今回、母親と絶縁した記念(?)に、自身の家庭環境を振り返っていこうと思う。
皆さんの家族って、どんな家族ですか?
ご両親はどんな人ですか?
私の小さい頃からの大半の記憶の親は「つねに不機嫌でイライラ」してました。
父親も、母親も。
そして、楽しかった思い出よりも「両親が喧嘩していた」思い出が多いです。
顔を合わせるたびに喧嘩。穏やかに雑談していた記憶はほぼないです。
でも食べることに苦労もしてないし、両親からの暴力も受けてない。だから、私の家庭環境は、まー良くも悪くもなかったのかな?なんて思ってました。
良くも悪くもない、そんな家庭がどんな家庭だったか、振り返ります。
小学生の頃、玄関で喧嘩する両親の怒鳴り声に、一緒に遊んでいた友達がドン引きしていたくらい、両親の喧嘩の口論は激しかったです。
私にとっては日常茶飯事だったんで、恥ずかしいとかないです。これが普通。
親の機嫌は子供がとるものだし、意見を言って不機嫌をぶつけられるのが怖いので、常に両親の機嫌を見てから接してました。
私には姉がいますが、彼女も私と同じだったと思います。お互い、中学生から自分の部屋ができ、よく部屋に籠もって両親とはなるべく接しないようにしてました。
父は育児に無関心、家事はやらない。
怒りの沸点はかなり低い。怒ると暴力こそ振るいませんでしたが、物に当たる人でした。
ご飯中に喧嘩が始まると味噌汁を襖にぶち撒けたり、ご飯の入った茶碗を天井に投げたり。
父に関しては炊きたてのご飯が熱いだけでイライラしてましたね。
母は母で一人で家事育児の負担が大きかったのか、「なぜ私一人で」とイライラしてました。
子供が何かする前に先回りしてあげるタイプで子供が何かして失敗すると、なぜ言わなかったのか何故こうしなかったのかと必ず叱られる。お陰で、一人で考える能力が育たず、成人してからも何かする時は母に確認してからやるという自立心皆無なポンコツ姉妹となりました。(現在は治ってます)
例えば、出かけ先で「トイレ行ってもいい?」、
お風呂では「もう上がっていい?」
「飲んでいい?」「食べてもいい?」「これってどうすればいい?」
とか、日常で「してもいい?」って母に許可を取るんですよ、癖で。そんなん勝手にしろよってことを。
トイレなんて「トイレ行ってくる」だけでいいのに。
これ、子供のうちなら違和感ないかもしないですが、成人してからもこうでしたからね…。
私だけでなく姉も同じようになってました。
親がいつから不仲になったのか、明確なきっかけは覚えてません。ただ、記憶の片隅に2人が仲が良かった時期もありますので、元々仲が良かったのです。
それが小学生頃から徐々に悪化し、2人の仲が決定的に悪くなったのは、父親の浮気が発覚してからでした。
それはもう家庭環境は荒れに荒れました。喧嘩の頻度は格段に上がった。
最終的に母は出ていき別居。
しかし、家事をやりにだけ週に何回か帰ってくる。
母のストレス値は上がったのか以前よりも当たりが強くなったし、怒りの沸点が低くなった。
夕方、帰ってきた母の車の音が聞こえると、私も姉も逃げるように自室に避難してました。
極力母と会わないために。
好き、嫌いとかじゃなく、恐怖の存在でしたね。
母の口癖は
「私はこんなに気を使ってるのに、あんた達は気を遣ってくれない!!💢」
です。
気を遣うって何だろう。
どうすればいいんだろう。
わからないけど、できてないんだろうな。
と、学生の私は思ってました。
私たち姉妹は相当母に気を遣っていたと思います。
なるべく神経を逆なでしないように接してましたし、口答えはしなかった。
でも、母の求める「気を遣って欲しい」は違うかったのでしょうね。
多分、母は私たち姉妹に父がやらない分、家事をやってもらいたかったのだと思います。
しかし、家には母のルールがありそれを間違えると叱責される。
「やって」「手伝って」って言われればやったでしょうが、母は「言わなくともやっておいて欲しかった。察してやれ。」を求めていたのです。
しかし、自分から動くを知らないポンコツ姉妹は、下手に手を出して怒られるのを恐れて逃げを取る。
今でこそ、もしかして母はこうだったからイライラしてたのかな?なんて想像できますが、当時の私たちには全くそんな考えなんて浮かばなかった。
ひたすらに不機嫌な母から逃れようとしてました。
父は無関心で、母は過干渉、
2人ともいつも不機嫌で子供をコントロールしてきた。
私たち姉妹は社会に出ても他人の顔色を伺う人間に育ち、特に姉はこの性質のせいで社会で上手くやっていけなくなった。他人の顔色を気にしすぎて対人関係がどこへ行っても上手くいかない。
