mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~ -121ページ目

何を食べようか何を着ようか心配は要らないというのは 全て必要は父と子と聖霊の三位自身が用意すると

人智によることは無い事で

父と子と聖霊の三位は

と云う事だ

 

どの人も

固有の存在自体であるから

決して父と子と聖霊は

見捨てたりしません

と云う事

 

そのことわりの実は

 

仁慈そのもので

生命そのものを

あなたに別け与えているというその実態

 

 

 

始めの事

というのは

わたしたち

人間は知らないもの

 

 

 

その事は

 

深淵の中に隠されてきた

 

ある者には

神と人が呼称している存在が

声をかけて来る

 

それは

預言としている

 

預かっている言

 

そのコトバは

神自身が

吐いた言だと

 

それは

父から出でた言そのもの

LOGO

THEO

 

言も神だ

 

それこそ

Nazarethのイエシュア自身と云う事

 

 

三つで一つと云うしかない事

 

 

から

子は

出でて

そして

地上にある人人の中に降って来た

 

降誕と云うけども

 

NATIVI

 

 

 

こさえられた世界

地球

宇宙

 

順番に

世界は構築されてきましたという

過程を説明されている次第だ

 

なんとかして

この世界の根源を

ROOTSを知っている事は

御徳そのものであるからこそ

 

地球上には

いろいろな神々があって

いろいろな事を

宣言してきた

 

 

受け止めるのは

人の方だが

 

神の声を聞いた人々がある

 

また

世界の世相を兆しを読む事もするし

 

 

観測したり

観察して

実際の物理現象を

神の意図だとして

理解している者もあるし

 

人の知識とは

完全に人自らの内部には

用意されてはいない現実を

みると

 

どうやって人は

知識を得るか

 

その過程は

今までの

人間の生活自体を詳しく観察する事で

知る事は

可能ではある

 

 

 

 

智慧

とか

智恵とか

知恵

とか

 

そこで人自身は

上智

とか

形而上とかいいはじめる

Metaphysical

 

 

 

物理的な現象を引き起こす力を

超えている力

その働きを推察する事

 

世界は

数で形成されているだろうか

それは

全て

IDEA

そのものであって

食べる事は出来ない

しかし

人智では

その思考を果実のようにして

呑み込む事は可能ではある

その思考のままに倣い生きる事で

そのpoliceと為すから

 

まるで

自分を一つの都市のよに

構築する事でもある

 

 

PRACTICEとは

実践と翻意訳しているが

 

明確にした意図で

しかも自分で納得して

価値も

哲学として

精査して

そこで

覚悟して

実行した

行為そのもの

 

肉体の快楽体験を求める事でもない

また

自分の好きをどこまでも追及する事でもない

 

当然に善徳だというそれを確実に実体験し

正に

知る事を

経験している事からこそ

 

光る北極星のように

その行先の指針となる

道筋を

方角を指し示す事の出来ているそれであるから

 

何か私的な偏りの好みを好む事でのmeritでは無い物事を

自分で

探求して

出会い

そして

知る事

 

つまり

知識を

教わる事だ

 

自学という

そのプロセスは

 

その個人の意向によるが

何かを事件や事故など

事案を

経験して

 

何故

人という存在はあるのか

とか

 

生命そのものは

一体何故

地球という星に発生したのかとか

 

 

なぜ

どうしてなのか

という

問いかけ

命題

 

題目

 

問題

 

 

クエスチオン

 

 

あってから

である

 

どうして

あれほど長生きしたいと主張していて

毎日

神仏に祈願した者が

あのように

早急に死を迎えてしまうのか

 

不合理な事の山積する世界は

ほんとに

 

善意ある神のいる世界なのだろうか

とか

 

やはり

ほんとは

神とか

仏などは

人の頭脳神経細胞システムの妄想の結果

いろいろな

IMAGEを創作して

構築した結果ではないのか

 

とか

 

 

人には

記憶している情報があって

それらを

自動化して生成しているだけでは無いのか

そこにその人の恣意性が少しだけ

影響を与えて

理想的な化象を

人体の内部で

構築して

実際に体験しているだけではないか

 

 

 

など

 

 

人自らの

憧れのようなその対象が

具体化出来ている事の希望とか希求とか

それを

詳しく査定して

あけらかに

証拠品として

提示できるcaseもあるし

そうでもないというケースもあるのです

 

 

わたしは神の声を聞きましたとか

主張しても

勝手に

自由に

その声は

創作できてしまうし

 

 

また

頭脳神経細胞システムの機能の働きで

幻覚体験などある時は

神に出会うとか私的な体験はあるし

それらは

複数の報告の記事もある

 

 

 

天から神がその人に降りて来て

わたしの意向を

多くの人々の

伝えてくれと

勧請す

と云う事は

いろいろな人の記事がある

 

