ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教では聖書は特別な本 として扱われています。


それらの人にとっては、その聖なる書物を書き換える事は良くないことだと感じているようで、各宗派では聖書とは別の教典を作成しています。

さて、今日は、聖書に文言を付け加えたり、削除したりすることについて聖書は何と述べているのか調べてみましょう。


このテーマの紹介ブログでも扱った句がその根拠としてよく使用されます。



ヨハネの黙示録22:18-19(口語訳)「もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、この書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべきぶんを、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」


啓示22:18-19(新世界訳)「これらのことに付け加える者がいれば,神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。 また,この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば,神は,命の木から,また聖なる都市の中から,すなわち,この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。 」



さて、これらの警告は聖書全体に当てはまるのでしょうか?

22:18の前半に注目しましょう。



ヨハネの黙示録22:18(口語訳)「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者が・・・」


啓示22:18(新世界訳)「わたしは,すべてこの巻き物の預言の言葉を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者が・・・」



素直に読めばわかりますが、この警告は黙示録(啓示)の中の巻物(予言)に対してのみの適用に読む事ができます。


では、なぜ聖書全体について述べていると考える人が多いのでしょうか?
それは、黙示録(啓示)が聖書の最後の書として提供されているからです。最後の書の最後の文言がこの警告なので、皆さん勘違いしてしまうのですね。(実際には最後に書かれたものではないと考えられています)

勿論、この句は"聖書の他の書を好きに書き換えてよい"といっているのではありません
しかし、間違いなく聖書全体に対する警告ではありません


聖書をしく読みましょう。

正しい聖書の読み方とは、どういう読み方でしょうか?


それは、聖書に書いてあることを 削らず 増やさず 読むことではないでしょうか?

多くの宗教団体の主張は、皆さん自分たちの考えが一番だと思っておられるようですが、その考えには聖書には書いていない考えや、書いていても気にしない考えなどがあるようです。大抵は聖書とは違う立派な書物がありそこに書いてある事が聖書より優先されるようです。

また、小難しい理解や見解を優先せさる場合もあります。



ヨハネの黙示録22:18-19(口語訳)「もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、この書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべきぶんを、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」


啓示22:18-19(新世界訳)「これらのことに付け加える者がいれば,神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。 また,この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば,神は,命の木から,また聖なる都市の中から,すなわち,この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。 」



このテーマでは"正しく聖書を読む"事を前提に、聖書のみで理解できる理解を考えてみたいと思います。