このところ、ブログ更新ができず
暖かいペタやコメント返しもできず
本当にごめんなさい・・
パソコンの調子が悪かったこと
毎日非常に忙しく夜になるとバタンキューの状態だったこと
兄の七回忌にあたり娘の帰郷があったこと
本当に毎日が戦争でした
11月28日は兄の七回忌でした
私と12歳違う兄は私が小学生の時には
もう就職で家を出ていました
その為か、早くに父を亡くした私にとって
兄は父親のような存在でした
普通の兄弟のように笑って話すことはほとんどなかったな
そんな兄を母は溺愛していました
母はその事を否定しますが、誰もが認めていました
私が結婚したとき兄にお世話になると兄が大変だからと
私と同居になり、それから苦悩の日の始まりでした
毎日毎日喧嘩の日々・・・
そんな状況の中で母の面倒を見てくれない兄に
私はどこかしら兄に対して悪意を持っていたのかもしれません
兄が7年前、末期の肺がんの告知を受け
私が今通っている病院の緩和病棟で
3か月後に抗がん剤治療もせず亡くなりました
私は人生において最大の心残りを残してしまいました
兄を1度も見舞わず逝かせてしまった事
心のどこかで兄を疎ましく思って最期を看取ってやれなかったこと
本当に悔やまれてなりません
最期の顔を見たときには痩せ細って
兄の顔ではありませんでした・・
きっと苦しんで苦しんで逝ったんでしょう
そう思うと心が張り裂けそうになってたまりません
その半年後
私が肺がんの告知を受けました
兄弟そろって同じ時期に肺がんになるとは・・
告知されたときは兄の最期の顔が忘れられず
私もそうなるんだと思い怖くて仕方ありませんでした
でも・・
私はまだ生きている
いいえ
兄に見守られ生かされている
だから母にもいろいろ泣かされたけど
兄の代わりに私が面倒見ようと決意した
どこまでできるかわからないけど
また兄のように母に悔いは残したくない
母はいまだに兄を思って泣いています
私の事も案じてはいるようだけど
兄の話が多いかな・・
少し悲しくなる時もあるけど
もう何も思わないようにしています
自分が生かされていることにはかわりないから
先に逝った優ちゃんや兄や父に見守られているから
兄の一番の親友の同級生の方に偶然出会い
兄の七回忌の事を話すと
一緒に行きたいと言っていただいて
娘も大阪から帰郷し、母を連れ
兄のお墓参りに一緒に行きました
兄が、きっと親友を呼んだのでしょうね・・
お墓はお花が枯れ、お供え物もありませんでした
兄の家族も兄の事にはあまり関心がないようで・・
七回忌にはよんでもらえなかったので
お墓参りだけ済ませて帰りました
時の流れるのは本当に早くて
兄がいなくなって七年経ってしまったとは思えません
優ちゃんが亡くなって13年・・・
遠い昔のようにも思えたり
その人を思う時間が少なくなるから?
忘れているわけではないけど
記憶が少しずつ薄れていくんだろうな・・
兄貴
本当にごめんなさい・・
そしてありがとう・・
私が生きている間
この気持ちを忘れないから・・