今日これから書くブログは、プーケット現地より書いています。

僕がリアルタイムかつ生で体験した事を書きたいと思います。

今日の朝、プーケットに着きました。
まずはホテルのあるパトンビーチへ移動、ホテルへチェックイン。

しばらくして街を散策しに出発、軽めの昼食をとりながら予定を模索。

再び街を散策し、ショッピングセンターにあるマクドナルドで休憩中、
スマトラ沖地震(M8以上)が起きました。

突然人が悲鳴を上げながら、海とは逆方向へ全力疾走する光景が現れました。
異矛とであらわすと


何が起きているのかまったく分からず、とりあえず流れに乗って逃げることにしました。
(最初は銃の乱射が起こったのかと思いました)

人、車、バイク、誰もが必死で逃げている。

見るからにほとんどの人が自体を把握できていない。

まずは状況を知るべく、たまたま通りかかったホテルの従業員に何が起こったのか聞いたところ、
「スマトラ」という言葉が聞き取れた

この言葉を聞いて最悪の事態が頭をよぎりました。

皆さんも覚えていると思いますが、2004年のスマトラ沖地震です。

この時点ではまだ確信的な情報は得られなかった。

事情が分からない人同士が必死にコミュニケーションを取り合い、情報を交換を行いました。

もちろん僕は英語ができないけど、そんなことは言っていられない。
それぐらい必死な状況でした。

それから直ぐ、ホテルのスタッフが「高い所へ」へ行けと、たまたま比較的高いホテルだったので、
最上階まで行けと、近くの人を誘導してくれました。

僕らもその誘導に従い、ホテルの6Fへ上がりました。

少し前に頭をよぎった事態が本当になったんです。

リアルに死ぬかも知れないと思いました。

次から次へと上ってくる人達。

ほとんどの人はホテルに宿泊している人だったが、僕らのように宿泊者でない人達もいた。

2004年の地震ではプーケットでも数千人の犠牲者が出ているし、

俺もそうなるのかと何度も思いました。

こんなにも死と直面したのは初めてでした。
津波が襲ってくるという恐怖。
知らない土地で日本人は僕らしかいないという恐怖。
言葉の壁という恐怖。

文書では表すことが出来ないほどの恐怖を感じた。

しばらくして、そのホテルに泊まっているという日本人数名に出会い、
ネットで調べた情報、日本の知り合いを通して得た情報、ホテルの人から得た情報を
共有しあいました。

こういう状況下で、同郷の人と出会えて安心できる部分がありました。

でも情報はてんでばらばら。

それから確かな情報を得られることは出来ず、日本のサイトで得た情報を元に、
津波到達予想時間までは避難しようと、結果2時間半避難していました。

避難している合間、ホテルは食料や水を全員に配布したり、避難している人達のケアをしたりしていました。

こういう状況になった場合、「国境は関係ない」んだなと身を持って体験しました。

全然関係のない国同士の人が協力し、励ましあい。

途中、日本でいう震度3くらいの地震が何度かあり、悲鳴の嵐。
(僕らは津波の地響きだと思った)

見えない津波を想像し、「俺は死ぬわけにはいかない、やらなきゃいけないことがある」と必死に生きる希望を持ち続けました。

ホテルの最上階へ避難して計2時間半、心臓のドキドキ、緊張、汗、震えが止まりませんでした。

避難して1時間程した時、プーケットへの津波到達はあと「1時間後」という情報を日本から仕入れたとき、

他のホテルに宿泊している僕らは、パスポートすら手元に持っていませんでした。

「取りに行こう」

本来はやってはいけないことなのかも知れないが、賭けにでました。

たまたま近いホテルだったので、全力へホテルへ向かい、全ての荷物を抱え(スーツケースも)
再び避難先のビルへ向かった。
(僕らのホテルは2階建てで低かったんです。情報では6mの津波がくるという情報もあったので)

しばらくして避難解除されました。
取りに帰ったことは無駄になりましたが、これほど無駄に終わってよかったと思ったことはありません。

貴重な体験といえば貴重だけど、もう二度とこんな思いはしたくない。
人はこういう状況に対面すると大切な人への思いが強くなるんだと実感しました。

幸いなことに津波の被害はありませんでした。

心配してくれた方々ありがとうございました。

twitterなど情報を提供してくれた方々、ありがとうございました。

とても感謝しています。