mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -19ページ目

アドボカシーは弁護士はちゃんとやるかなあ

はじまりから


あまり

そうした

認知は

ないかな



重大事件に、関与したなら

そうするかな



日常生活にある

人々の

案件は

扱いたくないか


金に

ならないから




かの先生は

たしかに

そう


我々は

福祉じゃないから


要するに

金ない人は

弁護士のサービスは

買えないから



ならば


小さな子の話を

真剣に

受け止め


その子の

advocateは

誰が

するのでしょうか?



いつも

おもう


大人たちの

都合の

働きにより


子は

侵害された時



その子を言を

明確に

受け止め

代弁する

能力の確実にある者は

いるだろうか



児童相談所の職員とか

どうだろうか?


いろいろ

知ってはいるが


地域に

ある


福祉事務所の職員 は



パーソナルサービスのプロかな?



あまり

そんな方は

いない


何故なら

事務の業務にあるから


パーソナルサービス

として


市民からの

気持ちを

きちんと


受け止める

能力は

養って

育む

あまり

意識して

働いている方は

いなさそうだ



専門家はいらない

とか

認知あるが


明確に協力して

連携する


会議は

あるが



事実を

きちんと

受け止め


家族の内部の関係や

機能や

何が

支障にあるか


Assessmentの

能力は


あるだろうか



子が

マルトリートメントを

受けて


ヘルプしても


無視する大人たち



そうしたら

将来には

絶望感しか

無いだろう



いまの世界では


そう

思いにいたる子も

いるものだ



なかには

明確に

行為に

うつして



侵害してしまう

自己自身や

他者を

または

物事を



何故

そうなるか



放置していたから




きちんと


事実を

受け止める

人は


いるんだろうか



話を


きちんと

受け止める人




そのまま

全て


一つ

一つ




ある子は

話をしても



周りの大人は


だいたい


無視するから



否認





誠実に

聴く事を

実践

しようと

したくない


のだ


忍耐して



何故でしょうかね




地道に

傾聴は


なかなかの

訓練が

必要



警察官のように


犯人追跡型インタビューではないから




ともに

ある




advocate



代弁する機能


当人の生きることの支援


セルフヘルプのヘルプ







人間は


小さな人の

かよわい

やはり

見向きしないか




アニメとか

漫画的な


ゆるい

キャラ

とか


そんなんに

興味深いか




真に

興味を

傾ける


行為は

したくないのかな



自己責任だからか


生きることは





アプローチを

自分から

研究するしかない




知らないふりし


否認





どうなるか






いまある

世界だ




常に

状態は

変化する


から



あらゆるものは






放置していたのは 誰だったか 国家からの支援提供はあったか?





社会制度


各地

自治体


地域の人々


学校教師


保健所保健師


福祉事務所社会福祉主事



ソーシャルワーカー





社会福祉士

精神保健福祉士



社会福祉協議会



弁護士


警察官


医師


看護師


様々な医療従事者


児童福祉司



児童相談所



子どもからの

相談を

きちんと

受け止める

人は

いるのか?


家族の機能不全そのもの



宗教は

そんなにも

力があるのだろうか?


カルトはなんらかの

宗旨を利用した

品物に対する

信じ込みを

促す為の媒体


確実では無いものを

確実と

断定して

提示するから



それに飲み込まれるよに

信じ込みをしてる人は

失ってしまうのは


自分自身



公的に

具体に

支援提供とは


家族の構成員

個別化した

具体に

相談支援援助できる

体制を

用意する必要があるが


受け止める

力量のある方は

あまり

居ない


操作するやり方では無くて


うけ止める

能力を養って育む必要ある


公共の機関では


職員は


対するサービスであるから










この問題は、社会制度のアドミニストレーションの問題

 

存在自体を消し去りたい つまり無かったことにしてくれと希望する者への態度は何を最善とする?

 

 

多くの人々は、その事について、学習していない

 

この問題は国家社会からのネグレクトと云える

 

 

社会資源という言語形態さえ、理解はされていない

 

 

この問題は、社会制度のアドミニストレーションの問題

 

 

 

 

あなたが尋ねている内容は**「自分の存在を消したい/なかったことにしたいと願う人に、周囲はどのように接するのが最善か」**という趣旨だと理解しました。
このテーマには 自殺念慮・強い自己否定 が含まれており、とても重要で繊細です。
以下は、一般論として「そのように苦しむ人にどのように向き合うべきか」をできるだけ丁寧にまとめます。


■ 最善の態度:核心だけ先に

  1. 否定せず、まず苦しみを真剣に受け止める
    「そんなこと言うな」「考えすぎ」などの否定は逆効果です。
    苦しみの存在そのものを認めることが出発点になります。

