先日、元エホバの証人の叔母と

"エホバの証人問題"について話しました

 

 

叔母が幼少期の頃(今から60年前)は、

親や先生、部活の先輩から叩かれることは

 

当たり前で普通であり、

 

親から叩かれても憎むことはなかったようです。

 

 

私は幼稚園の時から両親がエホバの証人であったため

理不尽なことで叩かれ宗教上の規制を強いられて

育ったので、両親に恨みがあると話しました

 

 

叔母は、私が両親に対し恨みがあると言ったことに

驚いていました

 

 

今回はエホバの証人が行ってきた

宗教二世への鞭指導についてお話します

 

 

  私が両親に対し抱く鞭の憎しみ

私は幼稚園の時から罰としてお尻を叩かれていました

 

叩く道具は

・素手

・物差し

・ベルト

でした

 

何をしたら叩かれるかというと、

・集会中に居眠りをした時

・エホバの勉強を怠った時

・日々のお祈りで目を開けた時

・親との約束を破った時

・親の気に障ることをした時

・魔法的や暴力的なアニメを観た時

 

主に叩かれる理由は、学校や友人関係の問題ではなく

ほぼほぼ宗教絡みでした

 

聖書

 

子どもながら、

「なんでお祈り中に目を開けたらダメなの?」

「面白くもない宗教の話しを聞かなきゃいけないの?」

 

と心で思い、お尻を叩かれることに悲しみ、怒り、憎しみを

抱くようになりました

 

 

親への憎しみは

理不尽なこと、子どもが納得しない理由で

お尻を叩かれることへの矛盾によって湧き上がっていました

 

 

  当の叩く側は自由な幼少期を過ごしていた

 

私や兄を叩いてきた私の叔母、父、母は

3人とも自由に幼少期を過ごしていました

 

学生時代も宗教の規制もなく過ごし

大人になった20.30代くらいで宗教に目覚めたのです

 

 

子どもの時から宗教の理由で叩かれる経験をしていないため

事の重大さに全く気付いていません

 

窓から景色を眺めている女性

 

 

現在、宗教被害者が声を挙げていることに対して

 

「なんで怒っているの?」

「エホバの組織を非難する人は敵」

 

という考えになってしまうのです

 

子どもの時から自由を奪われ、自分がやりたいこともできず

ただ親の言う通りの生活を送ることがどれだけ辛いか。

 

 

人々を救う活動をしているのなら

自分の子どもの声をしっかり聴いてほしいと強く思います

 

 

  叩いてきた側は覚えていない

 

叔母、両親と話してみてわかったことは、

 

叩いた側は叩いた過去についてあまり覚えていない

 

です。

 

「えっ、そんなことした・・?」

「そんな理不尽なことはしたつもりはないけれど・・・」

 

このような様子でした。

 

当時エホバに夢中だった両親は、

これが正しいのだと誇りに思い、エホバに仕えることに

幸福感でいっぱいだったので覚えていないのかもしれません

 

あくまでも子ども目線ですが、

 

私の両親は叩くことが習慣であり

叩くことがしつけのゴールでした

 

 

叩くことを目指し叩くことでエホバに認められる

と信じていたので、子どもの私にとっては

響ことが何もありませんでした

 

 

親の愛を感じられなかったので

親への感謝ではなく憎しみを抱くようになっていきました

 

 

  現在の親子関係と今後の親の介護

 

現在、両親とは距離を取っており

ほぼ連絡をしていません

 

気分が悪くなるので無理に両親と

連絡を取る必要はないと思っています

 

 

両親はまだ介護は必要ありませんが

いつかは介護が必要になる時が来るでしょう。

 

その時にどうなるのか複雑な気持ちでいます

 

窓際に座っている女性

 

 

 

私を叩いてきた両親の介護をしなければいけない時に

どのような気持ちを抱きながら両親と接しなければいけないのか。

 

 

今までの恨みが募り、親に虐待をしないか不安な気持ちがあります

 

 

私のようにエホバの証人を辞めても

鞭の後遺症や親との関係に悩んでいる方が

多くいらっしゃると思います

 

 

宗教は人を変える、家族を変える、人生を変える

ほどの影響力がある声を大にして言いたい

 

 

エホバの証人に興味を持っている方

これからエホバの証人に入信しようと思っている方

 

今一度考えて立ち止まってほしい。

 

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