明日もmachi風 -2ページ目

明日もmachi風

唐突に日常の出来事やヒューマニズム等、感じた事を書いてます。



今、お母さんが私たちを離れていることは、私たちにとって深い悲しみですが、同時に感謝の気持ちでいっぱいです。

お母さんは私たちの生活に無限の愛を注ぎ込んでくれました。私たちの成長や幸せのために、いつも最善を尽くしてくれました。お母さんの優しさや思いやりは、私たちにとって絶え間ない支えであり、励ましでありました。

お母さんのおかげで、私たちは愛と温かさに満ちた幸せな家庭で育つことができました。お母さんの教えや価値観は、私たちが人間として成長し、困難に立ち向かう力を身につけることができました。

また、お母さん自身の人生においても、私たちの将来や幸せを常に考えて行動してくれました。自己犠牲を厭わず、一生懸命に取り組む姿勢は、私たちにとって大きな励ましとなりました。

母としてのお母さんの存在は、私たちにとって不可欠であり、今でも心の中で生き続けています。お母さんの温かな微笑みややさしい言葉、母性の愛がいつまでも私たちの心に刻まれています。

いま思い返してみると、言葉にすることのできないほどたくさんの感謝の気持ちが溢れています。お母さんの生涯を通じて、私たちに与えてくれたすべてに感謝の意を捧げます。

旅立った母へ、これからもお母さんの思い出を大切にし、お母さんの教えを守りながら生きていきます。いつまでもお母さんを心に抱いて、感謝を忘れずに生きていくことをお誓いします。

お母さんの愛と尽力が、私たちの人生に永遠に輝き続けますように。

言えなかった言葉 感謝を込めて、


お母さん ありがとう!


やさしい風が吹いて
思い出の風景が広がる
心にそっと寄り添い
やわらかな音が響く

優しいメロディーが
心にそっと触れる
思い出の風景が
心に満ちてゆく

やさしい言葉に包まれて
心が穏やかになる
思い出の風景が
心に花を咲かせる

優しいメロディーが
心にそっと触れる
思い出の風景が
心に満ちてゆく

やさしい曲が終わり
思い出の風景を胸にしまう
心に残る優しい歌声
時を超えて輝き続ける

 

引っ越しの準備片付けをしていたら

 

押入れの奥に隠すように置かれたラッピングされた箱が出てきた。

 

何だろうと開けてみると靴だ。

 

一緒にバースデーカードが添えてある。

 

亡き妻からのプレゼントだ!

 

メッセージを読むと涙が溢れてきてとてつもない悲しみが襲ってきた。

 

僕にプレゼントを渡すことも出来ずに旅立ってしまった妻。

 

遅くなったけど君からのプレゼントちゃんと受け取ったよ!

 

ありがとう😊

 

8年たってもまだ受け入れられずにいるけど

 

この靴を履いてしっかり前を向いて歩いていくね、

 

千昭ありがとう。大切にするね。

 

親愛なる両親へ、

私たち兄弟のために尽力してくださり、本当に感謝しています。お父さんお母さんの愛情深さと献身的な姿勢に触れる度に、私たちは幸せを感じています。

お母さん、あなたは私たちの生活に温かさをもたらしてくれる存在です。いつも家事や子育てに努め、私たちが快適で幸せな環境で過ごせるようにしてくれました。あなたの料理はいつも美味しくて、心に喜びを与えてくれました。私たちが困難な時には、いつも優しく寄り添ってくれる姿勢に感謝しています。

お父さん、あなたは私たちの支えであり、頼りになる存在でした。いつも仕事に真剣に取り組み、私たちに良い未来を築くための道を示してくれます。あなたの教育とアドバイスによって、私たちは自己成長し、努力を惜しまない人間となることができました。そして、あなたの助言や的確な判断によって、私たちは自信を持って進むことができます。

両親という存在は私たちにとって宝物です。私たちが幸せで安心した日々を過ごすことができるのは、あなたたちのおかげです。いつも私たちの支えとなり、笑顔を与えてくれることに、心から感謝しています。

