肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。



天使になってしまった娘
天使天使天使

2000年1月・・・2人目の娘が23週で

自然分娩にて産まれましたsao☆


羊水に包まれて産まれた娘は

黒ずみや傷もなく

綺麗なままの状態でした。


ちっちゃなちっちゃな手足をバタバタさせ

ちっちゃい身体にたくさんの管が刺され

それでも必死で生きている姿を見たのは主人だけでした。



その後、呼吸が薄く貧血状態となり

12時間後に天使になりました天使

生まれて産声を聞くことも目を開けることもなく

静かに天に昇っていった娘


その時の体重は611gで

可愛い色白のちっちゃな女の子でした女の子

まだ、臓器のほとんどがまともに出来ていない状態でした。


人工呼吸器がはずれ娘をNICUから連れ出したとき

長女が嬉しそうに妹を抱きかかえ、

喜んでいた姿に涙が止まりませんでした。



生まれてきてくれてありがとう・・・

優ちゃんは私たち家族の宝物です。

これからもずっとずっと


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その7年後

2007年に肺腺がん告知。

イレッサ6年服用中、今年で闘病10年目。

兄も肺がんで他界し、残された母は視力障害、糖尿病、坐骨神経痛

がん患者の私も母の介護に限界があり「福祉」のお世話になるも

福祉の在り方にいらだちを感じずにはいられません。

がん患者も2人に1人の時代に

膨大な治療費を稼ぐ糧になる仕事が無い悔しさ

働きたいのに働けない

弱肉強食の世の中は変わらないのかな・・・








 

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きょう、午前3時35分

母が旅立ちました。

 

1月30日に意識障害で緊急入院

ブドウ球菌肺炎、誤嚥性肺炎、胸水と判明

肺炎は抗生剤で症状が緩和されて退院の運びへ

退院2日前になり右腹部の強い痛みのため

急遽、造影剤を使ったCTで検査

右肝臓に5センチ大の腫瘍あり

その他にもリンパ転移あり

 

90歳と高齢の為

手術、抗がん剤治療は無し

緩和での治療となる

 

緩和が空くまで内科で痛みをとる治療

入院以来、絶食が度々あり

誤嚥の危険性があるため、口からの摂取は少ない

栄養剤の点滴が毎日続けられ

血糖測定も1日4回、針を刺されとても痛そう

栄養剤点滴も胸水を悪化させるので

身体は痩せ細って行くのに

足首から下がぞうさんのようにむくんでいる

 

3月8日緩和へ移動

先生の説明によると

心不全、胸水、呑み込みが悪くなっていることから

口からの摂取は、水分も食物もいれない

栄養剤点滴も中止

肝臓がんの痛みのみ緩和治療となった

 

愕然としました。

入院してから1か月半

まともに食事をとったことはありません

体重も30㌔ほどだったのが、

25㌔をきっているほど痩せ細っていました

 

そんな母が水も固形物も口からの摂取が全くできず

ただ、自然に衰弱するときを待つだけと言われ

混乱していました

食べられない状況はわかっていました

少しの食事も喉に詰まり

誤嚥を何度も繰り返し、窒息の危険性があるため

わかっていても、「食べたい」と言っている母に

食べさせてあげられないと思うと胸が張り裂けそうでした

 

今まで、45年間、糖尿病で食事制限をされ

インシュリン注射を打ち続け

お腹も指先も耳たぶも針の跡だらけ

 

緩和に行けば

血糖を気にせず、甘いものや好きなものを

食べても良いと言われたのに・・・

 

ただ、息が切れるのを自然に待ち続ける日々

日に日に痩せこけ

呼吸が薄くなり

足や指先にはチアノーゼが出始めました

 

それでも母は3日半

身体が動かなくなっても

呼吸をし続けました

 

その間、姪や娘が緊急性を受け

次々と集まってきました

皆、息を飲んで

夜も交代で母の傍について見守りました

 

私も8日に緩和に移動してから

ずっと泊まり込み続けました

1日1日変わりゆく母の姿を見るのが辛く

目が腫れ上がって痛かった

何度も何度も泣いて

母に感謝し

食べさせられなかったことを懺悔し

体をさすり続けました

身体中の動きが止まり

声も出ず

ただ、ひたすら小さな呼吸を繰り返す母

浮き出た鎖骨の静脈がすごいスピードで動いてる

骨に埋もれた薄い皮に心臓の鼓動が激しく動いていたのが

時間を追うごとに弱くなっていく

 

お母さん

おかあさん

ごめんね

辛いね

苦しいね

残酷な選択を選んだ娘を許してください

そう、泣きながら母をさすり

スポンジに含んで絞った水を舌の上に塗った

 

その後

母の呼吸が少しずつ止まっていった

みるみるうちに舌の色が変わっていく

でも、母の顔は安らかでした

 

痛みのコントロールをして頂いたおかげで

ガンの痛みをあまり感じることなく

天に旅立ちました

 

お化粧をして頂いた母の顔は

とても90歳とは思えないほど

綺麗な顔にみえました

 

お通夜とお葬式

 

これから

まだまだ

寂しさが募るのですね

 

 

おかあさん

ありがとう

ゆっくりやすんでください