3歳の娘が発熱中、うちわで頭を仰ぎながら髪の毛を撫でて風を通してあげて、咳がでるたびに背中や胸に手を当ててトントンとしてあげた。自分から湧き出る愛情が行動となるとき、娘への湧き出る愛情と愛おしさを感じるとき幸せで仕方がない。多幸感とはこういうことか!
目がとろんと開いて「咳が辛いね。でも大丈夫だからね、ママがこうしててあげるからね」と言うとうなづいてくれた。愛が伝わっててくれたらうれしいなぁ。
普段、一生懸命なにか喋っている。その一生懸命な目と面白い組み合わせのことばに、穏やかな顔で話に耳を傾ける。うんうん、そうかそうか、そんなことがあったんだね。
絵を描いているとき、積み木をしているとき、豆腐を切ってくれているとき、さくらんぼを食べているとき、いつだって可愛くて愛おしくて頬擦りせずにはいられなくて、かわいいね、大好きだよが何度も口から漏れ出てしまう。
はいはいいつものやつですねと真顔の娘。にこにこする娘。だいすきだよと返してくれる娘。愛情が伝わったとき、お互いが愛情で満たされあっているときに今の私には自慢できるものや仕事もなにもないけど、ただ毎日の普通の子育てをしてきてよかったなと思う。
自分の不機嫌や理不尽に怒りそうになるところをコントロールするのはずっと頑張り続ける必要はあるけど、お互いが愛情で満たされる日々を送れるようにこれからも丁寧に娘と向き合いたい。
娘に丁寧に向き合うというのはわたしの中では、話を聞くこと、感情を受け止めること、喜びやうれしさ、悲しみ、辛さに言葉や態度で寄り添うこと、間違っていることを指摘すること、お互いに自分の思ったことを話すこと、楽しいことを一緒にすること、たくさん笑うこと、など。