もし、あなたが趣味のジャンルでSNSをやっている、同じような仲間と繋がっている、関連するアカウントを追いかけている
のならば、今すぐに辞めるべきである

昨今、SNSアカウントは現実の自身と限りなく一致し
人生の1部をSNS占め、記録していると言っても過言ではない。
自殺者の直前の心理はSNSの投稿によって解析され、本人の人となりはSNSによって断定され
SNSから分析された友人を紹介されたりなどしている。

ソーシャルネットワークとはよく言ったもので第2の自分たちで構成された第2第3の社会がインターネット上にはある。

ならばなぜ?趣味をSNS上で発露するのが悪いことなのか。
そう思われるかもしれない。

だがしかし、SNSはあくまでもインターネット上なのである。
そこには限りなく広がる広大な海がある。
とめどなく流れてくる情報。
素性のしれない有象無象が溢れかえってしまっているのである。

かくいう私もSNSで趣味のコンテンツを漁るのが好きだった。
いい作品に出会った時の気持ちは吐き出したいし誰かに同意をして欲しい。気持ちを同じくする人間が1人でも多くいて欲しい。そして癖を同じくする同志から新たな作品に触れたい。
その気持ちには全面同意なのである。

たしかに一時の快楽としてのSNSはとてもよく効く。
ただ、最近それが苦痛になってきたのである。
原因はSNSの他人の批評だ。

インターネットには善意だけではない、悪意もある。
自分の好きな作品がネット上であらぬ叩かれ方をしている
ケチをつける人間がいる
自分が好きになった作品が思わぬ感性の人達にブレイクしている。
そんな場面に出くわした時、わたしはまるでその作品と自分との間に余計な意思が介在しているように感じてしまい、昔のような純粋な気持ちで作品を楽しめなくなってしまった。

好きな漫画も好きな音楽も好きな絵画も好きな本も、自分1人で楽しんでいる分が1番身の丈にあっていて一番幸せなのだと気づいてしまった。

1人で楽しむ趣味のなんと素晴らしいことか
きっとこのバンドは俺しか知らないし、この陶芸は俺だけが知ってるし、このワインはきっと最高だし、このコーヒーは最高に美味に淹れられているはずなのだ。
知らなければオージービーフのステーキは自分にとって大贅沢なのだ。
にもかかわらず、
インスタグラムでパパ活紛いの週に何日銀座で飯を食ってるかわからん女の投稿につられて勝手に閾値をあげてしまっている現代人のなんと悲しいことか

どのバンドとどのバンドがやったとかやらないとか
裏で悪いことをしているとか
この絵画はどこの流派で実はここがミスをしていてとか本人は駄作と思っていてとか
この本の作者は実はフェミニズムに傾倒していてみんなから毛嫌いされているとか

そんなことはひたすらどうでもいいのだ
自分の趣味に他人の批評をまぜる行為はひたすらに純度を下げる
他人の読書感想文を読んでから名作を読むくらいに愚かしい行為である

みんなも是非SNSから趣味を排除し、自分の目の届く範囲で最上級の娯楽と現代人にだけ許された大贅沢を満喫して欲しいと思う