ゴウタマシタールタさんも

その一人であるし

 

 

 

彼はインドの小国の王子だった

そこで

宮廷から

世に出た事で

いろいろな事を体験して通過する事だ

 

そこで

人とはどんな存在か

理解した

さとり

 

梵天

ブラフマの登場があるし

 

 

ブラフマのような存在として

成立する事

 

フタラク

 

補陀落

ポタラ

 

般若

 

涅槃

 

安寧

ゆるぎない安心のそれを

得た事ですし

入滅する事で

全て解脱している事だし

 

 

 

 

その人

その者の独自の存在があるのか

 

それとも

霊自体は全く同じで

肉体が変化して

形成されることを

繰り返して居るのか

 

など

議論は

尽きないのですが

 

 

 

 

キリスト・イエシュアの事からは

みな

全く違いのある固有の存在として

その者は

その者としての

限りない尊重が

神自身にある

 

 

 

一人

一人

我が子

なんだと

 

いわゆる

神の子であり

その神の子の

長子こそ

イエシュアなのです

そうして

記事は

されている次第だ

 

弟子らに

そう事を吐いたと云う事だ

イエシュアは

それが

聖書

巻物

羊皮紙などに

記事されていたのですから

2000年前にあった

出来事の

体験したそのものを

それぞれ記事にしたことだった

 

 

 

聖霊とは

父と子とそれぞれに発生している仁慈慈愛そのものである事で

その聖霊も全智全能全善である神自身で

三位は一体としている

 

TRIUNI

 

三神の別々の神々と云うそれでは無いとしたから

 

 

全智全能全善である方は唯一であり

三位

 

父と子と聖霊

それ以外は

全智全能全善では無い

何か欠如している

能力を保持している存在としている

 

 

 

 

Almighty

 

Almightyではあり得ない存在の無数

 

 

天使は

霊としているが

 

 

人には実際は見える事は無い存在である

 

そこに

ルシフェルという天使の最高位の存在があるけども

そのルシフェルは

父と子と聖霊の三位一体の意向をはじめから反故にした

拒否した

 

奉仕する事は

 

土塊から出来た人に

奉仕しなさいと

いう

命令を

 

そんな汚い存在に奉仕などするものか

廃棄した

命令を

主人の

 

 

それで

他の天使にどうだ

どう思うかと問う事で

ルシフェルに参与する天使達もいた

 

そこで

軍勢となる

 

そこに

位階の低い

ミカエルは

主人の命令をいつそうなることを

希求する天使であり

 

御言葉のそうなること

望むのですから

 

 

そして

全智全能

である事で

全善

全て善いのですから

それで十二分の満足を得る事だし

つねに

共に在る事は

最大最高の最善である事の

立証そのもの

具現化しているのです

meritの溢れて

終りない恩寵を

受け止める事であるから

 

幸福だと云う事

いつまでも

 

ルシフェルは

神の光の別けられた存在である事

 

しかし

その天使は

自分から

主人である

父と子と聖霊を

拒否したので

 

三位一体であるAlmightyの神は

 

 

 

居場所を用意した

そこが

いわゆる地獄という場所

 

 

 

人自身が

自分の意図で

神自身から

離れる事を

強く

促す存在こそ

悪魔とか言われている

神の意向を完全に拒否している天使たち

 

 

ゆえに

 

神自身を

悲しませるために

こそ

人々を誘惑して

おとしめることを

うながす

いざないますし

 

 

 

 

という

合理性があるのです

 

 

善意とは

一体

何か

 

善は徳と云う事であるが

meritそのものである事を

知る事

 

 

 

 

人間は生命自身であるその三位の神

永遠に共にある事こそ最善最高の幸福と云う事だと云う事を

知る事によって

 

どんな試練からも

過ぎ越す事を

可能とする事だった

 

 

わたしはあなたがたと共にいると

いうは

父と子と聖霊の三位自身の言と云う事

メッセージ

 

 

それを

受け止める人々もあるし

 

それを廃棄してしまう人々もある

 

 

神のあるのに

なぜ

こんな

艱難辛苦を自分の身に受けなければならないのか

どこまでも

反発する者もある

次第だ

 

 

 

全智全能全善でありAlmighty

万能なら

この俺を

なんとかしてみよ!