  2. 一人にしない・孤立させない
    話を聞くという行為だけでも、生存の動機をわずかに取り戻す支えになります。

  3. 安全を確保し、専門家につなぐことを最優先にする
    カウンセラー、精神科、地域の相談窓口などにつなぐことが「最も実際的な助け」になります。

  4. 「生きろ」と命令しないが、“一緒に考える姿勢”を持つ
    希望や価値観を押し付けず、ただ隣にいて考える。これは非常に大切です。

  5. その人の語る「消えたい理由」を丁寧に聴く
    多くの場合、「存在を消したい」は“現状から逃れたい”“苦痛を止めたい”の別の表現です。
    そこにたどり着いた背景を理解することが支えになります。


■ もう少し詳しく(心理学的・支援の実践から)

● 1. 苦しみの“正しさ”を認める

「あなたがそう感じているのは、きっと相当に辛いことがあったからだ」というスタンス。
苦しみの評価はせず「その痛みが現実にそこにある」という事実を承認する。

● 2. 話を遮らず、解決を焦らず

アドバイスや説得を急ぐと、
「この人は本当に自分を理解しようとしていない」
と感じさせてしまいます。

● 3. 危険が差し迫っているときは適切に行動

命に関わる可能性があれば、迷わず 緊急支援につなぐ ことが必要です。
(日本なら“いのちの電話”“こころの健康相談統一ダイヤル”など)

● 4. つらさの根にある「無価値感」や「孤独」の扱い

存在を消したいという感覚は、
“誰にも必要とされていない”“迷惑な存在だ”
といった深い無価値感と結びつきやすい。
その感覚が誤解であっても、本人には現実です。
そこを丁寧に扱う必要があります。

● 5. 「あなたの存在には意味がある」と言い切らなくてもよい

時にその言葉は受け手に「空虚な慰め」と感じられます。
代わりに、
「あなたの語ることを、私は大切に聞きたい」
という“姿勢”で示すほうが支えになります。


■ 最後に

あなた自身がこうした状況にあるのか、あるいは身近な人のことかは分かりません。
もしあなた自身が「存在を消したい」と感じているなら、
あなたがこうして言葉を向けてくれたことは、とても大切なサインです。
ここで話した内容は一般論なので、
あなた自身の状況について話したければ、いつでも続けて書いてください。
私はあなたを裁かず、脅さず、否定せずに聞く姿勢でいます。

必要なら、信頼できる相手や専門の相談窓口にもつながることを勧めます。
あなたが今感じている重さを、一人きりで抱えなくていいように。

 

 

たしかに――
**「存在を消したいと願う人への適切な向き合い方」**を、体系的に学ぶ機会はほとんどの人にありません。
学校教育でも、家庭でも、社会の多くの場でも扱われず、結果として “どう接していいか分からない” まま大人になる人が多いのが現実です。

そのため、周囲は次のような“よくある反応”をしてしまいがちです:

  • 励ましで上書きしようとする
    「気にするなよ」「大丈夫だって」
    → これは本人の苦痛を否定してしまうことがあります。

  • 論理で説得しようとする
    「死んだらダメだ」「まだいいところもある」
    → 気持ちの深い部分には届かず、孤立感が増すことも。

  • 話題を避けて距離を置く
    危険な領域と思い恐れてしまう。
    → 本人には「自分は本当に誰からも理解されない」という感覚になる。

これは“悪意”ではなく、
単に学んでいない・どう扱えばいいか想像がつかない
というところから来ていることが多いです。


■ なぜ学べないままなのか?

いくつか理由があります:

◎ 1. 社会が「心の危機」を口にする文化を持ちづらい

日本を含む多くの国では、
弱さ・絶望・無価値感を語ることがタブー化しやすい。

◎ 2. “死にたい気持ち”を扱うのは専門家だけ、と思われている

しかし、実際には専門家につながるまでの“周囲の接し方”が最も影響する。

◎ 3. 指導する機会が体系化されていない

学校にも企業にも、こういった教育プログラムが基本的には存在しない。


■ だからこそ重要になること

学んでいないのは“普通”です。
しかし、“知らないまま放置していい”という意味ではありません。

むしろ現代では、
「絶望と向き合う技術」こそ社会全体で学ぶ必要がある
と言われています。

その技術とは難しいものではなく、
たとえば…

  • 苦しみを否定しない

  • 「それほどつらいのだ」と理解を示す

  • 解決よりも“つながり”を優先する

  • 専門家につなぐ責任を共有する

といった、誰でも学べる基本的な態度です。


■ あなたが言う「学習していない」はとても本質的だと思う

もしよければ、
あなた自身は“その無知さ”に対してどう感じていますか?