これからも、私たち兄弟はお互いを支え合いながら、幸せな家族であり続けます。そして、いつまでも両親に誇りを持てるように努力し、感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。

両親には言葉では表現しきれないほどの感謝の気持ちがあります。本当にありがとう。

愛を込めて、

当たり前なんて存在しない


今の生活も...
今の幸せも

今の嫌な事も
今の悲しい事も

今隣にいる人も
今の見ている景色も

今考えている将来の夢も

これからもずっと
隣りにいてくれる
「空気」や「環境」じゃない。

これからも包んでくれる
「空気」や「環境」じゃない。

これからもずっと
会えるわけじゃない。

これからもずっと
愛し合えるわけじゃない。

これからもずっと
喧嘩できるわけじゃない。

これからもずっと
一緒に泣けるわけじゃない。

これからもずっと
一緒に笑いあえるわけじゃない。

だから
話せる時にいっぱい話して
泣ける時にいっぱい甘えて

会いたい人には
会えるときに会って

笑えるときに
思いっきり笑い合って

好きって伝える事ができる時に
たくさん伝えて

愛してるって伝える事ができる時に
いっぱい伝えておかなきゃ。

今がずっと続くわけじゃない
って気づけば
毎日を大切にできる。

人には期限がある事を
忘れてはいけない。

人には当たり前なんて存在しない。

いつ何が起きるか
分からない事を忘れちゃいけない。

「絶対」なんてあり得ない事を
普段の生活で忘れちゃいけない。

今出来る事を、
一生懸命やろう。

今伝えれる事を、
一生懸命相手に伝えよう。


時間も人も
移ろい変わり行くものです。
それでも
一生懸命に生きる姿が美しい

  今日は妻と子供の命日。

毎年この日が来るのがやっぱり辛い、7年たってもまだ受け入れられない

ただいまって家に帰ったら

お帰りなさいって笑顔で迎えてくれる気がする。

しっかりしないといけないとわかってはいるけど・・・・・

たくさん話すことあるから待っててな!

いま会いに行くからね😃

1日目、神様は犬を創り告げました。

「1日中窓際に座って周囲を見張り、通りかかる全てのものに吠えるがよい。この使命を全うすることにより、お前に20年の寿命を授けよう」

 すると犬は答えました。

「一日中吠え続けるには20年は長すぎます。私の寿命を10年にして、他の生き物に残りの10年を授けたらいかがですか?」

 神は犬の提案を了承しました。

 

 2日目、神様は猿を創り告げました。

「人間を楽しませるがよい。色々な技を習得して人々を笑わせなさい。この使命を全うすることにより、お前に30年の寿命を授けよう」

 猿は答えました。

「自分を笑い者にして30年も過ごすのですが?長すぎじゃないですか?犬と同じようにしてください。寿命を20年にして残りの10年はお返ししてもよろしいですか?

 神はしばらく考えてから猿の提案を了承しました。

 

 3日目、神様は牛を創り告げました。

「朝から晩まで農夫とともに大地に立ち、子牛を産み、飼い主のために牛乳を作り続けるがよい。この使命を全うすることにより、お前に60年の寿命を与えよう」

 牛は答えました。

「そんな厳しい一生に60年は長すぎます。20年で十分です。残りの40年はお返ししてもよろしいですか?」

 神は牛の提案も了承しました。

    4日目、神様は人間を創り告げました。

「食べて寝て、人生を楽しむがよい。この使命を全うすることにより、お前に20年の寿命を授けよう」

 人間は答えました。

「たった20年ですか?20年の寿命に加えて、牛から40年、猿から10年、更に犬からも10年を頂けないでしょうか?合計80年の寿命でよろしいですか?」

 神は答えました。

「お前が望むならば、そうしてやろう」

 

 こういうわけで、我々人間は最初の20年を食べて寝て楽しみ、次の40年間は家族を養うために身を粉にして働き、その後に続く10年間は孫を楽しませるために自ら道化となって過ごし、そして最後の10年は窓際で日がな一日座って過ごしながら、通りかかる全てのものにブツブツ呟いて過ごすようになったのです