最も幸せにせ

猛獣のように吠える者もある

 

 

 

 

 

 

そうしたら

それを信じてやってもいいんだぞ

いう者

 

 

 

 

これは

あの三本の

十字架の

片側にいた

 

ゲスマスというローマの軍人たちを大勢殺していたグループの主犯格

 

伝承によれば盗賊の息子たち二人の一人

 

もう一人はディスマスという善き盗賊と言われている者

 

彼は幼い頃に重度の皮膚病に罹患していて

その時に

聖家族の避難先として

その盗賊の家が利用されたと

つまり

いうなれば福の神の訪問

 

聖母の腕に抱かれた幼子のイエシュアと

養父のJoseph

 

 

その重度の皮膚病を患っている子の母は

聖母マリアに

あなたの子の沐浴した後のお湯を

この子に注いでくださいと

祈る

 

どうぞ

Mariaは

そのまま

その湯桶のお湯を

手放す

そして

その盗賊の主人の妻は

いたいたしい

かわいそうな我が子を

湯をかける

途端に

その重度にただれた皮膚は快癒した

という逸話

 

 

其の後

その子らは

 

バラバ・イエシュアと共に

ローマ人の軍人らに反撃をくらわす

ゲリラとなって

殺人などを繰り返すと云う事

 

 

 

ローマ帝国の軍人によって

逮捕され

ローマ皇帝の配下の軍人を何人も殺害したからこそ

ローマ皇帝の意向に反撃する者として

極刑の刑罰である

十字架

晒しモノ

 

 

 

 

 

 

イエシュアは

バラバイエシュアの

身代わりになった

 

首領

激しくローマ帝国に反抗する

ゲリラのリーダーである

バラバ・イエシュアの

身代わりに

死刑を処断する事を

受け止めた

Nazarethのイエシュアは

 

そこにある

 

それを観て

 

一人は

イシュアこそ

ホントに

 

仁慈慈愛そのものではないかと

 

はっとしての

気が付き

目を覚ます事だった

 

 

聖母マリアは

目の前にいて

 

その三人を

ずーーと観ている

沈黙の涙で

 

 

 

母というのは

どの人にとっても母と云う事を

実証したのは

聖母マリアその人であった

それは

父の意向だったからということだ

 

 

 

 

NazarethのMariaは

15歳で

イエシュアを胎内に迎えたのであるけども

 

33年の経過ですから

この時は48才と云う事

 

 

未亡人になる母マリアを

弟子の中では最年少であるヨハネに託してあるし

そして

Mariaを母にする事を明言したのです

 

 

これも

 

いわゆる

寡の存在をどうして世話するか

弟子の中でも最も若い者に委託した

子としてある事を希望するのです

 

 

イエシュアは

御互いを支援として

最善の贈り物として

尊重する事

 

 

 

 

それを

明確に顕示した

言で

 

 

 

人は

不完全そのものであるから

ささえとなること

御互い

その方自身が

死を迎える時まで

 

それは

いつも共にいるという約束のある事だからです

 

 

 

生命と共にあり

光と共にあり

言と共にある

 

それこそ

イエシュア自身と常に共にあるという

その具現を

日常の生活で

ヨハネと

Mariaは

立証した事だった

 

 

 

 

50日目には

聖霊の降臨

 

天主である神の子人の子のイエシュア自身は

天に昇り

父の右に座している

 

 

 

そこで

あなたがたを孤児にはしません

発言

 

もう一方の助け

贈りますと

して

聖霊が贈られたと云う事だ

燃える炎のように見える真っ赤な舌のようだと

記事されている

 

 

 

聖霊の7つの賜物を

贈り物として

頂いたのでした

 

 

今までの

出来事を

一つ一つ

おもいめぐらし

先祖の人々が体験してきた事も

全て含めて

一体

 

IYA

PHUEA

AVE

 

その方の意向は

何かを

聖母マリアは

ずーーと

思いを巡らすのですから

 

 

弟子らはその態度に倣う事でした

特に

ヨハネ

IYA

PHUEANE

 

 

そうしたのです

 

そして

黙秘されていた全て事は

開示されて

器に受け止めたのです

汚れない器に

 

それこそ

黙示録

 

秘匿で黙秘されていた内実を顕示したこと

 

 

 

 

それを

示された者はヨハネだったのですから

 

 

完全に善い事の説明が全て開示されている

ヨハネを通して

 

 

西暦100年ごろまで生きたと言われている

エフェソスで

 

コーリングは

彼は12・3才の頃ではないでしょうかね

 

または15歳でしょうか

兄はヤコブという

 

大ヤコブと言われているが

ゼベデオの息子たち

母はマリア・サロメであるし

 

 

アルフェオのMariaもいているし

 

 

ヨハネは少し年上のアンドレアと共に

イエシュアの宿に泊まりに行った

その前に

イエシュアに洗礼を授けた

ヨハネがあり

彼に信頼していた

 

そのヨハネから

みよ

神の仔羊と云われた方を

観て

そして

追随したのです

 

私の後についてきなさいというのは

 

イエシュアが

多くの人々に

父の意向をそのまま知らせる事であったから

 

 

 

アブラハム

イサク

ヤコブの信頼している神

 

 

 

 

その神は

わたしの父だと云っている

その神の子はイエシュアだと

そして

人の子だと

 

 

必ず処刑される時を迎えて

三日目に復た生きるとも

予告していた

 

