yoskのブログ

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ついにココロノオト発売日ということで、いろんなサイトでインタビュー記事が上がってますね。
 
色んなところで、色んな内容が書かれてるので、大事な情報を逃さないように、初出し情報中心に気になるところだけ抜粋してまとめます。自分用メモ。

※全編要約ではないので、ささっと読む用とかにはならないと思います。1番大切な、いつも彼女が語っている核の部分などは、ここでは省いているので。
 
 
 
【引用元】
 
 

【2017.10.12追記】CINRA.NET
 
 
 
 
 
【内容メモ】
◎ソロ活動全体に関して
 
ももクロだと(中略)歌以外のエンターテインメントで楽しませることも多いんです。でもソロの時は、(中略)私の気持ちを歌で伝えることのみで勝負するスタイルだなって思います。 (Uta-Netより)
 
1人の人間として思っていることを裸のまま言葉にして、曲やライブにできたら。 (ORICON NEWSより)

グループでは出来ない表現にも挑戦したい」と思うようになってきて。 (CINRA.NETより)
 
(歌詞を書くとき大切にしていることについて)
自分が思わないこと、ファンタジーな世界は書かないことですかね。(中略) だから、それこそ日記に綴るような、みんなが「あ、これわかる」って少しでも共感してくれるような言葉を選ぶようにしています。 (Uta-Netより)
 
ノートにはここに出せないくらいの、もっとドロドロしたものもありますね。最初に歌詞を書き始めたときは、やり方も何もわからず──学校で、作詞の勉強をするわけでもないので。"これ、暗すぎるでしょ"ってレーベルのプロデューサーにも言われたこともありました(笑)。 (Skream!より)
 
ジャケット写真やミュージックビデオの衣装も全部自分で買いに行きますし (ORICON NEWSより)
 
なんか、ソロとしての実力も知名度もまだまだだなって、こないだの『宗像フェス』をやってみても痛感しました。 (Uta-Netより)

次は小さなライブハウスとか、路上とかでもやってみたいですね。 (CINRA.NETより)
 
 
 
◎曲、アルバムに関して
 
今年に入って、アルバムをリリースすることが決まったようなものだったので。 (Skream!より)
 
「遠吠え」までが、横アリをする前に作った曲なんですよね。 (Skream!より)
 
ただ自分の心境をがむしゃらにバーッと曲にしていました。でも、それが曲順でいうと「遠吠え」までですね。 (Uta-Netより)
 
横アリまではとにかくがむしゃらに、初めて曲を書くし、書き溜めていたノートから言葉を使いながら、自分の思っていることに共感してもらえたらいいなっていう気持ちで書いていたんです。でも横アリが終わってからは、やっぱりそれだけでは自己満足だなと思って。 (Skream!より)
 
最後の2曲の「色えんぴつ」と「ヒカリの声」が今年作った曲です。 (Uta-Netより)
 
(ピアノを使う曲が多いことについて)
特にピアノでいくぞって思ったわけではなかったんですけど、単純にピアノのジャジーなロックや、ピアノ・サウンドが好きなんです。普段聴く音楽も──ギターの曲も聴くんですけど、気づいたらピアノが多いです。 (Skream!より)
 
(心の旋律の歌詞について)
この歌詞は、私が喉を壊して全く声を出せなかった頃、筆談の生活をしていたときの気持ちを描いたものですね。(中略)ただひたすら「歌いたい 歌いたい」って何枚も何枚も紙に書いていたんです。 (Uta-Netより)
 
(Catch Upについて)
芸大だったので、音楽やってる子や、作曲の勉強をやってる友達も身近にいたんです。同い年でもこうして作曲の勉強をしてるんだなって刺激を受けて、試しに私も曲を作ってみたいって、大学1年生のときに作って、そこからずっと眠っていた曲だったんです(笑)。それで、横アリでのコンサートが決まったとき、"あ、あの曲があった!"と思って。初めて作った曲だからメロディも覚えていたし、友だちは打ち込みができたから、ちゃんとデモとして残っていたんです。 (Skream!より)
 