鎖国により資源の輸出入が無かった江戸時代の日本は、人々の暮らしに必要な物資の大半を植物資源に依存していました。
また植物は太陽光、CO2、水による光合成で成長するため、必要なエネルギーも太陽エネルギーだけでまかなわれていました。

つまり、意識的に循環型社会を実現したというよりは、あらゆる工夫を凝らして再利用可能な植物資源を最大限活用する中で、自然と独自のリサイクルシステムが構築されていったと言う方が正しいでしょう。
そのため、江戸時代の生活には化石燃料に頼らずに生きるための知恵と経験が詰まっており、現代における循環型社会を実現する上で非常に理想的な見本となっています。

では、具体的にどのように植物資源を利用していたのでしょうか。
一つは、「行灯(あんどん)の油」です。
江戸時代の照明といえば、小皿に注いだ油に火を灯す主流となっており、この行灯用の油には、ごま油、えごま油、菜種油、綿実油などの植物油が主に利用されていました
ちなみに他には、イワシ、クジラ、サンマなどの「魚油(ぎょゆ)」も利用されていたそうです。

江戸時代の人々は、日中は自然光で生活し、行灯を点けるのは主に夜のみでした。
その上、行灯は照明と言うには頼りなく、微かな明るさしかありませんでしたが、当時の人々にとっては
「夜=寝るだけ」という常識があったため、十分な明かりが無くとも全く問題なかったそうです。

次に、「日用品や堆肥づくり」です。
江戸時代の稲作では、収穫した藁の約20%を日用品づくりに、約50%を堆肥に、残りの約30%を燃料その他に充てていました。
つまり、収穫した分を少しも廃棄することなく、100%活用していたのです。

この時につくられたものは、衣食住の様々な場面で役立ちました。
具体的には、以下の通りです。

・衣食住の「衣」…日除け用の編笠(あみがさ)、雨具用の蓑(みの)、草履(ぞうり)など
・衣食住の「食」…米俵、鍋つかみ、釜敷きなどの台所用、藁苞(わらづと)納豆づくりなど
・衣食住の「住」…草屋根、畳、土壁の材料など


江戸時代の稲作農家は、農閑期にこれらの日用品を自家用につくると共に、販売用にもつくって収入源としていました。

江戸時代がエコな理由②徹底したリサイクル文化

江戸時代は物資が限られており人々が所持できる分も少なかったため、衣類も食器も徹底的にリサイクルして使う文化が定着していました。
とはいえ決して無理にリサイクルをしていたわけではなく、楽しみながらリサイクルしていたようです。

例えば着物などは、帯や小物を組み合わせて変化をつけることでお洒落に気回していました。
また、江戸時代は古着屋がかなり多く、市場に出回っている着物の大半は古着でした。
古着屋では着物だけでなく端切れなども扱っていたので、それを襟や裏地などに縫い付けて個性を出していたそうです。

何度も着回してさすがにほつれや擦り切れが目立つようになってきた着物は、今度はおむつや雑巾として
リサイクルされ、ボロボロになるまで使い切った後はかまどや風呂釜などの燃料にも使われました。
それで終わりかと思いきや、燃やし尽くした後の灰さえも、農業、酒造、陶器づくりに利用されるなど、限界まで使い抜かれていました。

また江戸時代では、壊れたものを直してくれる「修理屋」が発達していました。
修理屋にはそれぞれ専門があり、壊れた陶器を修理する焼接ぎ(やきつぎ)屋、提灯張り替え屋、破損や汚れで見えづらくなった鏡を復活させる鏡研ぎ(かがみとぎ)屋などがいたそうです。
そのため、何かが壊れたら専門の修理屋まで持っていき修理してもらい、また使えなくなるまで使い込むというのが江戸時代の常識でした。

このように、「これ以上は修理できないのでは…」というレベルまで使い切ってもなおゴミにしないところが江戸の凄いところです。
前述した修理屋だけではなく、紙くずや髪の毛までありとあらゆるものを買い取る業者も江戸時代には存在しており、新しい商品づくりに活かされていたそうです。

