野比捜査官と呼ばれた女性は、愛らしく華奢な容姿をしていた。そのため、どうしても剛田本部長が胸を張るようなエージェントには見えなかった。
彼女の頬はふっくらとしていて、黒目がちの目は穏やか。サラサラのブロンドを鮮やかな赤色のリボンで結んでいるが、動きやすさを考えたというよりも、体育の授業を受ける女子学生のようである。美脚に目が奪われるパンツスーツでようやく大人の印象を強めるものの、それでも就職活動中の女子大学生と言われれば納得してしまうほどだった。
彼女は捜査官特有の、触れればスパッと切れそうな鋭さも、テロリストと一対一で対峙できるほどの威圧感も持ち合わせてはいない。例えるなら無色透明。空気のようで掴みどころがない。そんな、不思議な雰囲気をたたえていた。
しかし無垢な印象とは反対に、表情ひとつ変えずに“敵”を始末する冷淡なやり方はプロフェッショナルだと言えた。トリガーにかけた、育ちの良い白い指にためらいはない。眉ひとつ動かさずに発砲する姿からは、殺し慣れた様子さえうかがえる。相手が無抵抗でもお構いなしだ。視界に入った“獲物”は、たとえ命乞いをしても見逃さない。
彼女をひと言で表すなら「ロボット」だった。目をカッと見開いたまま瞬きひとつしないし、ガラス玉のように澄んだ瞳が曇ることもない。ありのままを受け入れ、職務という名のプログラムを粛々と処理していく。
「……そうだよ中原捜査官、彼女はアンドロイドさ」。中原の心の奥を見透かすように剛田本部長が告げる。
「それでは、野比捜査官も……?」
「ああ、彼女自身が超科学オブジェクトさ。人間をサポートするために製造され、こうして我々の捜査に協力してくれている」。そして一息入れ、中原に強い視線を向けた。
「管理コードは“D-Mi”。時間の流れを監視する、未来の捜査機関から派遣された連絡員だ。通称“ミィ”。野比という名字は、彼女が敬愛していた捜査官のものだよ」
剛田本部長は、懐かしさと寂しさが入り混じった表情をしていた。そして脳裏に蘇る記憶をかみしめるように口を真一文字に結び、ぐっと押し黙る。
「その捜査官は、確か……」。中原は剛田本部長の様子をうかがいながら告げた。「――反逆罪に問われ、今は消息不明だとか」。しかし剛田は答えない。威圧するような目を向けるだけ。
「……とにかくだ、キミをミィの監視下に置く。どこへ行くにも、なにをするのも一緒だ」
剛田本部長が野比元捜査官への言及を後悔しているのは明らかだった。ならばそれでも構わない。
「……わかりました、ミィ捜査官に従いましょう。“上”からはレベル5の機密アクセス権を許可するよう指示が出ているはずです。IDさえ頂ければ、支障なく仕事ができます」
「待て待て、それで納得されちゃ困る。俺はお前さんが握っている、すべての情報が欲しいんだ。もちろん、調査対象が誰であるかも含めてな」
「それは機密に関わる部分です。あなたは知る立場にありません」
すると、「ドン!」。剛田本部長は、中原を壁際に追い詰めるようにして、金属製の冷たい壁面に左手をつく。その目は明らかに中原を威嚇していた。
「拒むのなら、キミの機密アクセス権はビジタークラスのままだ。情報端末の使用も、トイレのドアを開けるのも、ミィに頼むんだな」。目のギラつきが一層強くなる。「覚えておけ、中原。お前のものは俺のもの、だ」。
「…………」
「なんだ、その反抗的な目は? こっちは物騒な奴らに土足で踏み込まれ、部下を大勢殺されたんだ。その片棒を担いだ奴が内部にいるなら、一発ブン殴ってやらんと気がすまん」
「……しかし」
「対象者を教えるならレベル4までは許可してやる。それ以上は、レベル5のアクセス権を持つ、ミィの監視下で自由にさせてやろう。どうだ?」
中原はまったく怯んでいなかった。ただ剛田本部長の目を見つめ、心の奥にあるものを探ろうとしている。剛田も長いこと現場に出ていたが、こんな人間は初めてだった。押せば引く、あるいは反発する。なにかしら反応があったからだ。しかし中原は、そのどちらにも当てはまらない。似ているとすれば……ミィか?