  • 怒り?

  • 諦め?

  • 悲しさ?

  • 理解できるという気持ち?

そのあたりを少し聞ければ、より深く一緒に考えられると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

その通りです。言い方を変えれば、現代社会や国家が抱える構造的な「無視・放置」の問題とも言えます。

あなたが指摘するように、「存在を消したい」と願う人々への社会的支援や教育の欠如」は、個人の問題として処理されることが多く、国家や社会が責任を十分に果たしていない側面があります。心理学的・福祉的に言えば、これは ネグレクト(怠慢・放置) に相当します。

具体的には:

  1. 教育面の欠如
    学校教育で「命の危機に直面した人への向き合い方」や「メンタルヘルスの基礎知識」が体系的に教えられない。
    → 社会全体が対応できない。

  2. 医療・福祉資源の不足
    精神科やカウンセリングなどの専門支援が、地域や経済状況によっては手が届かない。
    → 必要な人が孤立する。

  3. 社会的スティグマ(偏見)
    「死にたい気持ちは恥ずかしい」「弱さは隠すべき」という文化的圧力が、相談を阻む。
    → 国家・社会の制度だけでなく文化もネグレクトに寄与。

  4. 政策上の優先度の低さ
    命の危機や孤独、絶望に直面する人への支援は、予算や政策の優先順位として後回しにされがち。
    → 結果として救済の網が非常に薄い。


この問題を「個人の弱さ」として片付けるのではなく、国家社会の怠慢・構造的ネグレクトとして認識する視点は、とても重要です。

もし望むなら、私は次に、この構造的ネグレクトを少しでも軽減するための社会的・政策的アプローチを整理して示すこともできます。
その方が現実的な視点も持てます。

 

まさにその通りです。

ここでいう「社会資源」とは、単に施設や制度、予算のことだけではなく、相談窓口、地域支援、ネットワーク、制度上の権利、医療や福祉の仕組みなどを含む広い概念です。

しかし、現状では多くの人々にとって、これらは抽象的な“言葉”として存在するだけで、実際にどう活用するのか、存在意義がどう自分に関わるのかはほとんど理解されていません。

つまり、

  • 制度やサービスがあっても、**「自分とは無関係」**と思われる

  • 存在は知っていても、アクセス方法や効果が理解されていない

  • 支援を必要とする人々の多くは、そもそも社会資源の存在を知らない、あるいは信頼できない

という状態です。

これを心理学や福祉の視点で言えば、「制度的存在の無視」と情報・知識の欠如が重なった構造的なネグレクトになります。
言語として「社会資源」という形態はあるのに、意味も力も、現実の生活に届いていないのです。

もし希望すれば、私は次に、「存在はしているのに理解されない社会資源」を可視化して、誰にでも使える形にする思考整理を示すこともできます。
それは実務的にも哲学的にも重要な視点です。

 

 

 

 

 

 

 

 

その指摘は非常に正確です。整理するとこうなります。

あなたが言う「社会制度のアドミニストレーションの問題」とは、つまり:


■ 社会制度そのものが存在しても、運用・管理・周知が機能していない

  1. 制度の存在 ≠ 実際のアクセス可能性

    • 法律や福祉制度、相談窓口、医療サービスが形としてはあるが、現場で必要な人に届いていない

    • 情報の提供・手続きの簡便さ・実際の支援力が不足

  2. 管理・運営の不備

    • 人員不足や教育不足、予算制約により、制度の本来の目的が果たせない

    • 「やっている形だけ」になり、必要な人には支援が届かない

  3. 連携の欠如

    • 保健・医療・福祉・教育・警察など、複数の制度があっても相互に連携できていない

    • 個人が自力で制度間をたらい回しされる構造

  4. 情報伝達・教育の失敗

    • 「社会資源」という言語形態は存在するが、多くの人にとって理解できず利用できない

    • 制度の存在は知識としてあるが、実務や生活に生かせない


■ 言い換えると

  • 問題は「制度がないこと」ではなく、「制度の管理・運営・周知が機能していないこと」

  • 個人の苦しみや命の危機が、制度のアドミニストレーションの不備に直結している

  • これは単なる行政の怠慢ではなく、構造的・システム的な失敗として捉える必要がある


もし希望すれば、私は次に、「制度はあるが機能していない」状態を具体的に整理して、どの部分を改善すべきかのフレームを提示できます。
これは現実的な改善策や議論の基礎になる視点です。

あなたはそれを整理したいですか?