結果的に自殺未遂まで起こした。
その時、実家を離れていた私はそれを聞いて、「楽になれなかったか」と、姉に同情しました。
姉の自殺未遂に関して、母は
「あれは死ぬ気はなかった。だって部屋のドアが空いていたから。気づいてほしかったんだよ」だけです。
腹を割って、子どもと話すことはしないのです。
でも、母は子供を愛せていると信じて止まない。
父はこれがキッカケで、引きこもりがちな姉に強く物を言えなくなったらしいです。彼もまた向き合わず逃げることを選びました。
そして、父は私が社会に出る前に病気で亡くなりました。
我が家庭環境はどうでしょうか。
私の周りにはもっと酷い家庭環境の人の話が多すぎて、まだマシな方かなって思ってます。
でも、よくはなかったんだろうな〜と、他人に自分の家の話をすると引かれるので思います。
お恥ずかしい話ですが、わたくしおねしょが、ずーーーっと治らなかったのです。
寝る前にトイレ行っても、飲み物飲まないようにしてもダメ。お陰で旅行の時はドキドキでした。
それを実家出た途端治ったので、原因はストレスだったのだなぁ、と。身体は正直ですね。
そして、
ここからはほぼ母に関してです。 (父が亡くなってからなので)
実家を出ても、私の家庭環境は縛り付けてくるのです。
母は精神的にやられている人間に対し、追い打ちかけるタイプ(うつ病は甘えと言う人)ですので、私は早々に実家を出ました。仕事のストレスと家のストレスで過食になり、月経が半年止まった時点でヤバいなと自分で思ったのです。
実家を出る時も、衝動的に出ていこうとしたら母に「こんな形で出ていくなら縁を切るぞ!」と言われ謝り倒した記憶があります。相談もなく引っ越し先の部屋を決めていたのが気に食わなかったようで。(そこ?)
母は自分の知らないところで、子供が何かを決めるのが許せないのです。子供のことは何でも把握しておきたいのです。
後の旦那になる人との同棲を機に、県外に転職が決まった事を母に報告した時も怒られました。
「転職の相談もなく、私に話してもくれなかった。酷い」
もう30間近の大人が、転職の相談を一緒に暮らしてもない親にするの?え?
と、流石に母に引きつつも、とりあえず謝っとく私も良くないなとは思いました。彼は県外の人なので、最終的にそっちに合わせることは言ってありましたが、それでも母にとったら駄目判定らしいです。
私は母に口を挟まれるのが嫌で、全て事後報告を取りました。自分の選択を母に反対されるのが苦痛だからです。
母がダメだと言えば、自分の選択に自信がなくなる。
多分依存していたのでしょうね。
そして、歳を重ねる事にその依存が苦しくなっていった。私は母からずっと抜け出したかった。
物理的な距離ができれば自然と接点は少なくなり、心地よい距離感ができました。
それが崩壊したのは私が子供を妊娠した時。
里帰り出産を母に提案されました。
断固として拒否しました。
母は精神的に参っている時にトドメを刺してくるので、絶対に気を遣いすぎて病む未来が想像できていたからです。
そしてワンオペが始まりました。
初めての育児の辛いことは「まともに寝られないこと」です。寝られないとどうなるか、別の不調が出てくるのです。膀胱炎、腰痛、長引く悪露、目眩、頭痛。
そんなボロボロの私を心配して、母はよくこちらに来てくれました。ごはんを届けてくれた。
そして、気分転換と言って「外に連れ出された」。
カフェで息抜きしようと言われ、産後二週間くらいで外に連れ出されショッピングモールを歩かされた時は寝不足も合間ってしんどかったですね。(悪露は悪化した)
でも、母なりの気遣いで、私を想って良かれとやっていることなので無下にもできませんでした。
母とは妊娠中から子供関連のことで連絡頻度が跳ね上がりました。
当然、母が不機嫌の時に連絡する事も増えたのです。
母の不機嫌は私の中でトラウマレベルで、少し文面を不機嫌にされただけで、「何かしたっけ」「私がいけないんだ」と不安がレベルMAXになります。
そのたびに、私は母に「その言い方は傷つくから辞めてくれ」と訴えました。
でも、母は「私ばかりが悪者、いつもあなたは被害者。私も傷ついた」と、見当違いな返しをしてくる。
私は言い方が悪かったらごめん、でも私も傷ついたんだよ、と言っても母は「私ばっかり悪者、いつもあなたが被害者」のスタンスを崩さない。
お互いごめんね、で終わるのに。母は絶対に私が傷ついたのを受け止めてはくれない。
