半田市、続編です
新美南吉記念館から巡回バスに乗ります
15分程で、まず赤レンガの建物の前で下車します
この赤レンガの建物は明治31年(1898)
カブトビールの醸造工場として建設されたもので築後110余年を経過しています
建物内部の見学は常時公開ではなく年に数回、数日の公開となっています
この日も建物の前に守衛さんが物々しく警護されていました
が、 好意的に内部の立ち入りを許され見学することが出来ました
半田は古くから醸造業がさかんで、多くの名酒が生産されてきました
又、日本酒同様ビールの生産も古く明治20(1887)年
中埜酒造四代目又左衛門と盛田善平(敷島製パンの前身、敷島製粉開業)が
丸三麦酒醸造所を興し明治22年には
丸三ビールとして3000本初出荷しています
明治29年には東京のエビス、横浜のキリン、大阪のアサヒに対抗し
丸三麦酒kkを設立しました
本格的ドイツビール生産を目指し
ドイツから醸造器械、技師を導入し新工場を建設しました
これが赤レンガ 建物の興りです
銘柄もカブトビールと改められ明治33年のパリ万博では金賞を受賞し
東海地区では 最大のシェアを占めていました
カブトビールの由来は、ビールは日本酒と違ってノドで飲むと言われていますが
喉で勢いよく飲むことを 『かぶる』 ということからなまってカブトビールになったとか
又、日清戦争後の時代で勇ましい兜の商標を用いたため等諸説があります
当時のままの作業場、ポスターはノスタルジックな気分に導かれます
第二次対戦中の昭和19(1944)年頃は
中島飛行機製作所の衣料倉庫となっていましたが
戦後は日本食品加工のコーンスターチ加工工場として
平成6年(1994)9月まで使用されていました
工場閉鎖後、平成8年半田市が買取り
平成14年から建物の保存と活用を目的にする
赤煉瓦倶楽部半田と協力し現在に至っています
必見の価値あります。
気分よく歩きながら半田運河を目指します
衣浦湾に注ぐ阿久比川沿いを行くと風情ある酒造工場が眼に入りました
『国盛』 中埜酒造の建物です 立ち寄ってみました 酒の文化館です
女子社員風の方がみえ丁寧に酒造りの案内をしていただき
半田中埜(なかの)家の由来
長男がミツカン酢、三男が中埜酒造次男が両社のラベル、ポスター等を
請け負う印刷会社を経営し、ここ半田市では中埜三兄弟として
有名だとの余談も聞けました
気分よくお土産も買い、ミツカン酢本社まで歩きます
駐車場には多くの観光バスも止まっていました
見学は予約制で今回は断念です 辺りに酢の香りが漂っていました
半田運河周辺は環境省のかおり風景100選の地です
運河に沿って並ぶ工場、倉庫群、黒塀の町並みは必見ですね
ミツカン本社前の小公園で、休息、出店があり遅がけの昼食、焼きそばを…
このあたりか ? あの黒澤明監督の名作、姿三四郎の一場面になったのはと
想いを馳せながら……
半田運河を後に名鉄知多半田駅まで歩き、巡回バスを待ち、南吉記念館へ
シャトルバスで半田運動公園へと戻りました
半田市は人口12万の都市ですが
文学、歴史、建物、風景を大切に残し、惜しまず公開し
他者を暖かく迎えてくれる素晴らしい町だと実感しました
南吉の著した 『ごん狐』 に倣ったごんぎつねの湯に入りました
湯は海水でヌメヌメ感があり良かったですが料金800円はチト高いかナーの印象です
娘の帰宅には時間もあり(18:30)
えびせんべいの里に寄るも17:00までとのことで30分オーバでした
下宿先で、秋冬物の荷物を降ろし
帰宅した娘とともに近くの灯台うどん店で味噌カツ定食を食し
自宅に向かいました
帰宅は結構遅く夜11時前でした