哀しいとき
苦しいとき
自分自身に負けてしまいそうな時



胸の上に手を組み
じっと静かに目を閉じる



固く自分の殻に閉じこもると
貝になったような気がする



ただ
貝になって深い海の底で
コポコボと
魚が泳ぎわたる音を聴きながら
静かに時間が流れていく




じっと殻に閉じこもっている私は

いつか
私を守ってくれるこの殻から
抜け出さなければならない事を知っている


じっと
目を閉じ
暗闇の中で殻を閉ざしていた私の瞳を
いつか再び開くとき




外の世界は
きっと
眩く映るでしょう







病院…

いつもながら病院の待ち時間はやはり長い…
病院には お爺ちゃんお婆ちゃんが多いので
待合室では隣り合わせた者同士が気さくに語り掛ける そんな場面が沢山見受けられる

そして
その例に漏れず私も良く話し掛けられる…

その日は70代くらいの
明るく元気なお婆ちゃん話し掛けられた…

今日は9時に来たのに まだ呼ばれないと言う話から始まり(その時 既に11時30分過ぎ)
病院に通い始めて結構長いので同じ病気を持つ仲間が沢山出来た事
病院から歩いても そう遠くない新大久保の韓国人街や新宿にその仲間達とよく食事に出掛ける事
旦那様に先立たれて寂しいが
独り身でなければ出来ない気ままで楽しい暮らしをしている事……

などを次々に話してくれた


屈託なく色々な話をしてくれる
明るく 元気なお婆ちゃん


すると話始めてから30分位たった頃
そのお婆ちゃんが突然 私に言った



私ね多発性骨髄腫なのよ
と…

たわいない世間話をするのと
同じ口調だった


仲良くご飯を食べに行っている仲間のお婆ちゃんたちも多発性骨髄腫だったのだ



病気が判った時
世の中の人たち皆が健康で幸せに見えて
恨めしかった…



お婆ちゃんも同じだと教えてくれた…



でも世の中の人たちが皆 何も悩みがなく健康で幸せな訳ではない



当たり前の事だけれど
長い間そう思えない自分がいた
そう思えなくて苦しんでた



時間をかけて
そうじゃない…そうじゃないんだ…
と気がついたけど



でも 無性に淋しくなったり
腹が立って仕方がない事が今でもある



独り身で病気を抱えている お婆ちゃん
心細くて挫けた事もあった
何回も…と言っていた

でもね
損よ…短気は損気…
ポツリと呟いた



今 目の前のお婆ちゃんは
とても明るくて元気そうだった



そうだよね
何があっても
皆 頑張って強く生きてるんだよね



人は皆
誰しも一秒一秒死に向かっている
だからこそ その一秒を大切しなければ
いけない
時間を無駄にしてはいけないんだ…



楽しそうにお喋りしてくれるお婆ちゃんに教えられた



胸につかえていたモノが少し和らいだ



お婆ちゃんに逢えて良かった

どうもありがとう

神様に与えられたこの時
この生を大切にします

お婆ちゃん元気でいて
また病院で会ったら 話相手をしてください


見渡せば
周囲のお婆ちゃん達は相変わらず楽しそうにお喋りしている…
結構楽しくお婆ちゃんと世間話をしている私も立派な お婆ちゃんの仲間入りだ(笑)


身体の
好不調というものは
その内側に秘めている心にも
大きく影響するもの

その逆も然り
心の不調は
身体的不調を起こし得る

けれど
私とは何か?
と考えるとき

殆ど人が
私とは…
この肉体に宿る この魂だ
と考える

私たるものの
主人は肉体ではなく
魂であろう
肉体は 己をすっぽりと覆っているもの
容器である

主人は肉体ではなく心
私とは
この魂だ…

読んでいる本に
こんな一節を見つけた


「肉体は拘束されず
元気で丈夫であり
思うままに飲食し 生活していても
それは魂にとって何の役に立つだろう

またその逆に
肉体が拘束され
病み 疲れ
好まぬながら飢え渇き
悩んでも それが魂に対して何の害になるだろう」

(ルター「キリスト者の自由」)


私を取り囲むものに
すっぽりと覆っているものに
何が起きようと
左右される必要は何処にもない…


どんな状況下に置いても
そのように生きる事ができたら
なんて素晴らしい事だろう

空に浮かぶ雲や
鳴き交わす鳥の囀り
道端の小さな花に
癒やされる日々がそこにはある


改めて 目が覚める思い…