2021年_おそらく秋
僕が、自分はもう「女」ではいられないと思った時それを伝えた最初の相手は、やっぱりぱんださんだった。※すごい既出みたいに言ったけれども「ぱんださん」は今日はじめてご登場いただく方で呼び方もいま考えた感じで僕の配偶者です。先にちょっというと、自分の場合は、大きなきっかけがあって「もう(女やるのは)無理だ」ってなったのはそうだけれどもただ、ドラマチックにばーんと目が覚めたというか「これだーっ」ってなったわけではなくて特に、思春期くらいまでは自分は「女」だと思っていて「『女の子』になりたい」と願い続けてきたのが僕の半生だったし大学の時に、自分は「女の子」にはなれない、なぜなら、「なりたい/なれる」とかじゃなくてそもそもこれは僕じゃないんだとわかったそのあともずっと、「女」って肩書はいまさら捨てたりできないだろみたいな肩書だけは不可逆というか与えられたものを生きていかなきゃ、みたいなスタンスでぎぢぎぢぎぢぎぢやりくりしながら「ぎぢぎぢ」と、また「のんのん」も確かにある人生を生きて来られてしまった今までがあってだから、もう明日から新しいページ開きますみたいなそうはできないからとりあえず、自分のこれまでの、あと今のぐじゃぐじゃを整理するのにまさに人の話を整理するプロに手伝ってもらおうと思って1回カウンセリングを受けようと思った。それで、まあでも受けた結果として、気のもちようがまたかわるわけではないと思ったしこれはもう決定的な段階だからこれはやっぱりまずぱんださんに言わないと思ってその日は、たぶん土曜日だったと思うけどとりあえず夕ご飯を食べながらAmazonプライムで実写版の「Death Note」を見て(なんでまたこれ、と自分でも思うけれど、なんか観たかったもので)ご飯も映画も終わったのでぱんださんはいつもどおり自分の部屋へとことこ入っていった「とことこ」とはいってみたが、部屋といってもリビングの真となりの和室なんで、ふすまを開けたらもうそこだから、「とことこ」の距離はないけど「ぱんだ」が歩くのに「とことこ」も若干あわないけどなんならふすまも常に開いているから、「別の部屋に入った」感もあまりないけどまあそんなことはよくて。ぱんださんは布団に寝そべっていつもどおりスマホ見ながら休憩してるので僕も、そのあとに続いてお邪魔しましてぱんださんの足元あたりに体育ずわりをして言うぞー言うぞーといきんでみたけれども最初の切り出しがむずかしくとりあえず、「1回曲がる」くらいの流れでもっていこうと思った「・・・・あのね」「ん~?」「私ですね。今度カウンセリング受けてみようと思いまして」「えー?仕事関係?」「ううん。それじゃなくて」「ん?」「私ですねあのやっぱり女じゃないんですよ」今考えるとあまり曲がってなかったなストレートに近かったかもしれないこの辺で涙も出てきた「お~。・・・・・・・・・・・男になりたいの?」「ううん。」「そうではない。」「ふ~ん」「あの、いかがですか」「いや、まあなんというか前からも若干はきいていたし『そうだな』というのは思っていたし80%くらいの確信が100%になったなというくらいです」「そうですか」こまかいところは覚えてないとりあえず僕は序盤からだいぶ泣いちゃってたけれどもぱんださんはまあまあと笑ってなにも変わらないよといって体育座りした僕の脚を寝っ転がってる自分の脚ですりすりさすりながら話をきいてくれた。なんだかんだ、僕もそのうち泣き止んで涙も乾いてきた最後に。「あのさ」「はい」「この話はまあもうよいとして」「はい」「与太ささっき、『デスノート』観てる間ずっと『これ終わったら言うんだ』とか考えてたの?」「・・・うん。」笑われた。