幾多の困難にもめげず私財をなげうってまでも
港の修築、造営に身も心も捧げました
明治32年8月4日、四日市港は開場港に指定され
貿易港の第一歩をしるしました
碑の前には小さな公園もありました
目の前が港です
おそらくこの辺りが四日市港の原点なのでしょう
開港当初は食料品、肥料等の輸入が中心で
その後は綿花を中心とした繊維原料の輸入港として発展してゆきます
戦後は羊毛の輸入が大幅に伸びる一方
昭和34年(1959)に
石油化学コンビナートが塩浜地区に稼働開始されます
同年の伊勢湾台風では大被害を受けましたがそれを乗り越え
昭和38年(1963)、第2石油化学コンビナートが牛起地区に
昭和43年(1968)、シドニー港と姉妹港提携
昭和47年(1972)
第3石油化学コンビナートが霞ヶ浦地区に稼働開始されます
四日市ぜんそくは高度経済成長期の
昭和35年(1960)から昭和47年(1972)にかけ
政治問題化した四大公害病の一つです
(熊本水俣病、新潟第2水俣病、富山イタイイタイ病)
四日市コンビナートから発生した大気汚染による集団喘息でした
被害は四日市市中南部、
殊に塩浜地区と塩浜に隣接する三重郡楠町が被害を受けました
石の石碑です
16:00 四日市港曙の地を後にします
位置図です
稲葉公園を後に
船が通過すると道路が跳ね上がるという臨港橋に向かいます
橋の両端に遮断機が見えます 16:05分
千歳運河にかかる道路橋で跳開式可動橋です
初代は昭和7年(1932)
現在の橋は3代目で平成3年(1991)より稼働しています
全長72.6m幅11mの橋です
船の通過時、中央部分(26.1m)が
油圧ジャッキにより70度跳ね上がります
橋の中央部にある管理棟で
次の開閉はいつ頃かと尋ねました
10分ほど前に船が通過し今日はこれが最終だとのことです
運河の北側
日本国内唯一現役の跳開式可動鉄道橋、末広橋梁が見えています
跳ね上がっていますね
最後に塩浜地区のコンビナート群まで足を延ばします
ここらは塩浜の奥方向、石原地区です
この先もまた埋立中です
大海原を最後に家路に向かいます 16:30分
帰路は県道6号線楠町を通り帰宅しました
有難うございました