K:今日のテーマは星座について・・
  秋のお彼岸も近づいてきて、夕方暗くなるのがずいぶん早くなってきたね。
  夜見える星座も変わってきていると思うけど、秋の星座ってどういうのがあるんだっけ?


M:秋の星座で代表的なのは、え~と、ペガスス座かな。


K:あの馬の形の星座?


M:そう、天を駆ける羽のある白馬。
  4つの明るい星でつくられる四角形は、ペガススの四辺形、とか、秋の大四辺形とか呼ばれている。


K:ペガスス座も地球からはだいぶ遠いんだよね? 何十光年? 何百光年?


M:ん~、いちばん近い星でだいたい20光年くらい・・


K:ほかの星も20何光年? 30光年くらい? それとも100光年くらい?


M:ちょっとわからないけど、すぐ近くということはないわね。


K:ということは、バラバラなんだ。
  地球から見ると、馬の形とかに見えるけど、それを真横から見るとすれば、それぞれの星がすごく離れていて何かの形とかには見えないんだ。


M:そう言ってしまったら、昔の人の星に思いを馳せたロマンも何もぶち壊しになってしまう・・


K:それでもやはり、星空はきれいで、不思議だよな~。


M:大望遠鏡で写した天体写真などを見ると、本当にうっとりするほど綺麗ね。


K:あの赤く見えるのは星間ガスの成分が何々だから、青く見えるのは・・・という話になると、また興ざめしてしまうけどね。


M:でも・・、宇宙は本当に膨張しているのか? 果てはどうなっているのか? 星はどのようにして生まれたのか? そして、宇宙そのものもどのように生まれたのか? などなど、本当に興味は尽きないわね。


K:それに、ほかの星の生命体とか、宇宙人とか、他の文明とか、・・ そういうことにも思いをめぐらしていると、ホント、夢は天空を駆けめぐる、っていう感覚かな~。






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K:今日のテーマは広告のこと・・
  夏休みも終わったことだし、窓の広告も変えないとね。


M:そうね。今までは、「実力をつける夏、もっと楽しく効率的に勉強してみませんか?」でしたから、秋にちなんだキャッチコピーがいいわね。


K:秋かー。秋といえば、スポーツの秋・・食欲の秋・・読書の秋・・ついでに勉強の秋・・っと、ちょっと苦しいかなぁ。


M:やはり、広告のキャッチコピーは、私たちの塾の特長を端的に伝えるものでないと・・


K:私たちの塾の一番のアピールポイントは何だろうね?
  視聴覚学習でわかりやすいとか、自分のペースで進められるとか、個人別指導とか、がまず挙げられると思うけど・・


M:一番の特長というと、自分の理解不十分な箇所が見つけやすく、そのポイント毎に段階的に理解できる仕組みがあることかな。


K:一言で言うと、ん~、即問即解。


M:そんな四文字熟語ってありましたっけ?


K:ないかもしれない・・自分の理解不十分な箇所をすみやかに見いだし、すみやかに理解し解決できる・・ということなんだけど。


M:じゃー、多少のことは目をつぶることにして、今度の広告のキャッチコピーは、
  「 実りの秋、勉強が楽しくなる! その秘訣は・・> 即問即解 」としましょうか。


K:要は、自分のひっかかり箇所をまずクリアすることが勉強が楽しくなるきっかけであることを伝えたいんだけれど、表現できているかなぁ?
  広告って、ホントに、むずかしい・・






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K:今日のテーマは心について・・
  前回は、感情は喜んだり悲しんだりする心の動きだという話の流れの中で、そもそも、心って何だろうというところで終わってしまったね。

M:いつも何げなく、心という言葉を使っているけど、改めて意識してみると、漠然として曖昧なままで何もその実体は分かっていないような気がする。
  それに、うれしい悲しい等と感じることが、心の動きには違いなさそうだけど、思うことや考えることも、同じく心の動きとは言えないかしら?

K:そうだね、人間のある対象に対する反応は、広い意味では全て、心の動きと言えるかもしれないね。

M:心は、心の動きとしては、いろんな場面で体感できるけど、心そのものはどうしたら認識できるんでしょうね?

K:心そのものは、心の動きから動きを取ったものだから、あらゆる動きを止めれば、心そのものに近づけるんじゃないかな。

M:でも、それは絶対無理よ。いくら何も感じない何も考えないといったって、五感は勝手に働くし、雑念も自然に湧いてくるし、第一おなかが空いてくるし・・

K:我々凡人には、心の動きを止めるすべがないと言うことだね。
  それでも広い世の中には、その辺を克服した聖者とか覚者とか賢者とかいう方もいるらしいから、それ以上のことは、そういう方々に教えてもらうしかないね。

M:そうね。私たち普通の人間には、心の動きを通して、心を分かろうとするしかないわね。
  ところで、その心の動きなんだけど、同じ物事に対しても、皆が必ずしも同じではなく、各人それぞれ異なる心の動き方をするということは、その違いはどこから生じるのでしょう?

