70歳を目前にして、人生の一つの目標、111回目の献血を達成!
ワクチン打ったから、症状が軽く済んだという言う方がいるが、同じ人間での対象比較ができないという事実を理解できていない。従来のワクチンは弱毒化した病原菌やウィルスを体内にいれるのだから、当然、副作用で発熱、そして重篤な症状、死に至る場合もある。そのような従来のワクチンは10年以上もかけて治験されてきた。免疫力が高ければ、致死性の高いエボラ出血熱でさえ、生き延びる人はいる。まして、開発に長年、失敗し続けてきたmRNA遺伝子改変水を1年未満の治験で緊急承認、他国は接種を中止しているのに、7回も接種させ、いまだに打ち続けさせようとする国は日本だけ。昨日も要請を受けて、111回目の献血(血小板献血)をしてきたが、いつものように、コロナワクチンを打っていないですねと検診で聞かれた。このmRNAワクチンに対して、疑問に持たないのだろうか?二週間後にも成分献血ができるはずだが、記入されていない。その理由は、1月31日に70歳になるからだ。つまり、30日が献血の最後、しかし、最後の献血は成分ではなく、全血ですよということ!なぜ???人生の目標の一つは達成したが、未接種の貴重な血を誕生日前に献血に行く予定!
丈夫な身体をさずけてくれた 両親に感謝。
大学同窓会 1974年上智大学外国語学部英語学科入学 74-50クラス
当時、英語学科は男子クラスと女子クラスに分かれていた。それぞれが2クラスずつで、外国学部の中では一番学生数が多かった。
私は一浪、一留年しているので、卒業は24歳、1979年に教員になった。
高校教師になるのは、高校2年生の時に決めていたが、教科は確定していなかった。中学は校内暴力であれており、窓ガラスが割れて、先生も良く殴られていた。一部の不良生徒が好き放題に暴れる学校であった。
高校はいわゆる進学校だったので、平和だった。
高校の担任には、教員にならずに、会社に勤務した方が、能力を活かせると言われたが、20歳の時に母親が肺線維症、父親が胃がんで、あいついで、病死した。新聞記者をしていた親父の遺言は、「弁護士と坊主は信じるな。教師になれ。」だった。
69歳の現在も非常勤講師やスクールカウンセラーをして、収入を得ているし、たくさんの教え子とのつながりがあるので、後悔はしていないが、級友が、海外勤務をしていたという話を聴くたびに、そういう事もしたかったと昨日は考えた。
当時の就職活動は大学4年の10月が解禁日だったが、私は教員になることが第一目標で、企業は滑り止めだった。
富士通とキャノンに内定をもらっていたので、入社していたら、海外勤務のチャンスはあったと思う。
そのような事を感じた昨日だった。
私は来年の1月で70歳、献血は69歳までできるので、69歳最後の2025年1月30日に111回目の献血をしようと考えている。
現在、107回。それを達成するのが現在の一つの目標である。ちなみに明日は今年11回目の血小板献血である。
今は105キロあるので、BMIではもちろん、ひっかかるが、血液検査はすべて正常である。
大学に入った時に、アメラグ、ラグビー、アイスホッケーのどれかに入部しようと考えていたが、F君という大蔵官僚の息子で、
カナダから帰国したばかりの級友がいた。
彼がアイスホッケーをやるというので、宿題はF君に写させてもらえば良いと思い、一緒に入部したが、彼は2か月で退部した。
当時から、言葉遣いがとても丁寧で、良家の出身さを感じていたが、昨日の自己紹介で、白髪の紳士が福田君だと話し方で分かった。
フリータイムの時にあいさつに行ったが、卒業して、IMF基金に勤務して、外務省などにも出向、上智大学の非常勤講師もされていたり、検索すると世界中の金融機関で活躍していた。
今回の参加メンバーで、教員になったのは私だけだが、69歳、70歳でも会社の重鎮としていまだに働いている人もいたり、名誉教授までなっていた級友もいた。
私と違って、皆さん、勉学に励んでいたのだと感じました。
今朝、F君から、48年ぶりの再会を楽しんだというメールが来ていた。私の左隣の白髪の眼鏡をかけた方がF君です。
その左となりのT君は銀行勤務で、海外生活も経験、退職後、税理士の資格を取得、今も銀行の相談役だそうです。
6年前も大学卒業40年に合わせ、クラス会を開いたのですが、50年後は4年後。
4年後には半分になっているかもしれないので、2年後の再会にしようと二次会から帰宅しました。