でも

そんな事はあるはずがないと

みな

そう思っていた

 

 

 

殺されて

三日目に

新しい神殿を再建する

 

というのは

一体

何かも知る事はその時は

無かった

 

聖霊の降臨の後に

その事を理解する事が

出来たのでした

 

 

神殿の破壊と

再生

 

 

Nazarethのイエシュアこそ神殿であり

父の居ます處と云う事を

確実に立証したのです

 

それでも

拒否する大祭司の人々

 

 

 

 

 

神殿も下から上まで待っ二つに割けたのです

幕も

二つに割けた

 

 

 

 

至聖所は

明けらかになったのでした

 

大地震のあること

 

真っ黒な雲の下

 

十字架の上での死の時

 

心臓に

長い槍の穂先が

心臓の膜を二つに割いた

そして

抉るその刃先

 

 

 

ローマ人の兵士の一人である彼

 

後日

ロンギヌスと呼ばれるその者の目には

Nazarethのイエシュアの

血と水が

噴水のようにかかる事で

見えるようになった

 

枯れ木にしたたり

涸れた土地に

染みわたる

 

 

 

川の流れのように

 

 

 

人々の善意の欠如の行為で

穢れている土地は

汚された土地を

浄めるための水と血

永遠の命を贈るその水と血

 

新しい芽と木の枝葉と

その果実

 

ガリラヤの

Nazarethという村の出身

その方

イエシュア

 

天使ガブリエルは

三位の意向を

Mariaに運んできた

 

 

主の御言の我が身なりますように

アメン

 

 

 

 

 

 

この

Fiat

VOLUNTAS

TUA

 

と云う事でした

 

これは

イエシュアもそうしている

 

 

父よと私の望みではなく

あなたののぞみのそうなること

 

それを希望する

希求する

としているのであって

そうなった

 

 

 

終り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南山堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最善とは せいめいそのものであるし いのちそのもの なんといのちの営みは美しい事でしょう

最善とは せいめいそのものであるし いのちそのもの なんといのちの営みは美しい事でしょう

 

それは

ある人が

殺意をもって生命を抹消し侵害する事を

当然としても

 

いのち

そのものは

決して

そのひのあかりを

消す事は無いのです

 

 

自己破壊とか

自己滅亡とか

そのために

他の多くの人々を

自分のその生命破壊の意図に

巻き込む事をしたとしても

 

それでも

 

いのちとは

煌めく炎の如く

 

ひあかり

 

火明るい

 

 

 

ともし

火のあかあけ

キラキラと

ひあかり

 

ひかある

 

 

 

決して

いのちそのものは

消失する事は

無いという事実は

 

あるからこそ

 

 

 

 

もしも

世界の全ての消失があっても

 

いのちそのものは

消失する事は

無いと云う事

 

 

それは

 

Nazarethのイエシュアの事であったと

顕示している

 

父は言を吐いた事

よきしらせ

とは

正に

吹く風の如く

 

父の口からいきるいき

吹き付ける

三度

 

ふーー

ふーー

ふーーー

 

 

その言

とは

正にLOGOTHEO

 

LOGOS

 

 

 

 

 

 

 

はじめに言ありき

とは

 

何を意図しているのか

 

詳しく知る事を

希求して

自分から

探求する事こそ

賢明の一つ

 

賢明とは

7つの恩寵の一つ

聖霊の7つの賜物

 

 

 

 

 

 

 

哲学の哲とは

 

物事の解明する

あけらかにすること

あきらかにすること

 

 

 

 

 

 

 

その為に必要な力とは

どうやって

人自身は

得るのか

じっくりと

思案して

もの

 

おもいめぐらすこと

 

 

 

 

 

 

意図

ACT

行為

実践

 

そのもの

 

 

ワーキング

 

 

 

 

 

コワーキング

 

Maria

NazarethのMariaと共に

コワーキングする事を

多くの先達は宣べている次第だ

 

 

福音とは

一体

何をいっているか

 

GOODNEWS

 

 

とは

何か

 

 

 

 

 

南山堂
 

 

 

 

 

COSMAS AND DAMIAN

Cosmas and Damian - Wikipedia

 

 

 

 

 

 

秩序あって善徳の品物を自分と仁慈そのものである神と一緒に協働して生産できる事だね

 

 

 

それ、すごく深い考え方だね。
「秩序あって善徳の品物を、自分と仁慈そのものである神と一緒に協働して生産できる」って、まるで人間が神と共に善を形にしていく創造の旅みたい。

秩序があることで混乱せず、善徳があることでその行いが正しく、そして神の仁慈と共にあることで、それがただの行動じゃなくて意味ある営みになる。
まるで、森の中で風と太陽と土が協力して一本の木を育てるような…そんなイメージが浮かんできたよ🌳

その考え方、どこかで学んだの?それとも自分で思いついたのかな?