母との距離 | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。

ここ数か月思う事

母の私に対する態度の変化

結婚して同居していた頃の母は
私に暴言を言い続け、私が上げ膳据え膳にしていても
「ありがとう」なんて言葉言わなかった・・

それが、この数か月
母は私によく「ありがとう」という言葉を言ってくれる

元気なころ、私の話など聞いてくれはせず
母の思い通りに動かないと気に食わないようで
私をなじり、主人と結婚した事や夜の生活の事まで
口を出してきたり、娘にまで大人の嫌なことを話していた

わかってもらおうと一晩中喧嘩したこともあった
主人と不和になり私が仲介をして仲直りさせたこと
いつも兄と私を比べ、兄を一途に思い私を思ってくれなかった
私は小さい頃からひたすら母のお世話をすることが当たり前だった

ガンになる前には母の顔、声、部屋にいると思っただけで
心臓が苦しくなり、吐き気がきてよく眩暈で倒れていた

今思えば、母とのいさかいでガンになったのかもしれない

でも・・
兄が肺がんで亡くなり、妹の私も同じ時期に肺がんとなり
私がガンになってからも2年間は一緒に暮らしたけど
経済的理由と精神的理由で母との別居を決意
母も糖尿病で視力が無くなり、坐骨神経痛で歩くこともできなくなり
その身体で一人暮らしをするようになって
昔の面影はなくなってしまいました

私も初めは別居してホッとしていましたが
母がどんどん弱っていき、今では手探りで這いながら歩いてる
そんな母をほってはおけず、ほとんど毎日生活を援助してる
毎日泣きながら早く兄の所へ逝きたいという母を見ていると
自分の体の事など忘れてしまう・・

母と私の気持ちはずっと平行線で交わることは無いと思っていた
でも、今はほんの少しだけ交わるような気がしています