(Catch Upについて)
ソロライブに向けてアレンジし直してもらったのを聴いて、等身大の自分で書くとネガティブな詞になりがちだから(笑)、女の子の可愛い恋心の妄想を膨らませて作ろうと思いました。友だちの話やドラマから「自分だったらこうなるだろうな」というのを箇条書きにしたら、バーッといっぱい出てきたんですけど、なかなか1曲に組み立てられなくて。こっ恥ずかしいさもあったから(笑) (ORICON NEWSより)
 
「ハムスター」が、人生で初めて、作詞作曲を全部やった曲ですね。横アリをやるって決まって、じゃあ、自分で1曲だけでも作詞作曲を頑張ろうと思って、何もやり方がわからないけど、とりあえず鼻歌でやってみようってイチからメロディを作って、自分で完成させた初めての曲でした。(Skream!より)
 
(裸について)
小谷さんとの打ち合わせでは事前に──これは世には出ていないんですけど、自分のイメージした歌詞を実際に書いて"今の自分は、こういうことを思っていて、こういうイメージなんです"というのを、お渡ししたんです。それと、私が小谷さんの作品の中で好きな曲を伝えたら、"すごくわかった"と言ってくれて。そこから、「裸」という、私が書いた歌詞とはまた違うけれど、でも私の想いや私の声にも合うような素敵な楽曲を作ってくれたんです。
(Q.自分で書いた歌詞はどんな内容?)
"皮肉"っていうタイトルの歌詞を書きました。 (Skream!より)
 
(裸について)
1回、レコーディング・ブースに小谷さんが一緒に入って、肩をポンポンしながら歌ってくれて(笑)。リラックスできた状態を作ってくださったんです。それで、本格的にヴォーカルのディレクションをしてもらって、ひとりでブースに入ってレコーディングという感じでした。緊張感もありつつ、勉強になるレコーディングでした。 (Skream!より)
 
(小さな勇気について)
イントロの前に、ピアノの単音で始まるんですけど、その音は最初なかったんです。でもこの曲は、最初はひとりしかいないけど、少しずつみんなの声や力が集まって手を繋ぐようなイメージで曲を作っていたので、曲自身も、そういう世界観で始められたらなというのがあったんです。 (Skream!より)
 
(色えんぴつについて)
小谷さんの「裸」という曲は、自分の曲の中でもいいスパイスになっているなというのがあったので、自分でもまた違ったアプローチで、そういう世界観を持った曲を作りたいなと思っていたんです。
中学生のころから書き溜めていた作詞ノートに、"色えんぴつは大事な色からなくなっちゃう"というメモがずっと残っていて。"色えんぴつ"というタイトルでいつか曲を書きたいというのは、去年から思っていたこともあり、じゃあ作ってみようと思った曲でした。
そこから、アレンジャーさんは誰にしようかと探していたとき、たまたまYouTubeで大森靖子さんが歌っているポッキーのCMソングを聞いて(ラジオCM ポッキーを食べながらシリーズ"メッセージ"篇)、その世界観がどストライクで。(中略)それでプロデューサーさんに、Tokyo Recordingsの小島裕規さんにお願いしたいですって言ったんです。 (Skream!より)
 
(ヒカリの声について)
みんなから光をもらってばかりじゃなくて、私もみんながしんどいときとかに、頑張ろうって思えるような希望の光を贈れたらいいなぁ、届けられたらいいなぁって。この曲のMVでは、そういう思いを鏡を使って表現してみたりもしました。 (Uta-Netより)

(アルバムから感じる、自由と孤独について)
私が一人っ子だからなのかもしれないですね。一人っ子って孤独でありつつ、そのことを楽しんでいたりもして。しかも、お父さんとお母さんの目が自分にしか来ないから、時々窮屈に感じる時もあるんです(笑)。それで、余計に「自由」を求めるのかなって思いました。一人は好きなんですけど、でも寂しい時ももちろんあって。 (CINRA.NETより)
 
