憂 凪 雲

憂 凪 雲

at 21:21:21.

いいなと思ったこと、ちょっと嫌だなと思ったこと等、主に、日常の些細な出来事の日記.

1 → 100 を目指している人ではなく、
0 → 1 を目指している人です.

この世界はきっと、僕には美しすぎた.

そしてきっと、僕の見ている世界は綺麗だ.


ニュースで報道されるような残酷な事象は、想像しているよりはるかに多く存在しているのだと思う.

物理的な死まではいかずとも、精神的なそれを含めば.


僕が理想郷を描けるのは、美しいものを美しいと思える環境で育ててもらったからで、当たり前ではない.   夢をみられるのは、愛されて育った証だと言えると考えている.   このご時世になったからこそ広く認識するようになったと思うが、躾 と 説教 は紙一重だ.   恐ろしいことに、仕事では相手の受け取り方次第でパワハラと訴えられるなんて時代になってしまったもので、人材教育する側にとっては生きづらいと思う.


何が言いたいかというと、自分は良い環境で、良い母親に育てられた自信があるということだ.

他の誰でもなく自分が母親の元に生まれつけてよかった、と改めて思っている.

結局母親に手紙は書けておらず、軽めにしか感謝を伝えられていない.   今更どう伝えたらいいのかもわからないのが正直なところだ.

思っていても口に出せない、また、これは最近知ったことだが、顔にも出ていないそうで、嬉しいのか嫌なのか分からないと言われる.

嫌なことは顔に出ない方がいいとは思うが、嬉しいことが伝わらないのは互いにメリットがないので意識してでも改善したいところだ.


話が脱線してしまったが、何が言いたいかというと、

僕が生まれるには、身の丈に合わない程、すごく幸せすぎる環境だったこと.

自分より幸せな人を見て羨んだり、あまり恵まれない環境にいる人を見て優越感に浸ったりはしたくないこと.

この世界で自分を1番愛する者は自分であるべきこと.


最後は母親から何度も言われた言葉である.


きっと到底無理だと、初めて言われた時から思い続けている.

昔と比べれば多少改善したと思う、が、母親の愛には敵わないと思う.

僕にとっては母親が最幸の居場所だと言い切れる.

母親がその逆を言い切れるのか… きっと本心で言い切るんだろうが、母親が誇れる我が子にはなれていない感覚がある.

「誇れる我が子」は自分で勝手に描いた理想像だが、それに少しでも近づきたいと思う.

モチベがなくなったら母親と話をする、それだけで復活できる.


今まで生きてきた環境をありがたいと思う.

この幸せいっぱいな世界を、在る幸せを噛み締めて生きていくのが自分の使命だと思う.

自分には相応しくないほど眩しいこの世界を、影を踏みながらも光エネルギーを吸収して生きていく.


僕の生きる世界はきっと、残酷なほどに美しい.

僕が描く理想郷もずっと、残酷なほどに美しい.

絶望できるということは、幸せだということだ.

 

憧れだった職業や当時の夢

 

 

お疲れ様です、みくもです.

子どもの日はとうに過ぎてしまったんですが、

昔の将来の夢を時系列と共に暴露していこうかと思います (誰得?)

 

5歳~小学2年生まではピアノの先生.

ちょうどピアノを始めた頃で、先生のことが大好きだったため…

単純すぎるけど今振り返ってみても、ピアノも先生のことも好きだったんだなと.

 

小学3~4年生くらいは、学校の先生.

どんだけ影響されやすいんと笑っちゃいますが、完全に自分と関わってる人に影響されてます 笑

もちろんまだピアノも通い続けてるときなので、正式にはピアノの先生と半々くらい.

何かを教えることに憧れていた…

後に、人に教えることが上手くない、向いてないと知ります 笑

 

小学4~6年生くらいは、世界バレーボール選手.

ちょうどロンドン五輪で女子が銅メダルを獲得し日本がアツくなってた頃です.

年齢推測するのはやめてください 笑

今思えば恥ずかしいけど割と真剣に思ってました…

小学生の頃くらい夢を見たっていいでしょう、ってことで.

