この世界はきっと、僕には美しすぎた.
そしてきっと、僕の見ている世界は綺麗だ.
ニュースで報道されるような残酷な事象は、想像しているよりはるかに多く存在しているのだと思う.
物理的な死まではいかずとも、精神的なそれを含めば.
僕が理想郷を描けるのは、美しいものを美しいと思える環境で育ててもらったからで、当たり前ではない. 夢をみられるのは、愛されて育った証だと言えると考えている. このご時世になったからこそ広く認識するようになったと思うが、躾 と 説教 は紙一重だ. 恐ろしいことに、仕事では相手の受け取り方次第でパワハラと訴えられるなんて時代になってしまったもので、人材教育する側にとっては生きづらいと思う.
何が言いたいかというと、自分は良い環境で、良い母親に育てられた自信があるということだ.
他の誰でもなく自分が母親の元に生まれつけてよかった、と改めて思っている.
結局母親に手紙は書けておらず、軽めにしか感謝を伝えられていない. 今更どう伝えたらいいのかもわからないのが正直なところだ.
思っていても口に出せない、また、これは最近知ったことだが、顔にも出ていないそうで、嬉しいのか嫌なのか分からないと言われる.
嫌なことは顔に出ない方がいいとは思うが、嬉しいことが伝わらないのは互いにメリットがないので意識してでも改善したいところだ.
話が脱線してしまったが、何が言いたいかというと、
僕が生まれるには、身の丈に合わない程、すごく幸せすぎる環境だったこと.
自分より幸せな人を見て羨んだり、あまり恵まれない環境にいる人を見て優越感に浸ったりはしたくないこと.
この世界で自分を1番愛する者は自分であるべきこと.
最後は母親から何度も言われた言葉である.
きっと到底無理だと、初めて言われた時から思い続けている.
昔と比べれば多少改善したと思う、が、母親の愛には敵わないと思う.
僕にとっては母親が最幸の居場所だと言い切れる.
母親がその逆を言い切れるのか… きっと本心で言い切るんだろうが、母親が誇れる我が子にはなれていない感覚がある.
「誇れる我が子」は自分で勝手に描いた理想像だが、それに少しでも近づきたいと思う.
モチベがなくなったら母親と話をする、それだけで復活できる.
今まで生きてきた環境をありがたいと思う.
この幸せいっぱいな世界を、在る幸せを噛み締めて生きていくのが自分の使命だと思う.
自分には相応しくないほど眩しいこの世界を、影を踏みながらも光エネルギーを吸収して生きていく.
僕の生きる世界はきっと、残酷なほどに美しい.
僕が描く理想郷もずっと、残酷なほどに美しい.
絶望できるということは、幸せだということだ.