アキカンの影響なのだろうか。でも買ったのはペット製品です。
猫も杓子も擬人化のこのご時世。気付くべき点があることは明白だ。
自身と人以外の対象の接点の創出に人というフィールドが選ばれるのは、イニシアチブ欲しさというところに拠る。
もちろんそのことに気付いた先人たちは、主役が受信主体から移入を受け入れやすい作品構成の蔓延のなかで逆の手法も取り入れてきた。擬人云々だけでなく時空間の超越のようなSF観念でも見られることである。
擬人化はエゴの塊のようなものにしか見えない。それへのアンチテーゼがある。第三オブションはありえるのだろうか。
導入に多大な労力を強いられることがイメージできる。しかも発信者・受信者共にだ。
物語には案内役が付き物だ。二世界間で行われる話ならばイニシアチブの所有者がその役をそもそも果たせるし、仮にその役割が付与されない場合でもその世界のやり取りが可能な点で役の補充が見込める。
話を転がすことに困難が生じるのが、3つの世界を作品に同居させることを阻んでいると考える。それはメインキャラクターにそれなりに語学力を期待するか、二世界の話でも曖昧にされている言語設定という難解な問いに対する回答を場合よっては二つ以上用意しなければならないことからだ。
イニシアチブによる力関係の偏りに引っ掛かりが出ようが、話の停滞を回避する上でそれはあるべき点であり、また攻め受け視点からも話の転がしやすさを広げている。
一設定で組み合わせ毎の王道シチュを網羅するだけで1クールはもつと思われる。
それだけひねる要素は縮小するが1クールものが大勢を占めている今に適した構築法かもしれない。また別次元・時空を導入していくにつれてどうしても受け手に電波的理解力を求めざるをえない。大半の人間は程遠い。
言わば、凪の漫画を理解することだと。
圧倒的スペックを誇る執事とメイドにさえS級ミッションを誰がこなせるというのだ。