破魔矢を手にした家族連れが正門から出てくる。折角元日に遠征するのだからと、貧乏性で奈良へ足を延ばした。疫病退散で有名な世界遺産だが、この時点では恐らく、やがて訪れる感染症について退散を祈願する人はいない。個人的な不調の平癒を祈願し、駆け足でお参りを済ませる。


古都から特急に乗り、山を抜け、大阪に入る。
40分程でドーム最寄駅に着く。駅舎は地下にあり、同じ行き先であろう女性達が、慣れた様子で整然と上りエスカレーターへ向かう。

巨大な白い屋根が眼前に広がる。破魔矢を持つ人もなく、元日の様相は何処にもない。何万もの人々が毎年、万難を排し、元日から詰めかけてきた。古式ゆかしいお参りも、ドームライブも、元日の風物詩には違いない。

デジタルチケットを発券し、座席へ急ぐ。
開演間近の通路は混在していたが、マスク姿は然程見受けられず、至近距離で人々が交差していた。
所謂天井席に着き、荷物を開き、荷物を纏める。常識的な公演時間であれば最終の新幹線には充分間に合う筈だが、何しろ彼らのライブだ。MCによっては危うい。なるべく速やかに退場できるよう準備が必要だ。

眼下で二色の火球が舞い出す。
やがて二つの火球が溶け合うことも、溶け合う火球が幕を開けることも、幕の向こうに控えているのは二人であることも、もうすべては既知だ。けれど、いつか見た光景との邂逅は、安寧をもたらす。

年越し公演には参加出来ず、新年の幕開けは関東の片隅でTVを見ていた。カウントダウン放送で全国へ中継された姿はきっと、余所行きなのだろう。澄ました顔で馴染みの曲を短尺に纏め、事務的に誕生日の花束を贈呈する。あっという間に画面は切り替わり、年若なグループが出てくる。
それなりな長寿番組だ。 
センターを張っていたようなメンバーがいつの間にか居なくなり、新しいグループが取って代わっている。そんな代謝が繰り返されるなか、彼らは長い間、ルーティーンをこなしてきた。年を重ねてもなお、懐かしい姿を提供するために、日々更新を続けてきた。

東京ドームで見た長い長いMCは少しばかりタイトになっていた。天井席の客のみならず、演者も帰らなくてはいけない。

年越しの話題でひとしきり笑いを誘う。
彼らは長い間、年越しを家族と迎えていない。こうして年越しを迎え、年越しのエピソードで初笑いを提供することは、長年にわたる、彼らの仕事だ。年を重ね、幾分暴走が減って穏やかになってきた初笑いは、かえってその永劫性を裏打ちしていた。

けれどそのすぐ翌月、公演は次々に中止され、エンターテイメントの根幹が揺るがされることになる。会場に集い、例えば、食べた寿司と食べなかった寿司について、他愛もない(けれど尊い)話を聞くことが奇蹟みたいな未来が来るなんて、この時一体誰が想像しただろう。

達郎氏のイントロが走るたび、学習能力もなく咽び泣きそうになる。プリンセスみたいな衣装の裾を可憐に翻し、華麗なターンを見せていた(恐らく夜のヒットスタジオだ)あの頃から、何度歌ってきたのだろう。もはや、翻る裾など全くなくなり、シンメトリーでターンすることは出来なくなったけれど、様々な障壁を乗り越え歌い続ける姿は、あの頃以上に華麗だ。

天井席からダンスパートをあらためて観る。遊びのない、綿密に作り込まれたダンスだ。いつだって正確な設計図のうえにエンターテイメントがある。努力の人。エンターテイメントに於いて、それは時として失礼な形容なのかもしれない。けれど、天才なんて、多分何処にもいない。天才肌と言われる相方も然り。
私たちは、エンターテイメントに於いて、天賦の才を観たいけれど、努力の跡も観たい。
たがら一方に「努力」を、一方に「天才」を押し付けているのかもしれない。彼らは、そんなつまらないカテゴライズなど意に介さず、二人でひとつを仕上げてくる。非対象なのに、最高のシンメトリーだ。

ラストの挨拶に入ったとき、正直、少し新幹線の時間を気にしていた。何かに間に合うために生きている訳ではないのに。何処かへ帰りつくために生きている訳ではないのに。新幹線に間に合い、定刻どおり帰路に着いたところで、空虚な日常が待っているだけだというのに。

「これからも一緒に生きていきたい」。
結婚披露宴あたりでしか、聞かない台詞だ。
彼らはもう、間に合うべき場所に間に合っていて、帰りつくべき相手の元に辿り着いている。
だから、今に根差し、これからを見ているのかもしれない。
「これからも」。それは言霊だ。
先のことなど誰にも分からない。ステージ上のリップサービスかもしれない。
けれど、またステージに立ち、「これからも」と言い続ければ、少なくともそれは、ステージ上に於いて、真実になっていく。帰り時間ばかり気にして、結局何処にも辿り着かない人生なんかより、多分きっと、ずっといい。

遥か眼下で、銀テープが発射された。
アリーナ席の人々が天井を仰ぎ、大きく手を伸ばす。
弧を描き落ちてゆくテープは、ゆっくりとアリーナ席全体を覆ってゆく。年越し限定カラーバージョン程の人気はないようだが、それでも新しい年を迎えた人々が、破魔矢でも授かるように、恍惚とテープを迎える。キラキラした破魔矢をカバンに収め、人々はそれぞれの日常へ帰ってゆく。また、年末に。二人の活動に於いては、それが暗黙の挨拶だった、筈だった。

最終の新幹線に無事間に合い、沢山の大阪土産を抱え、安堵していた。

二人の世界にファンクサイドのバンドメンバーが融合し、二年振りのライブは大団円を迎えた。これ以上に円熟したピースフルな世界などないのではないか。加速する新幹線に揺られながら、脳裏にハッピーエンドのエンドロールが上がってゆく。

去年と変わらない、静かな冬の夜だった。
此処彼処で、遅い食事を終えた同士達がイヤホンを耳に差し、眠りに就こうとしていた。新幹線に揺られながら今夜のライブを思い返し、皆きっと、とりわけいい夢を見るだろう。

けれどこの年、「定番の年末」は来なかった。
2ヵ月後、ミュージカルは千秋楽を迎えることなく突然幕を下ろす。ステイホームの大号令に、不要不急の外出は悪となり、集客エンターテイメントはその最筆頭となる。

天を仰ぎ、銀テープに手を伸ばす人々でびっしり埋めつくされていた客席。その光景は今でも目に焼き付いている。

けれど、それぞれの人生を繰り合わせドームに集っていた人々は、次の世界線でオンライン配信について学習することになる。