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50歳からの人生日記

50歳から始めたブログです
カテゴリーは日常生活から趣味や食べログ
宮崎県情報など

お忙い中・・・貴重な時間を使っての 

お時間があれお付き合いを♪ニコニコ

 

 犇めき隊員Bが串間に遊びに来たんで、まだ行ったことがないという串間市の観光地の一つである赤池へと連れて行くことに・・・車

 キャンプ場もあるんですが、、、串間市の取り組みがいまいちで、、、ここでキャンプする人は少なく、せっかくの施設も老朽化したままハッ

  赤池はむかしむかしの約2万5千年前の吾平大噴火が作ったジオラマなんです

↓興味か゛あればご覧ください

 

 そんな赤池がキャンプ場になる以前からある赤池神社・・・創建も祀神も不明ですが、むかし大蛇が祀られていたとの伝説もあるようですので蛇の神様???キラキラ

 滝が作る水の轟音の力強さは、まさに龍神であり、水を司る龍神様に五穀豊穣の感謝と畏敬の念をもってお祀りされたものと自分勝手に解釈しました・・

 赤い池はないが赤池・・・2万5千年前に赤い溶岩が作り出した淵があるからなのか・・・謎のまま、神様の名前不詳にて・・・参拝お願い

 

 桜がまだ咲いている頃のドライブです・・・観光ついでに、64おじさんの今年の目標である神社巡りに付き合わさせられる犇めき隊員Bウシシ

 串間市で、標高183m地点に集落があるのは、ここ大矢取地区が一番高地ということで、宮崎市の民法放送で取り上げられてました

 その地元の住民の氏神様として祀られて、創建された大矢取神社

 ここは史書『高鍋藩寺社帳』に刻まれてました・・・若一王子権現(現大矢取権現)は本地十一面観音、祭神は少彦名命で、永正2年(1505)乙丑盛泰再興とある。明治5年、村社北神社へ合祀されたので、社殿はそのまま保存、大神宮ならびに北神社の遥拝所と定められた。

 しかし地元氏子により明治15年復社・復旧遷座され、昭和56年、神社を新築造営。
 『日向国神祇史料』によると、祭神二座とあり、明治5年、北神社に合祀されたときの祭神は大山咋命があげられている。

少彦名命{スクナヒコナノミコト)

 童話の一寸法師の主人公になった神様とされます・・・身体は小さな神様と言われてますが、大国主神とともに国づくりや医療・まじない・酒造・温泉開発などを司る神様。

 造化の三神である神産巣日神(カムムスヒ)の子供とされており高貴な神様なんですお願い

大山咋命(オオヤマクイノカミ)

 大きな山の所有者を意味し山の地主神であり農業や醸造の神

 須佐之男命 と 神大市比売 (大山津見神の娘)の祖父母であり、その子である大年神が父親で、叔母には宇迦之御魂神(保食神)の血統ある神様

※宮崎県の神話による神系図には大山津見神の子供は、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメのみで、神大市比売(カムオオイチヒメ)は記載なしあせる

 ということは、瓊瓊杵尊とコノハナサクヤヒメが出会う前に、すでに素戔嗚尊に嫁いでいたと解釈してもおかしくないのかも・・・

 

 この日、3社目の参拝へと・・・

 洞穴に大蛇がいて、、、その大蛇に守られたという伝説がある神社・・・

 1334年地頭職として着任した野辺久盛は土豪の平定の任務の際、土豪との戦いで敵に追われこの洞穴に逃げ込もうとしたところ奥から大蛇が現れたので、「敵から追われているのでかくまってほしい。もし、土豪を平定することができたらここに社を建ててお祀りします。」と頼むと、大蛇は道を開け、敵の土豪が追ってきが、洞穴の入り口で大蛇がとぐろを巻いて大きな口を開けて睨んでいるので、退散。その後、平定し、この地に約束通り社を建てて大蛇を祀り、久盛の孫にあたる野辺盛房が蛇王権現を建立したという・・・

蛇王神社

 作り話か本当の話かは別として、蛇を祀る神社は多く、特に白蛇を祀る神社は多いようです・・・

 ここの話とは別ですが、七福神の弁財天は白蛇様としても祀られているようですヘビ

 串間市に野辺という苗字は多く、串間城の城主にも野辺がいたようですビックリマーク

 

 この日・・・4つめの神社に・・・南神社

以下ネットからコピー

 奈留外行組124戸の鎮守として旧称初熊大明神として崇敬されてきた。『日向地誌』によると、旧称熊野大明神といい、のち熊野大権現となり、事解男命、伊邪冉命、速玉男命を合祀していた。
近郊に五座の神社があり、
一、大平村広野の聖大明神(祭神、不詳)
一、烏帽子野の妙現大明神(同)
一、南方村田口の稲荷大明神(祭神、倉稲魂命)
一、中別府の蛇王権現(祭神、別雷命)
一、神花の神花大明神(祭神、木花咲耶姫命)、
 この五社を明治5年遷して合祀、今の名に改めたという。明治39年神饌幣帛料供進神社に指定された。
 各社とも創建を明らかにする文書なく由緒は詳らかでないが、社殿は、しばしば再建保存されてきた。

 神社も市町村同様に合併が繰り返されて来ており、ここも様々な神様の集合神社として地元の氏子や住民の守り神として参拝されているようですお願い

 

 この皇太子・・・の大正時代の石碑は、なんなのか不明ですが、皇太子がココに来られたとすれば、無視できない神社なのかも・・・キラキラ

 

今年参拝した神社は

串間神社、北神社、春日神社、金谷神社、泊柱神社、笠祇神社、山宮神社、西神社、天神神社、熊野神社、御崎神社、御嶽神社、枚聞神社、松原神社、戸柱神社、四十九社神社、吾平山陵、

鵜戸神社、玉山神社、祓戸神社、鹿児島神宮、霧島神宮 野上神社 狭野神社 霞神社 

奈古神社、宮崎神宮、赤池神社、大矢取神社、蛇王神社、南神社 31社/目標100社 

 

 

今日もお付き合いいただき、愛がとうございましたほっこり