 
 
◎その他

小学校4年生の時、EXILEさんのアリーナツアーでメインキッズダンサーとして回らせてもらって、ソロパートもあるくらい美味しい役どころをいただいたんです。「私、めっちゃ今頂点だ!」って思ってたんです。(中略)横アリがツアーファイナルで、DVDの撮影も入ることになっていたんですね。
で、前々日のリハの時に、全然知らないダンスの上手い子が急にいっぱいリハに来て。(中略)横アリではその子たちがメインステージで踊ることになっていて、(中略)別に映像に残ることが全てじゃないけど、「ここまで来て、最後はこうなるのか…」って。
横アリに行くと、あの時の悔しい気持ちが蘇ってくる。だから、昨年ソロライブ(中略)の模様がDVDになった時は、もう涙がボロボロ出て来ました。映像で残った…って。 (CINRA.NETより)
 
1番最初のトンネルかぁ…。(中略) 小学6年生のとき、喉にポリープが見つかって、手術をしたことだと思います。お医者さんには「これからも普通に生活を送る分には、全然このままでも大丈夫だよ。でも、もし歌を仕事にしたいのであれば、今のうちに切っておいた方がいいと思う」って言われて。正直な話、そのときは小学生だったので「絶対に歌で生きていく!」みたいな覚悟もなかったんです(笑)。だけどやっぱり歌はもともと好きだったし、何故か「切る」って決意をしたんですよね。 (Uta-Netより)

中学の文化祭で一度、ドラムを叩いたこともあって (CINRA.NETより)
 
今までの人生では、修学旅行も1度も行けなかったから。 (ORICON NEWS)

私には、何をやっても受け入れ、評価してくれるファンの方がいるのも大きくて。喉を壊して筆談生活を送っていた時も、正直かなり落ち込んだんですけど、(中略)待ってくれる人がすごくたくさんいて、(中略)私自身もその人たちの力になりたいって思ったし、「誰か聴いてくれる人がいる」っていう絶対的な信頼関係があったからこそ頑張れたんだなって思います。最終的には、そこが一番の心の支えになってくれましたね。 (CINRA.NET)

(大学について)
やっぱり大好きな芸術を学びたかったし、写真だったら一人でできるし。入学した時は知識も全くなかったんですけど、フィルムの使い方、リール巻き、ネガを作って暗室で焼いて……と、イチから学びました。 (CINRA.NETより)

こういうお仕事をやらせてもらっていると、電車に長時間乗ったり、景色を楽しみながら歩いたりする生活を失ってしまいがちなんですけど、大学へ通っていると、いつもの道を歩いている時にふと歌詞やメロディーが浮かぶ時があるんですよ。なので大学4年間は、今の自分にとって大切な時間だったのだなと思います。 (CINRA.NET)

大学に通うのも、校舎が遠すぎて「これちょっとキツイな……」って心折れそうになった時期もあったんですけど、「いや、ここで留年なんて絶対に嫌だ、負けてたまるか!」という気持ちでした。「ドチャクソ根性」っていうのかな(笑)。 (CINRA.NETより)


在学中は課題に追われて「撮りたい写真を撮る」というよりは、「この写真をいつまでに撮らなきゃいけない」という感じだったんです。そのおかげで卒業してからも、カメラを持っていないと落ち着かないようになってしまって(笑)。
街を歩いていて「この景色は私のあの曲に合うな」とか、「この空の感じは、この曲に合いそうだ」とか、全てリンクしていくようになってきました。 (CINRA.NETより)

今まで押さえられなかったコードも、必要に駆られて何度も弾いているうちに押さえられるようになったりして。 (CINRA.NETより)
 
 
 
 
 
以上、知らなかった情報を中心に備忘録としてまとめました。
また記事など公開され次第、追記していきます。