(書きなぐりです。以前のエリザベート感想はこちら)

わたしは人ならざるものが人間に恋するというお話が大好きなので、2015年に見てからというもの、例に漏れず「エリザベート」が好きになりました。
トート閣下の魅力たるや。城田トートが巨大な羽をバックに上から歌いながら降りて来た時には「羽ww派手ww」と笑っていたのに、[愛と死の輪舞曲]を歌い始めたらもう惚れました。わたしがシシーだったら開始1分で黄泉の国に旅立っていましたね。

エリザベートのストーリーはおおむね気に入っているのですが、ラストがどうもしっくりこないんです。ルキーニに刺されてトートの愛を受け入れるシシー……心の中の大阪のオバチャンが「いやいやこれ別にトートを愛してへんやろが~~~い!」と総ツッコミ。そう、どう考えてもシシーってトートを愛したわけじゃないと思うんですよ。
舞台はあの世での裁判からはじまりますが、そこで『死がエリザベートを愛し、また彼女も死を愛した』って言っていたような。だからてっきり相思相愛、いわゆるメリーバッドエンドに収まるんだと思ってたんです。でもなんか、シシーが全然死ぬ気ないから「アカンこれ以上待ってられへん、もう刺して俺ん家連れてこ」って痺れをきらした閣下と、「痛っ!刺されてもうた!こらもう死ぬしかないんやなあ、ほな閣下連れてってや」というシシーにしか見えないんですよ。ご両人やけくそ、巻き込まれたルキーニ。だって最後までシシー「私だけに」って歌ってますやん。閣下は「俺だけに」って歌ってて、意見合うてへんし。
で、見終わって「ほんでしょうみな話、シシーってほんまにトート愛してんの?」って疑問が浮かんだわけです。

結論として、シシーはトートを愛したわけではない、というのが現段階のわたしの意見です。

シシーが愛したのは自由であって、死(トート)ではない。死は永遠の自由を結果的には与えられるけれど、シシーが望んだのは死による自由ではなく自分で勝ち取った自由だと思うんですね。
「死ねば自由」って極論だと思うんですよ。シシーは生きる中で自由を手にしたかったはずなんです。トートは「お前に命 許したために 生きる意味を見つけてしまった」って悔しがっており、シシーは高らかに「私だけに」と勝利宣言するところを見ると、上記の解釈でよいような気がします。それに「逃避のための死」というのは葬式のシーンでトートが拒否してますしね。やはり消極的な自由の獲得というのはお互いに本望ではないのでしょう。

だとすれば、殺害による死(自由)も本来はお互いに歓迎する展開ではないはずです。
シシーは自分で物事を決めることに喜びを感じていたわけですから、他人に一方的にもたらされた自由は嬉しくはないはずですし、本人が本当に望んでいたわけではないのならトートも嬉しくはないはずです。
ただ状況的にシシーは絶望して生きることへの希望は失っていましたから、死を望んでいなかったわけではないと思います。お互い最良の展開ではないものの、「消極的な死による自由」を許容する状況であったのでしょう。
なのであの結末は、シシーとトートの妥協案・歩み寄りなんじゃないかと。

シシーが死に惹かれていたのは間違いないと思います。みんな多かれ少なかれ死にたいと思うことはありますよね。でもできれば「生きてハッピー」になりたいわけじゃないですか。ハッピーなら死のうとも思わないですし。まあ、そういうことだと思うんです(説明丸投げ)

違和感の原因は東宝版が、ウィーン版と宝塚版を混ぜたものだからだと思うんですよ。
宝塚のメインはトートであって、恋愛に重きを置いているので少女マンガなんです。だからまあ男女の話だから辻褄が合うんですよ。「お前、俺のこと好きだったんだろ?(ドヤァ)」「認めたくなかったけど、そうみたいね。今あなたへの愛に気付いたわ」っていう。
ウィーン版は宝塚とは別物で、トートはただの「死」の象徴なんですよね。死の擬人化は比較的よく見られる表現のような気がします。小池先生関連で言うと、ロミオとジュリエットで死のダンサーがいたと思います。「死とキス」も西洋ではよく見られる表現ですね。わかりやすい例がハリーポッターのディメンター(吸魂鬼)だと思います。ディメンターとキスすると死にます。だからエリザベートでもルドルフはトートとキスするんですよね。わりと「お決まり」な展開かと。
話がズレてきてしまいましたが……言いたいことは、ウィーン版にとってトートはさほど重要な役ではないということです。あくまで「死」をわかりやすくしたもの、エリザベートの分身、エリザベートの闇を表現する術である。
宝塚版とウィーン版では主役もテーマも違うんですよね。だからその中間を取った東宝版はどうしても矛盾というかフワッとしたところが出てきてしまうというか。
ウィーン版を見ずによくもまあここまでベラベラ喋ったな、という話ですけれど。いまさらだけど好き勝手書いてますよ~~気をつけて~~!

ともかく、個人的には「愛したのではなく受け入れた」がファイナルアンサーです。

シシーは自分を守るがために殻に閉じこもり、他者を拒絶しました。それだけでなく、唯一自分と近い存在であった、わかりあえるとしたら一番可能性があったルドルフ(しかも自分が愛し守るべきだった存在)を見殺しにしてしまいます。取り返しのつかない後悔、絶望、孤独。フランツが伸ばした手を取ることができなかったのなら、シシーが乗ったボートが行き着く先はもう「死」しかありません。
シシーは手詰まりで死の他に駒を動かせませんから、トートは勝ったんでしょうね。でも、シシーは自殺したわけではないから、命を自ら手放した(トートに差し出した)わけでもない。だから最後の「それでも私は命ゆだねる 私だけに」。間違ってない。両者自己主張して終わります。お互い負けず嫌いですね。や~~い、お似合いカップル~!フゥ~!笑


……ということで気の向くままに書いて満足しました。エリザベートおもしろいよ!
あと2回観に行くので楽しみです。DVD化してほしい……金なら積む……クラウドファウンディングでもすればすぐに資金集まると思うんだよね……東宝さん頼むよ~~~!!大人の事情で難しいのはわかるんだけどさあ~~~!