4月12日

今日はどうしても行きたいところがあった。

鹿屋市野里町・桜花の碑


ずっとずっと行きたかったところ。

小さい頃から鹿屋を訪れていながら、その存在は全く知らなかった。


第二次世界大戦の最中、日本から特攻隊が出ていたことは有名。鹿屋もその1つ、重要な海軍基地だった。小学生の頃に初めて、鹿屋の海軍や特攻隊の話を聞いた。だけどそのときは零戦による特攻隊の話だけで、特攻隊=零戦(1人乗りの飛行機)のイメージだった。

だけど数年前、新たに特攻隊のことを知った。それが神雷部隊・桜花だった。零戦と違い、必ず死ぬ、生きて帰ることが許されない非人道的な特攻のためだけの人間爆弾。その特攻兵器で亡くなった当時の軍人さんたちがわずかにいる。

私はその中でも、桜花隊員の土肥三郎中尉に強い興味を抱いた。彼は師範学校の出身で、その後は海軍の予備学生だった。桜花特攻作戦へ志願され、4月12日、鹿屋基地から出撃して戦死された。まだたったの22、23歳の若さで。


私はそれを知ってから土肥中尉と神雷部隊の皆様の跡地へ行きたく、航空隊前でバスを下車し、鹿屋航空基地から足を運んだ。長い一直線の道に、先の狭い坂もくだって約30分。



小雨が降る中(涙雨というやつ?)、誰もいない慰霊碑・桜花の碑へとたどり着いた。

とても静かで、落ち着いた場所だった。

私はただただ静かに手を合わせた。


そしてすぐ目の前には野里国民学校跡が。

ここは神雷部隊の宿舎だった。

土肥中尉もここで甲板士官として宿舎整備を務められていた。

ここに本当に学校があったと実感が湧くのが難しいほど、周りは草木や木だらけだった。


野里町、桜花の碑は本当に静寂に包まれた空間だった。目立ちはせず、ひっそりとそこに存在する。寂しい感じもあった。

悲しみよりも、そんな空間で無になってしまったかもしれない。