8月は叔母と祖母の1日違いの命日から始まり、広島と長崎への原爆投下の日、日本航空123便墜落事故、そしてお盆、今日の終戦記念日・・・もしかすると1年の中でいちばん命について偲ぶ月かもしれません。
ここに、第二次世界大戦で、大日本帝国海軍により編成された特別攻撃隊についての興味深い記事を転載します。
当時、母方の祖父は満州に出向いていたそうで、当時の様子について、祖母は祖父が身につけていた軍服や水筒、懐中時計などを見せてくれながら戦争についての話をしてくれた・・・とぼんやりと記憶している。
祖父は家に戻ってきてから体調を崩し、定職にも就かず伊達男を気取っていたそうだ。
家計を支えていたのは祖母で、家は大変な貧乏だったそうだ。
どうでもいい話だが、この祖父は滝廉太郎氏と瓜ふたつで、会ったこともない祖父の遺影を見て、わたしは音楽室にかけてある音楽家の中の滝廉太郎氏だとずっと思い込んでいたくらいだった(笑)。
それにひきかえ、父の家は非常に裕福で、馬も数頭飼っていたそうだ。
男兄弟5人の四男である父は祖父から厳しく優しく育てられ、結果、「努力」の人となり、その信念はこのわたしにしっかりと引き継がれている・・・と思う(笑)。
そんな父と母が出会って家族となり、わたしと弟が誕生した。
父も自分が子供の頃の話や、自分の父から聞いた戦争の話をわたしにいつも話してくれていた。
そういった、今でいう読みきかせのおかげで、先人たちの想いや過去からの積み重ねを未来に繋ぎたいと思う大人に成長することができたのか・・・なと思う。
おじいさん、おばあさんがご健在のご家庭では、まだよく理解できない年齢の孫たちであったとしても、今日という日のこと、そして日本人の善い行い、悪い行いについてしっかりと伝えてあげて欲しいと思う。
ではまた、ごきげんよう。