K:それは、やはり、人それぞれの経験の違いかな。
  経験が心を構成している、あるいは、心に影響を与えているのだと思う。

M:でも、なんか経験の違いだけではないような気もするけど・・
  だって、同じ両親から生まれた兄弟が同じ環境で育ったのに性格が全然違う、という話はよく耳にしたりするわよね。

K:生まれてからの経験は同じでも、生まれる前の経験が違うのかもしれないし・・

M:でも、それは、心は肉体より以前に存在しているという考え方でしょう?
  心も肉体から生じるという考え方だと、どういうふうになるかしら?

K:肉体から生じるとなると、両親の遺伝子の組み合わせから肉体が形成されるのと同じように、両親の心の要素の組み合わせから心が形成されるということになってしまうけど、これもどうかな?

M:確かに、両親のどちらにも似ない性格の子ってたくさんいるよね。

K:やはり、心は肉体とは別に、それ以前から存在していると考えたほうがいいかもね。

M:でも、それだと、科学的ではないことになってしまう。

K:ん~、科学的ってなんだろうね。五感と機械などを使った五感の延長で計測出来るものが科学的な対象って言っているだけで、その範囲を超えたものは存在しない、あるいは、考えないことにしてしまっている。

M:計測できるものしか存在しないなんて、なんか、もう夢がなくなってしまいそう・・

K:そうだ、人間の思考は、科学なんかの枠にはめてはいけないんだ!




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K:今日のテーマは知性と感情について・・
  前回、自分の判断のものさしとして、感情は知性に優るということを言ったけど、Mさんはどう思う?

M:私は、やはり、知性の方かな・・
  だって、知性って、「物事を知り、考え、判断する能力」でしょう?
  感情は、「喜んだり悲しんだりする心の動き」だから、信頼性に欠けるような気がするけど・・

K:確かに、一般的には、そう考えるのが普通だし、それが正解だとは思う。
  ただ、私には、この何となく、という心の動きの方が大切に思えるんだ。

M:心を大切にしたいということはわかるけど、判断のものさしとしてはどうかな?

K:明確な根拠のようなものはとても言い表せないけど、あえて一言で言うと、
  知性は外からきたもの
  感情(心)は内からでたもの
  と言えないかな・・
  知性は、その要素となる知識だけでなく、その知識を活用する能力も、外からの学習で成長させられるけど、
  感情(心)は、強い心にしても弱い心にしても、自分の内から湧き出てくるものだと思う。
  だから、自分のものさしとするには、頼りなくとも、やはり、感情(心)かな、っと・・

M:言おうとしていることが、わからなくもないけど、心っていうものを、もっと突きつめて考えないと、何とも言えないわね。

K:そうだね。心って何だろうね。
  そもそも、どこにあるんだろうね。中心、重心というくらいだから、真ん中、へその辺りか・・?
  それとも、ハートだから心臓か胸の辺りかな・・?
  心もとなしという言葉もあるくらいだから、肉体から離れてふらふら浮かんでいる存在なのかな・・?

M:心もとなしは、不安だ、とか、待ち遠しい、という意味です。
  そんなこと言うから、心もとなくなってしまうんです。

K:参りました。





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K:今日のテーマは知識について・・
  前回の暗記のところで、”正しくものを見、考え、判断するにはある程度の知識が必要”というような、ちょっと曖昧な不用意なことを言ってしまったので、少し訂正しないと・・

M:確かに、”テスト勉強には暗記が知識の吸収が必要”というところからは、あまりに短絡的すぎる言葉の運び方だとは思ったけど、どう訂正するの?

K:”正しく考え、判断するには正しい知識が必要”というふうに。

M:え~っと、”ものを見”がなくなって、知識の前に”正しい”がくっついた?

K:そう、二つ。
  一つ目は、正しくものを見るには知識はむしろ不要ではないかということ。
  事前知識があると、それが先入観というフィルターを通して見ることになってしまい、直接相対することにはならないのではないかと・・。
  西田幾多郎が善の研究の中で言っていた純粋経験のように。

M:少しの思慮分別も判断も加わらない主客未分の経験・・でしたっけ?
  そして、二つ目は?

K:二つ目は、正しく考え判断するには”正しい”知識が必要ということ。
  テスト勉強のためには、教科書などの正しいということになっている知識を正確に覚えればいいのだけれど・・。

M:教科書は正しい知識内容ではないっていうこと?

K:そうは言ってないけど、正しく考え判断するには、他所から与えられた価値基準や権威的なものとは違う、自分のものさしを使って、知識を取捨選択し、真偽正邪善悪を見極めなければならないのではないかということ。

M:でも、その自分のものさしっていうのは、結局、自分の頭の中の知識、自分の固定観念なんでしょう?

K:ん~、知識や観念とは違う”何となく”という感じ、むしろ感情かなー。
  私は、近頃、感情は知性に優ると考えるようになってきた。
  それでも、この感情も、”お勘定”には、まだかなわない・・。

M:??