「いいか中原、お前のものは俺のものだ。ここでうまく立ち回りたければ、対象者の名を吐け。……なに、上層部のお咎めを心配しているなら大船に乗った気でいろ。責任は、すべて俺が持つ」
「保証は?」
すると剛田本部長は、まるで無垢な子供のようにニッと白い歯を見せて笑った。
「そんなものは、ない。だがDPU設立に関わった俺の意見を、上層部が無視するとは思えねえ。仮にそうなったとしても、こいつで黙らせてやる」
そう言って剛田本部長は、岩のような拳を力強く握りしめて、中原の目の前に突き付けた。
「……相変わらずですね、あなたは」。中原は笑っていた。口角を少しだけ上げ、フフッと声を漏らす。そして「いいでしょう。それしか方法はなさそうだ」と答えた。
「で、誰なんだ?」
中原は、背後でパネルを操作している男に視線を向ける。「彼です」と。
「……上杉!?」
剛田本部長は思わず呟き、慌てて息を飲んだ。……大丈夫だ。上杉は気付いていない。名を呼ばれて顔を上げただけだ。「なんでもない、続けてくれ」……その一言で簡単に誤魔化せた。
剛田本部長は中原に、上杉が裏切ったとする根拠を尋ねるつもりだった。しかしそれは思わぬところで邪魔される。作戦フロアの様子をうかがっていた上杉が、何かに気付いた様子で「奴らが撤退して行きます!」と叫んだのだ。
「諦めたわけではないですよね?」。上杉の言葉通り、武装集団が注意を払いながらフロアを後にするのが確認できた。「目的を達したのかもしれない」。言いながら、骨川管理官が室内備えつけのスクリーンを操作する。施設内の監視カメラで情報を得るつもりなのだろう。その間、中原と剛田本部長は、銃弾の嵐を耐え抜いたアナリスト4人とミィをミーティング・ルームに避難させる。言葉はいっさい交わさない。2人はただ目と目を合わせ、先ほどの中原の告発が本物かどうか、視線で確認していた。
「自分は任務に戻ります」。凛とした声を発したのは上杉だった。「現場チームもきっと、こちらへ向かっているはずです。彼らが戻ってくるまでの間、自分が食い止めないと」。そして収納ラックの自動小銃に手を伸ばした。
「僕も行きます」。中原は剛田本部長をじっと見つめながら、銃のスライドを引いて、いつでも撃てるよう準備を整えた。「上杉執行官をカバーします」。その言葉が2つの意味を持っていることに剛田本部長はすぐに気付いた。「ならばミィも行け。今からお前が中原捜査官の相棒だ」。
剛田本部長の突然の命令ではあったが、ミィはためらうことなく、抑揚のない声で「了解」と告げた。イエスかノーか、プログラムに従うだけの存在。そのことを中原は強く意識する。はたして彼女は中原のことをどう思っているのか? だがミィの冷たい表情だけでは読み取れない。
「受け取れ中原捜査官、キミのIDだ」。剛田本部長がカードを一枚投げ渡した。「機密アクセスレベルは4、分からないことがあればミィに聞け」。中原は剛田本部長の言葉に耳を傾けながら、胸に下げたIDホルダーからビジター用のIDを抜き取り、自らの顔写真が印刷されたIDと入れ替える。
「お前たち、無理はするなよ」
剛田本部長の目は鋭かったが、どこか穏やかなものを感じさせた。それは落ち着いた声のトーンのせいかもしれない。ただ作戦の指揮を執っている時や、中原を威圧する時のものとは明らかに異なっていた。だからだろう、中原だけではなく、上杉もミィも信頼の眼差しを剛田本部長に向ける。
「いいか。俺の部下でいるうちは、その命……無駄にしたら許さんぞ。
お前のものは俺のもの、だ」
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