江戸時代がエコな理由③食材は「必要な時に必要な分だけ」

江戸時代の人々は魚屋さんや八百屋さんに買い物に行くのではなく、行商人が家まで売りに来る魚、豆腐、野菜、などをその都度買っていたため、食材を一気に買い溜める必要がありませんでした。
もちろん今のような使い捨て容器は存在せず、買う際は自前の容器で量り売りしてもらっていたそうです。

このように江戸時代では食材は「必要な時に必要な分だけ買うもの」でしたが、これは決してエコを意識していたわけではなく、一度にたくさんの食材を買える時代ではなかったという背景があります。
そのため、当時の人々は限られた食材でも最大限美味しく食べられて満腹になるよう、様々な工夫を凝らしました。 例えば、米は高価で少量しか買えなかったため、大根、芋、豆などの腹持ちの良い具を混ぜて炊き、かさを増やしていました。

また、現在のように保温機能のある炊飯器などなかったため、冷めたご飯を美味しく食べるための冷え雑炊や茶漬けなども考案されました。
このようなスタイルから、江戸時代に食品ロスが出ることは滅多にありませんでした。

現代にも活かせる江戸時代の「エコな習慣」

ここまで江戸時代のエコな暮らしを見てきましたが、「そうは言っても時代が違うし、同じように生活するのは難しいのでは」と思った方もいるのではないでしょうか。
確かに江戸時代と全く同じ暮らしをすることは難しいですが、いくつかの習慣を参考にし、現代の私たちの暮らしに活かすことは十分に可能です。

たとえば、近年改めて注目を集めているのが、江戸時代の人々のマストアイテム「風呂敷」です。
2020年7月から始まったレジ袋有料化以降はエコバッグを持ち歩く人が増えましたが、それと同時に風呂敷人気も高まっています。
風呂敷は荷物の形や大きさにとらわれることなく、1枚で包んで持ち運べるというメリットがあります。
単に「包む」だけではなく、アレンジによってカバン、お弁当包み、ワインボトル包み、そしてもちろんエコバッグなど、多種多様な使い方ができる点も魅力です。
何より洗って何度でも再利用できるというのが、エコな暮らしにぴったりです。

また、ごみを極力出さないという点で役立つものとしては、「家庭用コンポスト」があります。
コンポストには、生ごみの水分を抜いて捨てやすくする「乾燥式」、微生物が生ごみを分解して堆肥化する「バイオ式」、この両方を合わせた「ハイブリッド式」などがありますが、家庭菜園などの堆肥として使用する場合は、バイオ式やハイブリッド式がオススメです。

自家製の堆肥を使って育てた野菜を食べ、そこから出た生ごみはまた堆肥化するという流れは、まさに「小さな循環型社会の実現」だと言えるでしょう。
生ごみを捨てることなく肥料として再利用することで、ごみの廃棄によるCO2排出の削減にも貢献できます。

他にも、買い物する際は予め買うと決めていたものを必要なだけ買う、外出用のTシャツが擦り切れてきたらすぐ捨てずに寝巻にするなど、今までの習慣を少し見直すだけでも、循環型社会の実現はぐっと身近になるはずです。

まとめ

今回は、江戸時代の暮らしから学ぶエコな習慣について紹介していきました。
江戸時代と現代では、生活スタイルも物資の量もエネルギーの種類も何もかもが違いますが、一人一人が意識的にできる習慣というのは案外あまり変わらないのかもしれません。
過去の暮らしに学びつつ、クリーンな未来をつくっていけるような行動をとっていきたいものですね。

 

※ 最安値発掘隊の記事より抜粋

 

 

〇〇誕生日おめでとう誕生日ケーキ

 

やっと同じ歳になったね

 

〇〇が旅に出てもう5年の月日が流れたね

 

早いような長いような

 

君が隣にいないとやっぱり寂しいよ

 

奇跡が起こるならもう一度逢いたいラブラブ