横山光輝三国志検定公式芸人かおポイントのおくまんさんと、三国志研究家の満田先生によるゆるーい集まり三国志街道の集い
会場はいつもの、亀戸にある中華料理屋 三国志。
最近は参加者さんが多くてあんまりゆるくなくなってきた。でもお友だちもいっぱい増えたヨ
今回のテーマは周瑜
恒例の三国志ランチはこちらです↓
赤壁の火計にちなんで、火を噴くほどは辛くない麻婆丼。
周瑜→しゅうゆ→しょうゆ?で醤油味のスープ。
そして孫策との断金の交わり!でダンキンドーナツ(じっさいはどこのドーナツか不明)
このお店はランチタイムはバイキングもあるので、いつもの桃まんとデザートたちも一緒に
おくまんさんいわく、「周瑜短命でよかった。忙しかったから、書ききれなくて」とのことでした。
この日も「生まれた時は違えども死せるときは一緒ぞ!」の桃園の誓いでスタート
孫家と周家のつながり。出会いは15歳。同い年です。
周瑜が孫策一家に屋敷をあげたというエピソードがありますが、
もちろん周瑜の一存ではなくちゃんと裏で了承してるひとがいるよね。
周家はよいお家柄だそうですから、孫家との交わりは業務提携のようなものです。
だから、二喬との結婚も政略的?
孫家は地方豪族だけど、周家は国の大臣を輩出してるから、周家のほうが上なんだそうです。
そんな孫策もあっさりと亡くなり、そのあとは孫権が継ぎますが、孫策には息子もいたし、まだ小さかったみたいだけど、すんなりと孫権が跡を継げたかは??
で、話は飛んで赤壁へ(←実際は話は飛んでないと思われますが、わたしのメモにはその間のことがない。ランチに夢中だったと思われる)
赤壁と言えば苦肉の計。
「苦肉の計はないですね。あれは演義ですね。正史には載ってないです。」 by満田先生
ということで、この二人のエピソード、フィクションだそうです。
がーん。このかんたく、めちゃかわいいのに?
歴史書は戦争の細かいことはかかないんですって。前後の政治的なことはちゃんと書いてあるらしい。
そして周瑜は江陵の戦いの際、流れ矢にあたります。
え?軍師ってふつうは矢が届かないとこにいるんじゃないの?
どうしたの?出てきちゃったの?もしかして夏侯淵?(←三国志街道におけるだめんずの代名詞)
*「それって夏侯淵みたいじゃん」というのは、わたしじゃなくておくまんさんですよ。
で、周瑜も36歳という若さで急逝してしまいました。
右下には「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!」の周瑜。
満田先生は見抜いてたよ。スペースがあまったから、これ描いたんでしょ、って。 見ぬかれていたおくまんさんは、周瑜の気持ちになったそうです。 このシーンは正史にはないけど、なぜこの時代に孔明が、はそこまでは思ってないかも、と満田先生はおっしゃってました。
周瑜のステータスはこちら↓
武力94 知力98 政治力95 魅力98なので、このキャッチフレーズとなりました。
過去最高です。すべてにおいて。すごい!! 周瑜のキャッチフレーズは呉のGackt 嫁は小橋(こばし)
音楽できるし、お正月の格付けも間違わないし(←お正月にやってる特番のこと?)
そして・・・
正史には二喬のことは「喬」ではなく「橋」とかかれてる。
まじ?大喬・小喬じゃなくて大橋・小橋??
「橋公(きょうこう)の二人の娘」と書かれてるんだそうです。なんか急に美人なかんじじゃなくなってくるんだけど!!
次の三国志街道は、今年はお花見ができなかったので緑見の予定でしたが、雨で中止になってしまいました。
次回は6月15日(土) いつもの亀戸の三国志にて開催です。
テーマは公孫瓚!
劉備が出陣したいと言ったときの、公孫瓚の「ふむう」がすごいかわいいと思うんだけど、そのシーン描いてくれるかな?
また次回も楽しみにしてまーす
おくまんさん、満田先生、今回もありがとうございましたー
そしてこの日は、三国志ずきたちの宴会がまだまだ続く・・・