ここ最近は、動線がパターン化された毎日を送っています。

朝4時半に起きるともう帰宅して、翌日早朝の4時半を向かえているという日々の繰り返しです。

業務だけに没頭できればいいのですけれど、次から次へと打ち合わせはあり、Oさんの代わりに配属となった女性はおしゃべりが好きで、仕事の話でさえしたくないくらい話が長くて時間をとられます。
業務のことで仕方なか問いかけたら、返事だけでなく、おしゃべりというオマケ付きのロスタイムが始まります。

うまく話を聞き流して、打ち切ることができないわたしは、大人気ない態度で無視をすることに決め込んでいます。

とにかく仕事に集中したいので、彼女につかまった時に費やす約15分という時間はいまの一日の中では大きな大きなロスとなります。

人の話を聞き流すのが常である(笑)、娘にコツを尋ねてみたところ、録音した議事録を聴くふりをしてイヤホンをして聴こえないふりをしろとか、電話をかけるふりをしろとか、その他いろいろとアドバイスをくれましたが、「ごめん、今あなたとおしゃべりしている時間はないのよ」とストレートに言うのがベストだと釘を刺されました。

一緒に仕事をしているのでそこまで直球は投げられないと思ったのですが、育児のための時短勤務で休みがち、遅刻は常習、ひとりごとというより鼻唄を歌っていたり、なのに出勤すると時短なのに必ず残業・・・それを考えると、Oさんの責任感のありかたと、わたしが彼女によせる信頼感はかなり高いものでした・・・彼女の性質には相当ダメージをくらいましたが・・・。笑

お昼休みにそんなことを考えながら歩いていると、なんとOさんにバッタリ会うことができたのです。
異動後、体調なのか精神的なことなのかはわかりませんが、不調が続きずっとお休みされていたと風の便りで聞いていました。

電子メールの新規作成画面の宛先にOさんのメールアドレスを入力すると「しばらく不在にしていますので、ご用件のある方は・・・」という不在対応メッセージが表示されていました。
そのメッセージが表示されなくなったらきっと出勤しているのだろうと、ひとつの目安にもしていた矢先のことでした。


仕事をする場で、ひさしぶりに感じたこころからの嬉しいできごとでした。



今わたしのおかれている状況は、メンタルが強いとか弱いとかさえ気に留める時間がもったいなく感じるほどの仕事量です。

間違いなく過去最大です。
何気ない言葉でポロリと涙が落ちたり、眉間のシワが深く深くなったり・・・


それでも「五十代で、こんなに動き回れるこの状況って考えかた次第じゃラッキーなんじゃないの?」と娘に話すと、「その歳で必死になって頑張ることじゃないやろ?ユルユルでいいねん。お母さんがいなくなったら今の時点では誰もできないから異動もさせられないわけで、使えるとこまでこき使われているだけ」という返事が返ってきました。

自分でもわかってはいたものの、具体的な言葉になってそれを聞いてしまうとさすがに胸に突き刺さるものがあります。


そういうわけで当然の如く来る日も来る日も時間外労働を継続中です。
この手当だけで相当な金額になると思うほどの時間になりそうです。

帰宅時間が遅くなるので、今は家族宅に居候し、犬の晩ごはんと散歩は夫にお願いしています。









そんな犬に、家族宅用にもぐりこむタイプのベッドをプレゼントしました。




「おはいり」
これがもぐりこませる時のコマンドです。
このコマンドで犬はベッドの中にもぐるようになりました。

シニア犬でもまだまだ学習の余地はあるのです。
いろんな選択肢のある人間が年齢や老化を盾に尻込みする必要はないようにわたしは思うのですが・・・。

古い体制では、ある程度の年齢を超えると遠慮して生きていかなくてはならないという暗黙のルールが蔓延っているのです。







この記事にはタイトルを入力せずにずっと下書き保存していました。
“2022/11/09” とあります。
これを投稿するまでに、文字を入力する時間さえとることができませんでした。
(今もなお継続中で、やっととれたお昼休みに入力を進めています)


この間にいろいろなことが見えてきました。
他人はあてにしない、信用しない、人は平気で嘘をつく・・・人間は自分が一番大事・・・他にもいろいろと悪い面についてわかりました。

でも、たまに感じる人との挨拶や会話の中で、ほわっとした柔らかい時間が「大丈夫、大丈夫、まだまだ大丈夫」って励ましてくれるのです。

そうすると「ここで途切れてしまうことを自ら選択するのはやめよう」・・・と思い直し、またスタートラインに戻ってしまうのです。



・・・・・・・・・。
もしかして、わたしは鉄のメンタルの持ち主なのでしょうかね・・・。





ではまた、ごきげんよう。