『橋をかける』

 

先日『告知文の書き方講座』の受講をしてきました

その中で講師のなっちゃん(一ノ瀬奈津さん)が言った言葉です

 

「告知文ってつい”宣伝”を意識してしまうけれど

自分の提供できるモノ(仕事)を相手に届けて

渡ってきやすいよう橋をかける作業なんだよ」と教えてもらいました

 

『橋をかける』

 

その言葉を聞いたとき、私の脳裏にある文章が蘇りました

それまですっかり忘れていたのですが

 

思い出したのはこちら↓

 

 

1998年にインドのニューデリーで行われた

第26回 IBBY(国際児童図書評議会)の

美智子皇后の特別ビデオ講演 ※最後にリンク張っとくね(^^)

 

もう20年も前なのね…

有名なのでご存知の方も多いかと思います

 

98年、当時私は短大生で図書館司書を目指してる学生でした

確か児童文学論の授業でこの講演動画を見た気がします

その後、書籍も読みました

 

その中のこの文章が特に好きでして

『橋をかける』と聞いて忘れていた感情とともに

一気に内容が蘇ってきました

 

引用しておきます

 

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(略)

生まれて以来,人は自分と周囲との間に,一つ一つ橋をかけ,人とも,物ともつながりを深め,それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり,かけても橋としての機能を果たさなかったり,時として橋をかける意志を失った時,人は孤立し,平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく,内にも向かい,自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ,本当の自分を発見し,自己の確立をうながしていくように思います。


(略)

 

今振り返って,私にとり,子供時代の読書とは何だったのでしょう。

何よりも,それは私に楽しみを与えてくれました。そして,その後に来る,青年期の読書のための基礎を作ってくれました。

それはある時には私に根っこを与え,ある時には翼をくれました。この根っこと翼は,私が外に,内に,橋をかけ,自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに,大きな助けとなってくれました。

読書は私に,悲しみや喜びにつき,思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には,さまざまな悲しみが描かれており,私が,自分以外の人がどれほどに深くものを感じ,どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは,本を読むことによってでした。

 

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児童図書についての講演なので

大半は美智子皇后の子ども時代の読書について

語られているのですが

 

私はこの『橋をかける』というのは

”読書”いうよりは広い意味で

 ”言葉(文章)”ではないかと捉えました

 


言葉は


自分と人と

自分とモノと

自分と自分と

 

をつなぐ架け橋になる

と言われているように感じました

 

 

でも言葉ってなんでしょうね?

 

言葉は名前を与えるもの

存在を認め意味をあわらすもの

同じ言語を共有するものに意味を伝える道具

とても便利な道具です


 

でも言葉だけでは最終的には

絶対に伝わらないのだとも思います

 


だって

すばらしい感動に出会ったとき

「このドキドキや感情を伝えたい!」との衝動に駆られても

言葉をどんなに駆使しても100%

同じ思いで伝えることはできない



もういっそ魂だけ抜け出して憑依して(←ヤバイ!)

このバクバクや溢れるような熱い興奮を

まったく同じようにこの人に感じさせたい!

共有したい!

なんて…


思ったこともあるのですが

(テレパシーで感情を伝え合えたらいいのにね・・・)

 


でもそんな事はできないわけで・・・

やっぱり伝わらない、そんな時

ものすごく言葉の無力さを感じるのですが

 

それでも

ヒトは言葉を使って

なんとか文章を駆使して

伝えるしかないんだな、と思います


だって

言葉が生まれた理由ってなんだろう?と

想像を巡らせる時

やはり

何とかして何かを100%でなくてもいいから

伝えたい・・・

そんな思いが共通の声を発っせさせ

絵を描かせ

言葉や文字へ発展したんだとろうと思うから



やはり言葉を使う事だけが

ヒトが他の動物とは違う

ヒトたるゆえんなんだとも思うわけです

 

大げさだったでしょうか

一応ねibマッピングという言葉を扱う

そんなツールを扱うもののはしくれとして

なんとなくそんな事を思い

 

自分のために記しておいた方がいい気がして

書いてみました(^^)

 

 

※橋をかける動画