大事なものほど見つからない
探せば探すほど
もう無いのだという現実を突きつけられる
思い出せば立っていられないほど必要だったはずなのに

もう二度と戻ってこない

果たして本当にそうだろうか

本当に探したのだろうか
本当にみつけたかったのだろうか

もう二度と見つからない
すでに失われた
無いと思い込むことで

その存在を否定する

なぜだろう
そのほうが簡単だから
そのほうが楽だから

見つかるはずがない
そうつぶやいて隠していたのは自分だ

あると信じよう
そう疑わず探し続けよう
信じるものが救われるとは思わないけど

ただ、もしも見つかったときは

長い間見つけられなくてごめんと伝えよう
切れない糸で心臓に結び付けておこう

リゲインを飲んで


ユンケルを飲んで


ビタミン剤を飲んで


まっ黄色の尿がジャンジャンでで


それでもなんとなーく体が重たい感じで


自分はなにかけったいな病気にでもかかったのか?


もしくは墓場で運動会したからファラオかなにかの呪いにかかったのか?

とおもっていたけど、きっと違うみたいだ。


「きっと」という言葉を使っても
いつも最後は
「みたいだ」とか
「かもしれない」とか
「たぶん」とか
で終わってしまうのだ。

マジンガーzとか見たことないのにマジンガーzみたいだ。
とかいってしまうのだ。

曖昧な態度や言葉がアタシが知らない間に身につけていた武器で、その効果は自分が予想しているよりも意外なほど破壊力があったのではないだろうか。

しかしわからないのだ。

はっきりと断定できないものが他はもちろん自分にも多すぎるのだ。

笑っているのに、楽しいのかわからなくなる。

怒っているのに、何に怒っているのかわからなくなる。

ものすごく欲しい物が、本当に必要なものなのかわからなくなる。

ちょうど、クォーターパウンダーとか食べてみたいのに照り焼きバーガーを注文したときやっぱり食べたかったのは特のりタル弁当だったかもしれないな。いや、待てよ、本当にアタシは腹が減っていたのか?とおもったときの気持ちといったらわかりやすいだろうか?

なぜこうなのだろうか。

怖いのだろうか。

はっきりとさせず、ぼんやりと自分を薄く薄く伸ばして透き通って見えるくらいにしないと適応できないのかもしれない。

そうだピザ屋になろうか。
どこまでも薄く生地をのばして伸ばし続けて地球まるごと火をつけてピザを焼こう。
何の具も乗せないそんなピザを焼こう。

きっと売れないだろう。

うまくも無いだろう。

というか本当にピザなのかそれは?

そうだやっぱりピザ屋はやめよう。

それだけは今はっきりと決められる・・・











・・・たぶん。