ガン末期を見つめて | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

昨日、大阪から帰って来ました
主人の姉が1年半前に悪性リンパ腫になり
子宮がんも併発し、手術不可能で終末期なので
至急、来るように言われ行ってきました

私も兄を肺がんで亡くしましたが
終末期にも立ち会わなかったので
少し義姉に合うのが怖い気持ちでいっぱいでした

抗がん剤で髪毛はなく、
ポートされたところから何種類かの抗がん剤が注入され
顔はむくみ体を動かすこともままならず
痛みは薬でコントロールされているようでしたが
だるさと幻覚で辛そうでした・・・

義姉は、私に聞いてきました
「まあゆみちゃんもこんなかったん? どうやったん?」
「幻覚おきた?」
返答に困りましたが、義姉は今の自分の状況を知りたかったんでしょうね
「私も吐き気があったりだるかったりしたよ・・」
「辛いよね。気持ちすごくわかるよ・・・」
って言うと、「そうなんやね・・」
って少し納得したようでした・・


日に日に悪化し、様子が前日に比べ全く変わってくる様に
自分の将来の姿を重ね見て涙をこらえるのが必死でした

義姉のお母さんも癌発覚時から大阪に住んで
病院と家の事をされていました

ただ・・
もう少し病気の事わかって!と怒る気持ちが出てきたんです

義姉が前夜から異変があったらしく
無菌室へと移動になった時に
私と主人が見舞いに行ったときには
息子さんが一人でいらっしゃっていましたが
私たちが来ると用事があると言われ出て行かれました
その時、義姉がつぶやきました
「母ちゃんはどこにいったん?」
「母ちゃんはなんでおらんの?」
その言葉を聞いて私はすぐに主人に姑を呼んでくるように言いました

義姉は不安でしょうがなかったんでしょうね
姑が来るまで私は義姉の身体をさすって
「もう少しで、お母さん来るから待っててくださいね」
そうすると義姉は
「ありがとな・・」と言ってくれました

姑が到着するとすぐに義姉は
「母ちゃん、なんでおらんの。 身体だるいんねん。辛いんねん・・・」
と必死で訴えていました

姑も息子さんたちも、もう少し傍にいてあげればいいのにな・・
ってつくづく思いました

義姉は本当に元気で癌になるとは思ってもいませんでした
私が8年前にガンになった時、
「癌になったらしゃあないな・・」
って他人ごとだった事が今自分が癌で苦しんでるなんて
あの頃には想像もできなかったでしょう・・

色々あったけど、同じ病気で苦しんでいる義姉をみると
胸が苦しくてたまりません・・

山口に帰る時も
「一緒にまた山口に帰って、いろんな所へ行きましょうね」
私がそう言うと、
うんうん・・とうなずいて
ずっと私の顔を見てるのでなかなかその場を離れられませんでした

主人は、泣きながら
「頑張れよ・・ずっと居てやれんでごめんな・・」って・・・

連絡が来ることが怖いです・・