2014(平成26)年 2月23日(日)
松浦武四郎さんと言ってもなかなか聞きなれない名前じゃないかなと思います
実は北海道の名付け親なのです
武四郎の生涯は江戸末期から明治にかけての生涯で(1818~1888)年
当時、明治新政府の蝦夷地御用の任にあった武四郎に
政府は道名、国名、郡名の選定作業を命じました
武四郎が六つの候補名を挙げ、この中の一つ来た北加伊道が
北海道となり明治2年7月、北海道の名称と11国86郡が確定しました
アイヌ民族はたがいにカイノーと呼び合い
(カイはこの国に生まれし者、ノーは尊称の意です)
武四郎はそれまでにも新政府に対しアイヌ民族の救済を訴え
北海道という名は
アイヌ民族への思いを道名に込めたものです
今年で第19回を迎えることになりました
武四郎が文化15年2月6日生まれのため
生誕まつりは例年、2月の最終日曜日となっています
今日はこの時期珍しいほどの好天です
例年は、雨やら雪、冷たい北風の吹く中でのお祭りですが
この分ですと来訪者も5割増しの3000名を軽く超えそうな勢いです
各所に分散のあります。 けっこう歩き9:55到着
まず武四郎記念館に入りましょう
月曜、祭日の翌は休館です。 300円
おまつりの当日は無料開放です
記念館入口の所にアイヌ民族衣装をまとった人もおられます
様似(さまに)民族保存会の方々で後ほどアイヌ古典舞踊を披露されます
北海道、アイヌにまつわったものが多いです
アイヌの衣装です
もめんが主体ですね
武四郎は伊勢国一志郡須川村(現在の松阪市小野江町)ですが
我々にとっては三雲村小野江の方が耳触りはいいです
松浦という名から、肥前平戸の松浦一族とみられます
三雲町の郷士、佳介の四男として生まれた武四郎は
若き頃から本草学を学び諸国を旅しています
弘化元年(1844)26歳の時、蝦夷地探検の旅に出ます
その探索は遠く択捉、樺太まで及んでいます
安政2(1855)年37歳、幕府から蝦夷御用地御雇に任ぜられ
蝦夷地の山川の地理取調図を提出しています
明治2(1870)年52歳、新政府の開拓判官となり北海道の名づけ親となり
アイヌ語の地名をもとに国郡名を多く残しました
翌明治3年、政府の開拓使を批判し職を辞し
余生を送りましたが、死ぬまで全国歴遊は続きました
明治21年(1888)2月10日が命日です 没70歳
北海道命名の地
音威子府(おといねっぷ)村のポスターです
北海道でも最北端、とんがった処に位置する人口826人(昨年末現在)の
日本でも一番人口の少ない地方公共団体です
武四郎が、この地の天塩川流域の音威子府村筬島(おさしま)付近で
出合ったアイヌの長老の許に泊まりカイナーの意味を解し
北海道の名づけの発端の地となったということです
北海道にある武四郎の記念碑分布図です
10:00から式典が始まっていました
松阪市長山中氏が来賓の音威子府村長、左近氏を紹介しています
見物人に混じってアイヌの人の姿も見られます
式典には松浦家子孫(東京在住)のご夫妻も出席されていました
オープニングセレモニーが終わり
地元三雲中学生の皆さんによる吹奏楽演奏に移ります
10:25~10:45分
地域の名産、物産のお店が出ています
好天で人の出足も好調です
おといねっぷ村長さんも応援です
私はこのそばに決めました
おといねっぷはそばの北限地で
殻の付いたまま製粉しているそば粉を使用しているため
色は真っ黒ですが、そばの香りが強く
美味しくいただきました 300円
富山製粉のこのそばは
おといねっぷの各所で食べることができます
おまつりのメイン
アイヌの古典舞踊、午前の部が(11:15分~12:00まで)
近づいてきましが
明日に続きます