この世に生を受けて早23年。


 幼少期の私の性格は、おてんばだが、人見知りも凄く激しく、また内向的な子供だった。


 私のおてんば伝説は数多く存在するが、特に一番印象に残ってる出来事は、3歳の頃やってしまったボロ原付よじ登り落下事件が印象深い。


 当時3歳だった私の記憶は、あまりにも薄過ぎる為、親の証言によると、あれ程登るなと言ってるのに、そのままよじ登って、落下して号泣して、急いで救急車を呼んだとの事。


 救急車に搬送され、搬送後すぐ診断を受け、結果は「骨折」と診断され、左腕からの出血も酷かったので、緊急手術をした。


 しかし、この時の手術室は、他に手術中の患者も居て、1時間待機となり、その後、全身麻酔をかけられ、手術室に居た時間は、待機も含めて2時間も居たという。


 手術は無事成功。


 手術の経緯は、骨折箇所に骨を詰めて、針数もかなりデカかった。


 状態も悪くなかったので、2週間の入院の形をとった。


 以上、私のおてんば伝説。


 

 やがて私も幼稚園・保育所に行ける年齢へと成長し、私は、最初の2年間は保育所に預けられた。


 保育所を選んだ訳は、母親の第2子妊娠の為だった。


 保育所時代の私は、兎に角先生にくっついてばかりの子供だった。


 思うように友達も出来ず、先生を経由してから遊びの輪に入る感じのそんな子供だった。


 私が「交ぜて」と言うと、他の友達はなかなか入れて貰えない。


 他の子が「交ぜて」と言うとすぐ入れて貰えるのに…


 何か理不尽だとは幼いながらにそう思った。


 その日が多かった為、先生に「交ぜてくれなーい」と頼めば、先生は何とかして私を交ぜてくれた。


 遊び面はそんな感じで、お昼寝の時間が一番憂鬱で、確かにみんなまだまだ玩具遊びとかしたかった午後。


 私は特にお昼寝が出来なかった子だった。


 普通に目が冴え過ぎた事があまりにも多く、先生と一緒に向こうの部屋へ行き、寝付けの子守唄を聴かせてやっと眠りに付くそんな感じのお昼寝の時間を過した。


 今となってはまぁ有り得ない事かもしれない。


 休日になれば、1時間の小昼寝は日常茶飯的。


 下手をすれば、数時間の大昼寝という事も少なからずある。


 お昼寝面はこんな感じ。


 保育所で肝心な事が、そう、毎日のおやつと給食の時間である。


 おやつは、子供の成長に不可欠な事だ。


 保育所では、ケーキとかアイスクリームとかよりも、歯に良いお煎餅とか丈夫になるヨーグルトや脱脂粉乳とか身体に良い酢昆布といったような健康的なおやつを出された。


 だが、脱脂粉乳だけはどうしても飲めなかった。


 飲めば吐き気を催す程の不味さで、その場で戻した子も多かった。


 私もやってしまった。


 新旧問わず、脱脂粉乳は不味い…


 んで、給食が案外地獄で、他の子達は子供定番の野菜嫌いや魚嫌いが目立った。


 私は案外、野菜や魚はすんなり食べれた。


 魚が出されれば、先生に身を細かくしてもらって食べた。


 一方、卵が当時嫌いで、給食の時間が終わっても無理矢理口に詰め込まれた事もあった。


 その場で戻しながらも何とか(難とか)完食。


 嗚呼…今となっては、卵焼きは飽きるけど、卵が無いと生きていけない程卵が不可欠ですが…


 他には、私は見てなかったが、他の子もそれは共通だったと思う。


 食べ物の恨みは本当に怖いと感じた給食の時間だったのです。

 幼少時代、凄く人見知りが激しかった子でした。


 小学校時代、上級生の女子達によるイジメにも耐え、中学校時代、先輩恐怖症と闘っていました。


 やがてあっという間に受験シーズンが到来し、受験期による特定イジメ、恋愛、親と子の受験戦争という壁に打ち克ち、結果も出てホッと一安心した受験生時代。


 高校時代、高校を甘く見ていた。


 脅迫イジメも切迫イジメに変わり、男女隔離、先生との確執、荒れゆく自分自身…


 そんな私を変えてくれたモノが無いとは限らなかった。


 それは…ロックだ!!


 ロックに目覚める事によって徐々に私の心も開き始めた。


 そんな中、見知らぬ電車の乗客にまで恋に落ちてしまう…


 ワクワクしながらも本当は恥ずかしい想い出だったなぁ…


 やがて1年生が終わり、邪悪なアイツはとっとと学校を離れた。


 みんなも一件落着モードだった。


 ヤツが居なくなった2年生。


 この時期こそがロックの情熱を絶やす事を知らなかった。


 お陰で成績もグンと上がった。


 もうこの時期はロック以外眼中に無かった。


 が、そんな私にもまた秘め事があった。


 それは、見知らぬ盲目的な恋だった。


 相手とは1度も関わった事が無かった。


 なのに何故こんなに胸が熱くなってるんだろう?