そのたびに頭をよぎります。
「縁を切りたい」
そしてストップがかかります。
お金をたくさん出してくれた、ご飯だって届けてくれた。私を気遣っていろいろしてくれた。それは不義理だ。
でも、今でこそ思います。
どれも私が望んだことではないのです。やってくれと頼んだことではないのです。
母が良かれとやってくるのです。
だから余計に受け止めるのがキツかった。
母の良かれを無下にして、母から非難されるのが嫌だった。ここでも母の顔色を伺っていたのです。
幼少期からの癖がここまで染み付いてしまっているのです。
実は私は母と仲が良いと思っていました。
実際、旅行やお出かけは頻繁にしていて、周りから仲いいねとよく言われていたからです。
違うと気づいたのは、旦那の家族に会ってから。
家族で軽口を言い合ってるんですよ。兄弟間だけでなく親子間でも。衝撃的でした。私は母にそんなこと言えない、言ったらなんて返ってくるか想像するだけで怖い。
そして、私と母の「仲が良い」は、私の我慢とご機嫌取りの上で成り立っているのだと気づいてしまったのです。旅行に誘われたら、断れば何と言われるのか分からない、お金も出してくれるし、断る方が面倒くさい。
母は自分の計画を崩されるのをめちゃくちゃ嫌がります。だから旅行に誘われた時点で、母の中では計画がすでに立っている。そうなると、断るほうが精神的負担がでかい。だから旅行やお出かけに付き合っていた。基本的に行く先は母の行きたいとこで、私の行きたいところではないのです。
母は姉と仲が悪い分、私にお金を使ってくれました。
私が頼んでもないものを買ってくるし、買ってあげるよと言ってきます。
私は赤い愛情をくれと訴えても、母はピンク色の愛情をひたすら私に投げてくる。
時々不機嫌という石を投げてぶつけてくる。
当たりどころが悪くて苦言を言うと、
「私はこんなにあなたに愛情を注いでいるのに!!」
と、怒り出す。望んでもないピンク色の愛情を押しつけといて言ってくるのです。
ピンク色の愛情を無下にできず、いつも感謝してる、ありがとう、そうだよね、ごめんねと、ご機嫌を取っていた。
姉に愚痴れば「話が通じない人に話したって無駄」とバッサリ。
そうは言っても姉と絶縁してるから私まで切ったら母が可哀想じゃないか。姉に絶縁された時は、母は悲しみで発狂してたし。
そして私がまた、不機嫌の石をぶつけられた時、耐えられず母に訴えた時、母のほうが耐えられなくなった。
「こんなに愛情を注いでるのに。わかってもらえない。私が悪いと言う。もう耐えられない。少し距離を置きたい」
え、いいの?
いいんですか、距離置いて。
私は最後まで分かりあえなかった母に、おっけーして私からは連絡しないと伝えて母のLINEを消しました。
心の奥底ではまだ不安は残ってますが、
スッキリした気持ちが8割です。
少し距離を置きたいは、絶縁と言う意味のつもりじゃないかもしれない。
でも、私は旦那に「絶縁していいか」と聞き、母と連絡を絶つことにした。
「子供のおばあちゃんが減っちゃうのは申し訳ないけど、しょうがないね。何かあるたびにお母さんに泣かされてたのを見てるから」
ハッとしました。自分の子供から家族が一人いなくなった事に旦那に言われて気づいた。
子供に申し訳なく思いました。おばあちゃんが1人減ってごめんね、
でも、無理なものは無理でした。
子供のアルバムアプリから抜けてる母に、旦那はドン引きしながら
「孫を可愛いというより、可愛がってやってるって思ってたんだろうね」
と一言。孫の成長なんて母にとったらそこまで興味のあるものでもなかったのでしょうね。
接し方で節々感じてましたが、この行動が答えだと思ってます。
姉から絶縁され、私とも縁を切り、子供二人が離れても母は子供との接し方が間違っていたとは思わないのでしょう。
だって、三十年以上、子供に不機嫌の機嫌を取らせてきたのですから。それが当たり前なった母に、辞めてくれと訴えたところで、彼女にとったら愛情を惜しみなく注いで、いつも通りに接しているのに被弾されている感覚なのかな、と。
そりゃ、理由もわからず悪者にされてると思うよね。
無自覚って怖い。
反面教師で、私は子供にはこうしないでおこうが沢山できました。
距離を置きたいと言った母から連絡が半年くらいないようなら、もう電話も着拒して、子供が小学生頃には家を買う計画なので、そうしたら引っ越し先も教えず、完全に関係を断ち切ろうと思います。
まだ絶縁とまではいってませんが、これからゆっくり時間をかけて徐々に頑張って参ります。
(気持ちは絶縁してる)