あぁ。
前回からの続きとして書こうとすれば
上手く?いきそうにないので、思いのままに。
母を亡くしたのは夏だった。
わたしは高校1年生で、知り合った先輩なんかもいたりして。
夏休み近かったから遊びの約束とかしてたのも、参加できなかった。
(「出来なかった」は、つまるところ「参加したかったんだよね」)
そうそう。
その、「わたしが参加できなかった集まり」の報告がSNSであったときにゃあ、人知れず嫉妬に震えてたのかと思う。「悔しい」って思った記憶があるなぁ。(今となっては…だけど)
そのあとも何年かの間、度々、それも夜な夜な(っかぁ〜しつこい😂)、号泣することがあったな。
「あの子にはお母さんがいる!ズルイ!」
「お母さんと出かけたとか、いいな!わたしにはいない!」
「お母さんがいて、いいな!いいな!」
…と、いうループ。
よくドラマにあるセリフ
「お母さんはそんなことのぞんでない」
てやつ。
こんなに憎まれ口を言ってる娘を、空にいる母はどう思うだろう…
…なんて、微塵も思わなかった…んだよね、あの時。
本当に
「ふざけんなよっ!」
「何で死んだんだよっ!」
「もっと話したかったよ!」
って…な、感じだった。
母の死後。20年を超えて、最近のドラマを観ていたら。
「愛する人の死を受け入れるのには、悲しみや怒りなど、自分に沸き起こる感情を共有した方が良い」
と。
あぁ。
わたしは、あの時、自分を殺したんだと思った。
悲しいも、寂しいも、怒りも、全部全部。
それで、わかった。
全部「あり」だってことも。
周囲からどんな風に思われても
わたしが、怒りたかったら「怒って良い」
わたしが、泣きたい時は「泣いて良い」
そんな感じで、わたしはわたしを許せばいいんだなぁ。
長かったな。ここまで。
きっとわたし自神と、そのあとに、周りのひとたちにも、やさしくなれそうだな。