 ロックに生きてロックに終わった2年生生活も終わってしまい、遂に、3年生生活に入ってしまった。


 3年生生活は本当に価値があった時期だった。


 残念ながら2年生の頃からの秘め事は失敗に終わってしまった…


 からこそ、また新たなる発見が生まれたのであった。


 サッカーへの目覚め、私は知らなかったある人の秘め事、そして、捨てたプライド…


 あれやこれやで周りの視線も徐々に温かくなってゆき、やがて私は高校生活にピリオドを打ったのである。


 辛くも価値があった高校生活も華やかに終わり、今度は専門学校へと入学をしてみた。


 しかし、専門学校こそが高校以上の試練の場であり、厳しい実習、満員電車、遠距離通学、周りの冷たい視線、掲示板中毒、その確執、その復活、その葛藤、そして、その主の死、落第戦争勃発…


 そして…落第……、謹慎処分、決断、やがては退学…


 この1年間は山あり谷ありで驚きだ…


 退学後は2ヶ月間のブランクと闘い、就職訓練と教習所通いという2足の草鞋で己の復活、そして、晴れの社会人生活が始まった。


 が、最初の社会人生活こそが尚一層試練の場であり、性悪な受付妊婦、産休中の先生のイジメ、やがては先生一家による執拗的・陰湿的イジメ、挙句には出勤規制、最悪なパターンとして突然の解雇…


 そこは専門学校以上の戦場だった…


 解雇後に起きた対物事故、隣家の伯父の死といった悲劇を乗り越えて次なる道へと突き進んだ。


 そこは適性は感じないが、何か上司が同世代で話し易かった人達ばかりだったので、バカみたいに長く居てしまった。


 雰囲気が良かったのも最初のうち。


 時が経ち、売り上げも低迷し、一旦は商材を破棄し、新たな商材に乗り換えた。


 乗り換えたのが悪運の始まりで、場の空気の読めない上司・マイペース過ぎる上司・神経質過ぎる上司・そして、自己中な上司の上司…


 最初のうちはまぁ良かったものの、時が経つと、これもまた売り上げが悪化し、このパターンでは、みんながみんな出勤規制をかけられてしまい、私も仕事にならない事が解り、退社を決意。


 だが、退社がややこしく、この時期は祖父が亡くなった影響もあって、付き合うヒマが無かった。


 あれやこれやとしているうちに何とか辞められ、次なるステップを歩んだ。


 年が開け、この時点で私ももう22歳の一歩手前。


 就業期間さえ省けばそこは良い職場だった。


 みんながみんな感じ良く、アットホーム感漂う職場で離れるのが勿体無い位だった。


 やがてお約束の期間が来てしまい、そこでまた1ヶ月半のブランクが出来てしまった。


 ブランク期間中、私はまた新たな発見をした。


 初めて登録制のアルバイトに挑戦してみた。


 ドキドキだったが、何時でも空いた時に仕事が出来るので、もっと早く見つければ良かったのになぁと後悔…


 そうしているうちに徐々に仕事も見つかっていき、これで4度目の就職。


 今度は、地元の小さな水産会社に就職した。


 最初はハイハイしていたが、徐々に会社の素性を感じてしまい、自己中な上司・怠慢な上司・何を考えてるのか分からない事務員達…


 会社の存在に嫌気が差し、上司との喧嘩腰の日々も絶えなかった。


 イヤだイヤだと言ってるうちに時間もグッと長く感じ、退社までかなりゴタツキが生じてしまい、騒動を起こしてから数週間後にやっと辞めれた。


 本当に後味の悪い辞め方だった…


 退社したのは良かったが、次の職場こそが将に試練の場であった。


 やりたくもない保険屋営業だ!


 接客業は無理な私だが、明るさで買われてしまい、勝手な手続きまでされた。


 まぁ、兎に角やってみた。


 しかし、良かったのも研修期間だけ。


 研修期間が終わった時点で地獄に落ちたような感覚を味わい、口うるさい考えの古い下品な上司・周りの白目・ロクでも無い恋人と、その影響によって、自身も壊れていった…


 壊れ過ぎた影響で神経も患い、退社面談もゴタついたが、何とか3週間我慢しながら退社していった。


 退社して約1週間後に例の登録制バイトを本当は単発でやるつもりも、何だか会社の雰囲気が凄く良くて、また私自身も、派遣先の人に恋に落ちてしまった影響もあって、今となってはもうそこが本籍いわば職場だ!


 が、プライベートで犯したスピード違反・入れて貰えぬ日中の仕事・スポット待ち・他社での過酷労働と闘った。


 嗚呼…これでもう相手の顔も見れないのか?と落ち込んだ日もあった。


 と思えば、夜勤での仕事を勧められ、夜勤こそが私の人生を変える機会を与えてくれ、同じ高校の4つ先輩との出会いが大きかった。


 もしも私が先輩に会ってなかったら、22の頃と同じ感じで腐って仕事をしてたに違いなかった。


 先輩もウザいところは山々だったが、本当に会ってなかったら私としてやっていけなかっただろう…


 日付が変われば変わる程、憧れの人との距離も徐々に縮まり、広い会社全体の事も全て分かり、そうやって修行を重ねていくのである。

 昨年の暮れに実は、立ち上げようかと考えてた私の生々しい実話集。


 しかし、何かまたやりたい事を見つけた影響で、今年の2月に、実話ブログを保留にしておりました。


 あれから8ヶ月。


 遂に私は決断を下した!!



 やっぱり、書く事に決めた!


 決めたのです!!



 えんぴつもうひとつのブログ でも世話になってます。


 そっちのブログでも、私の過去をちょこちょこ書き綴っております。


 しかしこちらでは、より一層具体化した内容に仕上がっておりまして、ここではもう、自伝限定のブログとなっております。



 でもやっぱり裏話とかは、全体では明かしません!



 書き方も、もうひとつのブログと同じ感じでテンポ的に書く。




 出来れば…これは書籍化したいなぁ…



 文章は相変わらずへったクソですが…



 頑張ってみます!!