その頃からずっとポジションの中ではセッターが1番好きです.

竹下選手の影響がとっても大きいです.

 

中学校からは少し真剣に将来のことを考え始めて、ほぼ単元テストしかなかった小学校に比べて勉強も少し本腰を入れてというか、そんな時期でした.  もちろん部活はバレーボールでしたが、さすがに世界バレーボール選手というには夢見すぎなお年頃…

職業を明確に考え始め、出た答えは建築士.

昔はよく祖父の日曜大工を手伝っており、楽しかったので漠然と興味を持ち始めて、軽い気持ちで言い始めた記憶があります.

 

そしてそんな夢を今も追い続けております.

目指すは一級建築士.

夢を叶えられるように今は勉強を頑張るのみな時期.

 

ですが、気持ちに反して全然行動ができていない今日この頃… とってしまえば昔からの夢を叶えられる、人生の選択肢も大幅に広がることは重々承知しているのですが、気分屋を動かすのはなかなか難しく…

仕事も頑張らなきゃなので睡眠は最低限は必ずとって、健康的に、中身の濃い生活を送っていきたいところ…

少しの辛抱だと思って頑張ってきます.

 

たまにここに呟きに来ます. 笑

 

理想は高校生みたいな生活!

ではみなさんお元気で!!!

GW、終わってしまいました.


家に母親が1泊2日で遊びに来ていて、

一緒に買い物に行ったりご飯作ってくれたり…

実家にいた頃は当たり前だった、普通の休日みたいな過ごし方でした.


学生時代は土日パンパンにバイト詰め込んでたし、土日でバイト休めた日は家でダラダラしてたのでお出かけもしてませんでしたが…


1人に慣れすぎてしまってなのか、休日に人との予定を入れなくなったからなのか、母親をバスのターミナルまで送ってからの帰り道 約1時間、お出かけを思い出しながら、すごく楽しかったなぁと振り返ってたら涙が止まらなくなって.  これを書きながら今も涙が溢れ続けてるんですけど.

昨日母親を迎えに行った後の家までの帰り道は一瞬だったのに、今日は異様に長くて寂しくてしんどくて.  好きな音楽かけながら帰ったんだけどな.

全然1人でも平気だと思ってたのに、やっぱり寂しさには嘘をつけないみたいです.


連休明け頑張らなきゃだから早く寝なきゃいけないのにな.  泣きすぎたら目腫れちゃうのにな.


強く生きる母親を見て、自分もそうならなきゃなと思う一方、久々に会って母親の温かさに触れると異常なまでにメンタルがやられる、良くも悪くも.

自分はこれ以上強くはなれないと感じる、この歳になってもなお、一人暮らしをしてもなお、貴女がいなければこの世で生き続けるなんてきっと無理です.

歳でだんだんいろんな事が辛くなってくると思うけど、まだ自立できないので長く生きて欲しいなんて思ってしまう自分がいます.


ほんの少しも疑わずに、ここに愛があると感じれるのって本当に幸せな事だなと、今更ながらに思います.  きっと後にも先にも母親だけだろうなと.

まだ元気でいてね、いつか絶対地元に戻ります.

今までたくさんもらってきた分、ちゃんと返したい.


なーんて本人に届きもしないけれども.

いつかちゃんと言葉でも行動でも伝えられたらなと.

とりあえず泣きやめ自分.


カメラ向けてるのにカメラ目線じゃなくてこっちの目見ちゃうのほんとに意味わからんけど面白かったなぁと、写真見返す度に思い出すんだろうな.


母親が作ってくれた料理の匂いが、確実にここに母親がいたんだということを証明してて、さらに寂しさの増すことよ…


楽しい良き思い出になりました、

貴重な時間使って来てくれてありがとう、

いつか素直に全部伝えたい.


もうすぐ母の日なのでチャンスなんですがね…

久々に真面目に手紙書いてみましょうかね.


今は頑張るとき、母親にとって誇れる子になれるよう精一杯努力しようと思います.  頑張れる理由がひとつ増えました.  ありったけの感謝を.